夜更けの離れにて
「では、おやすみなさい」
ダキアに回廊まで送ってもらい、離れに戻ったシェリアルとシャオチェ。
まっすぐ寝所ではなく厨に向かい、甕から水をすくって一口飲んだシェリアルが「ん~」と押し殺した変な悲鳴をあげた。なんというか、爪先が痺れた時に思わず漏れ出る感じのうめき声に近い。何か変なモノでも浮いていたのかとシャオチェが小走りにシェリアルに駆け寄る。
「どうかなされましたか!?」
シェリアルがかぶりを振って大丈夫と伝えた後、ああ、と感嘆極まるため息を吐くと
「もう駄目、朝が待ち遠しいわ」
と瞳を輝かせてまくし立ててきた。それでも所作は清楚で優雅なのがうらめしい。
「ねぇシャオ、あなたはダキア殿下をどう思ったかしら」
「私ですか?」
実は今しがたのシェリアルとの会話で、シャオチェの中のダキアの評価は少々下がっている。
ダキア殿下に関して男女の機微に疎いという噂は小耳にはさんでおりましたが、正直あそこまで鈍い、察しが悪い方だとは。ああいう時は女性にはしたない真似をさせず男性から遠回しにアプローチをしてくるのがマナーというものです。私が姫を焚きつけてなかったら、どんな気まずい空気のままだったんでしょ考えたくもありません。
主の婚約者だし、他国の王族相手にがっかりしたなどと口が裂けても言えないが、逆に言うと女癖が悪くないという事は変な経歴が無くまっさらだと言い換えることもできる。善い方に解釈しようとシャオチェは己を納得させた。
俯瞰で見るならシャオチェ自身もあの場で相当な無礼講を働いているのだが、そこはやむを得ない必要悪の手口としてシャオチェは棚上げを決め込んでいる。
正直なところ、悪い人ではないのは間違いない。とっつきにくい朴念仁ではなかっただけマシだ。
「嘘の付けない正直なお方かと」
当たり障りのない言葉を選んで返すと、シェリアルがぱぁっと嬉しそうな表情で笑顔になった。
「ええ、想像していた以上に好ましい方だったわ」
シャオチェは軽いめまいを感じた。
姫の意外な一面を垣間見た。これはあばたもえくぼという奴かもしれない。
憮然とした顔のシャオチェをよそにシェリアルの独白は続く。
「もちろんシャオは大事だわ?とても大好きよ?だけど殿下は違うの。特別なのよ」
そこから更にダキアのどこがよかったの何のとまくし立てる。
「私、殿下の声が好きなんだわ、すごくよく響く感じで」
目尻を下げて頬を緩ませた満面の笑顔で、心底嬉しそうに告白するシェリアルの声はうきうきと弾んでいて、放って置いたらこのまま朝まで夜を明かしそうな勢いだ。
シャオチェは考えあぐねる。
お気持ちはわかります分かりますがそれはいけません駄目です。このまま一睡もせずに朝まで過ごして式典の最中にうとうとしたなんてことになったら末代まで悪い意味で語り草になってしまいます。そんな割れ鍋に綴じ蓋みたいな番を組ませるわけにはまいりません。
この婚礼が終われば私は王女付きの侍女の任を解かれ、通常のアシルの城仕えに戻るわけですけれど、私とても心配です。
「ひとまず気持ちを落ち着けましょう」
気持ちを落ち着ける香草と安眠のマナに付けた水を氷室から取り出し、シェリアルに飲ませて寝所につれていき、寝台に横になるよう促した。
「明日は日の昇る前から着付けや化粧など施さなきゃならないんですから、少しでもお休みになりませんと」
言葉遣いで察したシェリアルが大人しく目を閉じる。
「そうね、ありがとうシャオ」
ほどなく規則正しい寝息にかわったのを確かめると、シャオチェは明日の婚礼衣装や調度品の確認をするために母屋に向かった。
なんだかんだ言っても明日は大好きな姫の一生一度の晴れの日なのだ。最後までシェリアルの良き従者最良の侍女でありたい。そう思われたい欲もある。
本当はダキア殿下に妬いているのかも知れないことは一生黙っておきましょう。
ダキアはダキアで、離れに戻ってからしばらく寝台に腰掛けたままぼうっとしていた。
感情の整理が追い付かない。
姫が俺を好いてくれているなんて想像もしていなかった。
もともとそういった色遊びの類より戦に出る方が楽しい男だ。
正直神託の婚礼だし、シェリアル姫には本当は思いあった相手がいて俺との婚儀なんか全然望んでなくて最悪仮面夫婦で一生を終えても致し方ないと早々に腹を括っていた部分もあったのだ。
だから先刻のシェリアルとの逢瀬でのやり取りは驚きだったし嘘だろうというにわかには信じがたい気持ちだった。
だが、姫が俺を。想ってくれていた。
姫が俺を。
茶褐色の尾がこれ以上ないというくらいに直立する。
空に向かって雄たけびをあげたい気持ちで胸がいっぱいだった。
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