婚礼前夜・ダキア王子


 渓谷の宝石と謳われる山間の小国アシルの門前街は賑やかだった。

この5日間は特別だ。大通りはもちろん広場にも露店がみっしりとひしめき軒を連ねて、ちょっとした小路を作っている。砂漠の国の第二王子と渓谷の国の第一王女の婚礼の宴で賑わっているのだ。サピエンスやファーミアキスは華やかな彩りのチュニックを身にまとい、ハーフ、クォーターミアキスは琴や笛や鼓にあわせて歌い踊り、ニアミアキスは美しい装飾品で全身を飾り、普段滅多に口にできないような豪勢な料理や山海の珍味に舌鼓をうち、この日を思い思いに祝っている。



砂漠のグラディアテュールの第二王子の俺はアシルの第一王女で婚約者のシェリアルと婚礼の儀を執り行うために、アシルの神殿にいた。明日がその挙式だ。アシルの守護聖獣エンキの託宣による神聖な婚姻。

針葉樹林と常緑広葉樹の混じる広大な森と山肌をぬって流れる渓流が沢山の小さな段差の滝となり一帯に湖沼群を形成している。湖の対岸にはアシルの門前街。100年前密林の国キンツェムとグラディアテュールは戦争状態で、戦争を嘆いたキンツェムとグラディアテュールの王位継承者が駆け落ち。アシル神殿の庇護のもとに興したのが、新アシルの大集落だ。湖畔に沿って広がる町並みは精緻な細工を施した冠のように輝いている。アシルが宝石の箱庭と謳われる所以だ。

このアシル神殿が俺たちミアキスヒューマンとサピエンスにとって大事な場所である理由はもう一つある。大昔、アシル神殿ではマナの研究が行われていた。ここには失われた秘技の産物が残っている。例えば回廊の列柱。通常、丸太を芯材にして積み上げた石柱に飾り用の薄い石板を張っていく。モザイクタイルで模様や図案を描く手法もあるが、それは100年前に焼かれた釉薬タイルかガラスがまだ潤沢に残っているか、そこそこの数のサピエンスがいる大集落に限られる。

話がそれた。

そうして石と木を加工して作るのが普通だが、アシル神殿の柱は違う。全部、透明度の高い水晶で出来ている。柱がそれぞれひとかたまりの群晶から聳える長い柱結晶で、先端部だけで天井を支えているのだ。柱の中では巨大なマナが枯れることなく白い柔らかい光を放っている。だから神殿は夜でも明るい。マナ同士を合成する技。封じたマナを消滅させることなく輝かせ続ける秘技。どれも失われた技法だ。他にも巨石を浮かせて竜にぶつけただの山から湖をの水を丸ごと持ってきただの果ては天候を操ったなんて伝承もある。真偽のほどは知らないが、それだけマナを扱う技術水準が高かったということだ。

それがどうして衰退したのかは後にするとして。渓谷のアシル、密林のキンツェム、砂漠のグラディアテュールの王侯貴族が一堂に会するのはだいぶ久しい。もっともキンツェム、グラディアテュールの当主は欠席。オヤジは白竜との戦いで足腰やられて動けないし、キンツェム女王ヴァルダナールの婆さんは100歳越えの超高齢。アシル神殿まで一ヶ月の長旅に耐えられるか甚だ疑問だ。

そんなわけで俺たち新郎新婦はこのアシルで式を挙げた後、新婚旅行という名目でアシル、キンツェム、グラディアテュールの各集落を巡幸する事になった。来られないなら出向いてやろうというわけだ。


アシル名物の魚介をふんだんに使った晩餐は実に美味だった。

厨房を仕切るのがサピエンスだというのもあるが、この席で初めてアシルの第一王女シェリアルと対面する運びとなったからだ。

アシルの国王夫妻、女帝に替わってキンツェムの外交を担っているの大公夫妻、グラディアテュールの国王代理で王太子である俺の兄、と親族一同が交歓の円卓に着いたところで、俺の隣が一つ空席であることに気付いた。後から誰か来るような話は聞いていない。神主が同席するのか?

「託宣に忠実に従うなら式の時に初めて逢わせるべきなのでしょうけど」とアシルの女王が前置きして、合図をすると、観音開きの扉が開いた。

そこに立っていたのは、結い上げた髪を螺鈿象嵌の竜牙の簪で留めた飾り帯でまとめ、黄金で出来た耳飾りと首飾りを着け、くるぶしまである白絹のキトンに、宝石の留め具を使ったタッセルをふんだんにあしらった朱赤の絹紗を重ね着したいでたちの若い娘。青緑色の紗を着たニアサピエンスの女性と一緒だ。こちらは刺繍の施されたベールを被っている。

「娘のシェリアルです」とアシル女王が朱赤の紗を着た娘を指す。

お世辞抜きにとびきりの美人だ。美人、だと成熟した大人の女性のイメージが強いから言い方を変えよう。綺麗で清楚で可愛らしいほっそりした体つきの娘だ。ニアサピエンスだから、ミアキスの特徴は殆どない。色白の頬に金褐色の髪。瞳の色は青い。左目尻に小さな黒子が二つ並んでいる。チャームポイントだ。

「アシルの第一王女、シェリアルです。以後お見知り置きを」

シェリアルが鈴を振るような声であいさつを述べ、纏っている朱赤の紗の裾を軽くつまんで会釈すると、それだけで一気に場が華やいだ。

着席したとき、香油で体を清めてきたのかすごくいい匂いがした。何の匂いだろう。柄にもなく心臓がバクバクした。

晩餐の間もなんとなく姫に視線をやってしまう。口許に指を添えて微笑む姿が上品でかわいい。匙を使う所作も料理を口に運ぶしぐさもとても優雅だ。

見とれていたら、隣席の兄に肘で小突かれた。












 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る