19 スッキリと処分できぬ本 12月6日

 スッキリと処分できぬ本


 仕事帰りにコンビニに寄る。数年前に近所の本屋が引退したので、たまには雑誌でもと思えば、二件しかないコンビニになる。この時期の主婦雑誌は付録が厚く太っている。普段は避けたいこの言葉が嫌じゃない自分に自笑して、択一でしか選べない雑誌を購入した。


 まだ声が甲高かったころ、お気に入りの漫画雑誌を姉妹で一冊ずつ買って、付録を分け合い漫画を読み合った。百枚シール、全員プレゼントに心躍らせ、ペアで合わせると十字架になるペンダントは、姉妹で分け合ってどうするんだと、今なら絶対突っ込んでいる代物。ゴマ粒以下のトルマリン風宝石が、小さな胸を焦がしたものだ。

 

 きっと実家に行けば、未だ整理されていない几帳面な姉の引き出しから出てくるかも知れないコレクション。因みにわたしの机は、地方大学に行く際にスッキリと処分していただいている。


 息子は絵本や図鑑やばかりに興味を示した。ある時、遊びに来た友人が分厚い漫画雑誌を読んでいたので買ってやろうかと言うと、読み方が分からんからいらん、と返された。

 慌ててまだ現役だった頃の書店に走り、無理やり押し付けて漫画本の読み方を教えてやった。義母は賢い子だと自慢してくれたが、一般常識が分からんオタクになったらどうしようと悩んだものだ。


 とっくに成人した奴は、母に一般常識とはなんぞやと語れるほどには成長し、凡才中の凡人としてオタク人生を真っ直ぐに歩んでいる。そしてわたしはオタクだっていいものだ、人は誰でもオタクである、と思えるほどに身も心もふくよかになった。


「あいやとー」

 絵本を買うたびに舌っ足らずに微笑む彼が愛しくて、たびたび買い続けて積み上がった本は今やベッド下の収納の中。雑誌と違ってスッキリと整理できない。だってどれもが大切な思い出にお気に入りのストーリー。

 

 三百九十円だった主婦雑誌はわたしの給料が上がってないにも関わらず、申し訳なさげに値段を上げていたが、新しい年が来ればこちらはスッキリと処分が下されるだろう。


 自分はこんなところで物書きを始めたくせに、紙信仰から抜け出せない自分が実はちょっと好きである。

 愛しき本とは、いつまでも仲まじく付き合っていきたいものだ。


 さて、今日の仕掛け。一つだけ難しい? いやいや大丈夫でしょう。



 12月6日


 


 

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