第6話


「何でそこまで優しくなれるのよ」



彼の手を緩く握る。


握れば握り返してくれる。

目を合わせれば逸らすことなく真っすぐ目を合わせてくれる。


そんな当たり前のことに今更ながら幸せを見出してしまう。


「麗のことが好きだから」


彼は屈託のない笑顔で私を見つめる。

猫のような彼がやっとに人間に見えた。

彼の行動は何も変わっていない。


きっと私の彼に対する向き合い方が変わったのだ。


「…返事を焦らせるつもりはないからゆっくり考えてよ」


彼は、よいしょという声と共に立ち上がると私の手をゆっくりと離した。

スルスルと離れていく指が不安を煽る。


「待っ、て!!」


思わず彼の手を掴み再び指を絡めると彼はきょとんとした顔でまじまじと手の平を見る。

それから心底嬉しそうに笑うと私を優しく抱き寄せた。


「どーしたの。不安になっちゃった?」


まるで子どもをあやす様な物言いに苛立つ前に安心を感じてしまう。

抱きしめられたまま頭を撫でられれば今まで耐えてきた涙が今更溢れてきた。


「……お腹空いた」

「ん?んー…ファミレスとか行く?」


空は急な私の言葉に戸惑いながらも提案してきた。

この…何でこういう時は察しが悪いんだよ。


「……」

「えっ!?麗、怒った…?」


察しは悪いが空気は読めるらしく、私の顔を見ておろおろと視線を彷徨わせる。

あぁ、そういえば一緒に住んでいた時もこんなことよくあったな。


仕事で疲れて帰った日は目一杯褒めてくれるし、嫌なことがあった日は甘やかしてくれる。

休みの日は一緒に出掛けることだって少なくなかった。


しかし喧嘩だけはほとんどなかった。

今思えば喧嘩をしない理由もお互いが引け目を感じていたのかもしれない。

本音が言えなければ衝突もない。

だから喧嘩もないのだ。


「……ご飯、作ってよ」

「え?」


ピーッと甲高い音と共に乾燥機が終わりを告げた。

私は空に袋を持たせて乾燥機に向かう。


「よいしょ」


彼の持つ袋に服を詰めていく。


「あのさ、今更弱気にならないでよ」

「……」

「返事は決まってる。私があんたのことを忘れられなかったことが何よりの証拠でしょ?」


空を見上げてその頬に手を伸ばす。


「やり直そうよ」

「…本当に良いの?」


彼の顔が歪む。

最後の確認であろうその言葉はあまりにも薄かった。


「うん、私たちはあの時死んだの」


彼の袋を持っていない左手を口元に運ぶ。

そして、左手の薬指を思い切り噛んだ。


「イッ!?」

「おー、綺麗についた」


真っ赤な歯形を確認してから軽く舐める。

今までどこか他人事のようにふわふわしていた空が真っすぐ私を見下ろしてきた。


「何して…」

「正気になった?」

「……麗の方がよっぽど猫だね」


彼はそう言って私の左手を持ち上げる。

これから何をされるのか理解して手の力を抜く。


「いい?」

「勿論」


彼はそっと左手の薬指を口に含むと優しく噛んできた。

思ったよりも痛くなくて思わず首を傾げてしまう。


「もっと思い切り噛んでよ」

「痛いことはしたくないの」

「こんな痕だとすぐ消えちゃうでしょ」

「消えないものは今度用意するから今はそれで許して」


彼は私の頭を撫でると袋の取っ手を肩にかけた。

それから私の手を絡めとるとコインランドリーの出入り口に向かう。


「家分かる?」

「うん、僕道覚えるのは得意なんだよね~」


そう言って彼は私の手を引きながら帰路についた。







_にゃ~お


猫は一声鳴いた。

それは彼の声か、それとも私の声か。

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