婚礼前夜・ダキア王子
渓谷の宝石と謳われる山間の小国アシルの門前街は賑やかだった。
この5日間は特別だ。大通りはもちろん広場にも露店がみっしりとひしめき軒を連ねて、ちょっとした小路を作っている。砂漠の国の第二王子と渓谷の国の第一王女の婚礼の宴で賑わっているのだ。サピエンスやファーミアキスは華やかな彩りのチュニックを身にまとい、ハーフ、クォーターミアキスは琴や笛や鼓にあわせて歌い踊り、ニアミアキスは美しい装飾品で全身を飾り、普段滅多に口にできないような豪勢な料理や山海の珍味に舌鼓をうち、この日を思い思いに祝っている。
そんなアシル城下町の喧騒がこの湖上の神殿まで聞こえてくる。
神殿の池のほとりに設えられた四阿から賑やかな対岸を眺めるグラディアテュール第二王子ダキアは、少々不貞腐れた感情を抱えていた。
「いよいよ明日なのですものねぇ」
花と灯で飾られた社交室では、密林の女帝代理の大公夫人がアシル王妃と楽し気に歓談している。
グラディアテュール王太子でダキアの実兄シェダルも「先ほどちらっと挨拶しましたが、本当にお美しくなられて」と明日の主役の花嫁御寮を賛美し、
「まだまだ子供だと思っておりましたのに」
受け答えするシュクル妃も目尻に光るものを浮かべていて、幸福の絶頂といったところだ。
ダキアにそれという自覚はないが、いわゆる悋気とかやっかみ、嫉妬の類だ。
ここにいる王族の中で、アシル第一王女シェリアル殿下と一度も顔を合わせていないのはダキアただ一人だけ。
というのも、明日結婚する相手と挙式当日まで顔を合わせてはならない。なんて馬鹿げた不条理極まりない神託のせいだ。ダキアが知っているシェリアル王女の人となりは伝聞、巷説、つまり第三者を介した又聞きの情報だけ。
それがなんとも歯痒いし苛立たししい。外交的に至極当たり前の挨拶を交わしているだけの兄シェダルに対しても少々燻ぶっているのだから我ながら嫌になる。
そんなダキアの様子と裏腹に大食堂では王族晩餐の準備が着々と進んでいる。
「やぁ、英雄」
ダキアにとっては岳父となるアシルの王アルハラッドが酒の並々と注がれた玉杯を差し出してきた。
この英雄扱いは望むところではないのに、白竜を討ちとった英雄として皆口々にダキアを誉めそやす。
アシルキンツェムグラディアテュールの三国の中で軍事に特化しているのはグラディアテュールだけで、為すべきことをなしただけだ。何度そう説明したことか。
しかし、一人娘を送り出す立場からみれば、娘の伴侶となる男が凡庸な何某かではなく「何事かを為した者」であることは非常に誇らしいの事なのかもしれない。
だとしたら、いつものように英雄呼ばわりを否定し咎めるのは、この上なく無粋だ。
そう思い直し、杯を受けることにした。
「いただきます」
アシル国王は満面の笑みを浮かべてダキアの隣に腰をおろすと、明日の婚礼衣装は、白竜の羽根をふんだんに使って最高に素晴らしいものに仕上がったこと、特に白竜の飾り羽をあしらったティアラは、城で抱えるサピエンスが人生の最高傑作とむねを張る出来で、姫も大変喜んでいた、などと、とつとつと語った。
「ティアラに施したい、いうのはシェリアルからの提案でね、「これなら、いつどこにいても私がダキア殿下の伴侶だと分かるでしょう」とそう言っていたよ」
アシル王は普段はこんなに饒舌ではないから、酒のせいかもしれない。
そして最後に「君たちは神託の婚礼で、まぁ普通の婚姻とはちょっと違って、大変かも知れないけれど、娘を、シェリアルをよろしく頼むよ」と、アシル王アルハラッドは頭を一つ下げた。
そうか、あの飾り羽はティアラに。
白竜を引き揚げる際に、側頭部を彩る飾り羽の、先端に鮮やかな朱赤が滲む綺麗な色味に惹かれた。婚礼衣装につかえないかと思い立ち、むしり取った。
それが、一度きりの婚礼衣装ではなく、この先も式典の都度に被ることになるティアラに使いたいと。
無性に嬉しくなった。
一人だけ蚊帳の外に置かれているような疎外感はきれいさっぱり雲散霧消していた。
晩餐は、アシル名物の魚介をふんだんに使った料理だ。
アシルの国王夫妻、女帝に替わってキンツェムの外交を担っているの大公夫妻、グラディアテュールの王太子でダキアの兄であるシェダル王太子、と親族一同が交歓の円卓に着いたところで、ダキアは隣が一つ空席であることに気付いた。後から誰か来るような話は聞いていない。「神主が同席するのですか?」とダキアが問うと、アシルのシュクル王妃が微笑んでかぶりをふった。
「託宣に忠実に従うなら式の時に初めて逢わせるべきなのでしょうけど」と前置きして、合図をすると、観音開きの扉が開いた。
そこにいたのは、結い上げた髪を螺鈿象嵌の竜牙の簪で留めた飾り帯でまとめ、黄金で出来た耳飾りと首飾りを着け、くるぶしまである白絹のキトンに、宝石の留め具を使ったタッセルをふんだんにあしらい、朱赤の絹紗を重ね着したいでたちの若い娘。青緑色の紗を着たニアサピエンスの女性と一緒だ。こちらは刺繍の施されたベールを被っている。
「のシェリアルです」とアシル女王が朱赤の紗を着た娘を指す。
ダキアは目が離せなかった。
お世辞抜きにとびきりの美人だ。美人、だと成熟した大人の女性のイメージが強いから言い方を変えよう。綺麗で清楚で可愛らしいほっそりした体つきの娘だ。ニアサピエンスだから、ミアキスの特徴は殆どない。色白の頬に金褐色の豊かな髪。瞳の色は翡翠色の混じった淡黄色。それだけが辛うじてミアキスヒューマンだと伝えている。左目尻に小さな黒子が二つ並んでいる。チャームポイントだ。
「アシルの第一王女、シェリアルです。以後お見知り置きを」
シェリアルが鈴を振るような声であいさつを述べ、纏っている朱赤の紗の裾を軽くつまんで会釈すると、それだけで一気に場が華やいだ。
隣席に着いたとき、香油で体を清めてきたのか、ふわりといい匂いがした。何の匂いだろう。
柄にもなくダキアは心臓が高鳴るのを感じた。
晩餐の間もなんとなく姫に視線をやってしまう。見とれていたら、隣席の兄に肘で小突かれた。
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