夜の庭園で



 えっ。

 寝耳に水の情報だ。姫が俺を?

「それはもう、白竜を倒した英雄ですもの」

 白竜。長い事渓谷のアシル、密林のキンツェム、砂漠のグラディアテュールを恐怖に陥れてきた怪物。雪とともに大山脈を越えてやってくる役災。先先の寒季、やっとそいつを屠ることに成功した。

 白竜を倒せたのは俺だけの手柄じゃない。実のところ、あの時の白竜討伐はもうグラディアテュールは疲弊しきっていて、アシル、キンツェムからも動員を募らないと兵も足りない状態だった。俺を信じて指揮系統を全て託してくれた親父。キンツェムを説き伏せてくれた兄。キンツェムが兵糧を賄ってくれたおかげでなんとか出兵することができた。地位肩書き出身関係無くみんなで知恵を出し合った。死ぬかもしれない囮役を買ってくれた志願兵がいなかったら渓谷に落とす作戦だって計画倒れになるところだった。皆を差し置いて英雄なんてとんでもない。

「違いますよ、白竜は各国の協力が無ければ倒せなかった、礼を言うのは俺の方だ」

「ですから姫様も王子殿下に釣り合う存在になりたいとおっしゃりまして」

 侍女が我が事のように胸を張る。ほっそりした姫と比べるとちょっとグラマーな胸だ。

「先先の温暖期から馬術、弓術を習われ、昨日は朝から三度もお風呂を使って、香油で念入りに髪と肌を手入れされて」

 もうおよしなさいシャオチェ、と熱弁をふるう侍女を遮り、ようやく姫が言葉を発した。

「殿下、晩餐の席で殆どお話しされてませんでしたから」と、姫が困った顔で微笑む。 

「私に何か至らぬ点や落ち度があって不興を買ったのかと不安でしたの」

耳に心地よい響きだ。俺は姫の声も好きなんだな。

「俺こそがさつで粗野で無作法だから、ああいう場での会話というものが得手ではなくて」

 得手ではない。それは本当だ。晩餐の席はもちろん、妙齢の女性相手のしゃれた会話なんて苦手の最たるものだ。こっちこそはた目にも分かる失態をしないか冷や冷やしながらの席だったのだ。案の定、姫をジロジロ見つめて兄に肘で小突かれたし。

困り果てているうちについ本音を漏らしていた。

「姫が可愛かったから、そのずっと、気になって」

 姫の頬がぱぁっと紅潮する。心なしか瞳も潤んでいるように見える。

 泣かせた?なんで?こんな時、兄なら語彙力に任せて姫を笑わせ和ませたりできるんだろうけど。残念ながら俺にそんな気の利いた言い回しが出来るはずもなく、あたふたしていると、姫が目尻を指で軽くぬぐった。よかった、そう呟く声は心の底からの安堵のような響きを含んでいるような気がした。

 侍女に目をやると両手で口元を抑えていて、驚きと感動のないまぜになった視線を俺と姫に向けている。

 ああそうか。姫は一途に俺を想っていて、想いが通じた、伝わった、歓喜の涙なのか。さっきはどう接したらいいか考えあぐねていたのか。

「俺なんかでよければ」

 瀕死の白竜にとどめを刺すために顔面に飛びついた時より緊張する事が存在するなんて思いもしなかった。竜を屠るのに獲物の気持ちを伺うなんてことはないものな。

「付いていきます」

 応じる姫からはきっぱりとした決意のようなものを感じた。この繊細で愛らしい美貌の見た目に反して中身は芯の強い女性なのかもしれない。

 姫とはうまくやっていける気がした。



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