婚礼当日 シェリアル姫

 晩餐も終わって夜も更けつつある。

俺は眠れずに神殿の拝殿から庭園の辺りをふらふら徘徊していた。神殿には広がる森に点在する湖沼から水を引いて巡らせた遊水が流れている。渓流を模したせせらぎは、拝殿と本殿の周囲と築山をゆるゆると巡って境内の池に流れ込む。回遊式庭園と呼ぶらしい。グラディアテュールの城にも遊水の庭があるけど、柱廊に囲まれた中庭に水を薄く張った水鏡の水路を張り巡らせたものだから趣が全然違う。

 先述したとおり柱のマナのおかげで殿内は真っ暗には程遠いし、今夜は夜通し金色の剣星、ガリカが夜空を明るく照らしている。ガリカは十六の突起が剣の切っ先を思わせるところから付いた名称だ。水面の水蓮にも似ていることからキンツェムでは蓮星と呼んだりもする。地平線から昇りはじめの時によく目を凝らすと赤い花脈がちらちら瞬いて見えることがあるから真実花ではないのだけど。じゃあなんなんだと聞かれても答えられないのが実情だ。

 ガリカは天頂から少し日没の方向に傾いているから実質もう婚礼当日だ。眠れないのはこうして煌煌とした灯ばかりのせいではない。初めて逢った婚約者の姿が脳裏に焼き付いているのだ。

 シェリアル姫。可愛かったな。口数は少なくて物静かな感じで。あんな可愛い姫にがさつな俺なんかで釣り合いとれるのかしらん。案外博識なシェダル兄のが馬が合うんじゃないだろうか?兄ならさしづめ金のガリカの淡い光を凝ごらせたかの如きその美貌、とか、たちどころに賞賛の詩をそらんじるところだろうが生憎と俺は文学はからきしだ。男女の機微もかなり疎い。興味がないわけではないんだがな。柄にもなく消沈していると、築山の暗がりから池のほとりに近付く人影が見えた。築山の裏が遊歩道になっていたのか。

 誰だ?

見ると、朱赤の袍を纏って金褐色の髪を緩く三つ編みに束ねた後ろ姿。晩餐の時に香ったあの匂いが鼻腔をくすぐる。

俺の気配に気づいたのかこちらを振り向いた。

人影はシェリアル姫だった。

青い大きな瞳が俺を見つめる。小首を傾げる姿がかわいい。ほんのちょっぴり開いた唇がかわいい。首筋から肩が白い。裾から覗く細い足首が身体の華奢さを物語っている。本当にこんな可愛らしい姫がこの世にいるなんて夢のようだ。目が合うと、姫がかるく会釈してきた。つられて頭を下げると、姫の表情が少しゆるんだように見えた。

「ねむれないのですか?」

 俺が問うと、姫は逡巡しているように見えた。

「大丈夫ですよ、グラディアテュールには妻をとって食う風習はありません」

緊張をほぐそうとしてかえって変なことを口走った。

「あのそのこれは間違いで」と茶を濁そうとしても焦って更に失言を重ねてしまいそうになり、もごもごと口ごもる俺を姫はきょとんとした表情で見つめる。

 そこに、築山の茂みの奥から、「姫様探しましたよ」と小さく叱責を含んだ声音で姫を呼ぶ声が聞こえ、ひたひたと小さな足音がして姫の侍女が姿を見せた。名前が分からないからここでは青緑と呼んでおく。築山から覗くと広葉樹の幹の陰に隠れる位置なのか、俺がいることに気づいてないようだ。

「シャオチェ、ダキア殿下の御前ですよ」

 あの鈴を振るような綺麗な声が静かに侍女を諫め、シャオチェ、と呼ばれた青緑の侍女は弾かれたように三歩下がって頭を下げる。

 堅苦しいのは苦手だ。あまり好きじゃない。「普段通りに接してくれて構わないよ」俺がそう返すと侍女のシャオチェが俄かに色めき立った。

「ほら姫様言った通りじゃないですか、殿下も緊張していたんですよ」

 と姫の肩に両手をまわしてぽんぽんと軽くたたく。よく言えばざっくばらん、悪く言うならあけすけな性格のようだ。

「シャオチェ、お辞めなさいな」

 嬉々とした表情でまくし立て始める侍女。両手で頬を抑えて侍女を諫める姫。頬から耳まで紅潮させて、声もさっきまでと違って幾分上擦っている。まるで意中の相手と目が合ったの告白だのなんのとはしゃぐ市井の娘のようだ。

「一体、どういう」

「姫様はですね、ダキア殿下とのお輿入れをそれはもう首を長くして一日千秋の思いでお待ちしておられたんですよ」

 侍女の言葉を理解するのに一呼吸くらいの時間を要した。





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