第11話

 サフィラスが本を閉じると、ロアも読書を中断する。


「どう? この世界については大体分かった?」

「おかげさまで。因みに今は、降星暦こうせいれき何年だい?」

「ちょうど2700年よ。読んでの通り、各国ほぼ同じタイミングで建てられたから、今年はどこに行っても何かしらのお祭りをやってるわね」

「……そうか」


 サフィラスが本を棚に戻すと、ロアは恐る恐る口を開く。


「……ねえ、聞いても良いかしら。サフィラスちゃんはこの本を読んで、どう思った?」

「特に心理状態に変化は無いよ。憤ったところで、当事者は生存していないからね。只の記録に、キミは逐一一喜一憂するかい?」

「……そうね。でも良かった。サフィラスちゃんが更に人間嫌いになるんじゃないかって、少し不安だったから」

「……」

「さて、と。あんまりリベラちゃんを待たせちゃいけないわ。今日は一旦戻りましょうか」


 ロアも本を戻すと、踵を返そうとする。しかし通路は、二人組の緑帽隊によって音も無く塞がれた。


「こんにちは。少し、お時間よろしいですか? お客様に、一点お聞きしたいことがありまして」


◇◇◇


 一方リベラは、5冊目の絵本を手に天井を見上げていた。


「ふたりとも遅いなあ……ネーヴェも、ずっとポシェットの中だと疲れちゃうよね」


 ネーヴェはポシェットから顔を出すと、頭部を撫でるリベラの指を受け入れる。


「ふふっ、ネーヴェはいつもふわふわだね」


 徐々にフロア内の子供が入れ替わっていくのを感じながら、テーブルに突っ伏す。


 一面の暗闇に映し出されるは、閉め切ったカーテンを背に読書をしていた記憶。テーブルに高く積み上がった絵本は、しばしば音を立てるドアから彼女を護っていた。


『なつかしいな……お母さんと会えない時は、こんな風にひとりで絵本を読んでたっけ。誰も話してくれなかったけど、絵本があったから、ひとりぼっちを乗り越えられたと思ってた』


 過去の自身と重ねるように、リベラは絵本を握る力を強める。


『……でも、本当は違ったんだ。誰かと一緒にお話ししたり、遊んだり。を知らなかったから、平気だったんだ。サフィラス、ロア、いつ帰ってくるの? さびしいよ……っ、ダメ、泣いちゃ……!』


 ポシェットがモゾモゾと動く感覚に、リベラは顔を上げる。


「──リベラちゃん!」

「ロア!」


 涙が溢れそうになった刹那、ロアが息を切らしながら駆けつけてきた。咄嗟に裾で目元を押さえると、前髪を整え笑顔で出迎える。


「おかえりなさい! 見て、今日だけでこんなに読めたよ!」

「はあ、はあっ……ただいま。長い時間待たせちゃってごめんなさいね。それにしても、結構早いペースね。この調子なら、あと数日通ったら読み終えちゃいそうだわ」

「えへへ、次の国に行く前に最後まで読みたくって。 ……あれ? サフィラスは?」


 出入り口を窺うリベラに、ロアは眉尻を下げて話す。


「ええ、実は――」


◇◇◇


 サフィラスはアラカ図書館の一室、“私室”と呼ばれる部屋で、冠を乗せる屈強な男と対峙していた。


 緩やかにうねる群青の髪を首の位置に束ねる彼は、2mはあろう背にスティア国の紋章が刻まれた濃藍色のマントを羽織っており、風貌からその地位を見せつけている。


 緑帽隊は男に敬礼すると、退室の言葉を放つ。


「では、失礼いたします」

「ああ。ご苦労だった」


 隊列を乱さず立ち去る彼らを、男は猛獣のような紅梅色の瞳で見送る。しかしドアが閉まった途端、一転して不審な動きを取り始めた。


「ぁ、えっと……へへ」


 先程の威光は何処へやら、自身の白いシャツを弄りながら、男はもごもごと言葉を詰まらせる。一方でサフィラスは口を噤んだまま、仮面越しに静観する。


『やはり仕掛けてきたか……眼前の人格の落差が激しい彼は、装いや先の言動から推察するに、この国の王なのだろう。問題は、私を孤立させたその理由だ。件の手紙についてか、或いは昨日の市場の件か――』


 推測に勤しんでいると、やがて男は片手を首にあてながら、ぎこちない笑みを浮かべた。

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