姫と侍女

 シェリアル姫の替え玉として輿の中で寝起きすることはや三日。長旅なので、几帳で仕切られた座所の他に、衣装箪笥、長椅子と卓、寝台と調度品が一通り揃っている。毛足の長い敷物は蓮星と唐草の文様。

移動中、終始揺れることを除けばなかなか快適な乗り心地だ。わざわざ誂えた専用の輿だと聞いている。

「道中、姫に不便をおかけするわけにはまいりませんからね」

 それがこんなことになってしまって。シェリアル姫があまりにも不憫だと頭をふるジウスドラ参謀を御簾越に聞きながら侍女シャオチェも頭を振る。

 その姫様は婚礼前日まで「殿下と共に討伐に赴くことだってあるかも知れないでしょう?」と仰って名人に弓や剣の師事を仰ぎ、野宿と称して何度も城の郊外で夜を明かしていたことは優しい従者には伏せておいた方がいいようだ。この件とまた違う意味でがっかりされてしまう。



 三蹄重種の歩みが止まって、車駕の軋みが静かになった。やおら外が騒がしくなった。

 集落に入る前に殿下一行と合流する手はずになっている。姫がお戻りになられたのかしら。姫のお顔を拝見するのは三日ぶりです。

 いそいそと姫の着替えを用意しているシャオチェの耳に、「竜にやられた」「怪我の手当てを」「マナの補充は」といった聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。

 御簾越しに外の様子を窺うと、わき腹を押さえたダキア殿下、従者のカイン竜騎士とマナ使いのリョウが、頭に麻布を被せられ後手に縛られたサピエンスの猟師とおぼしき不審者を引っ立てている。

 え?やだちょっとなにがあったんです??あの猟師はなんなんです?

「ちょっともう離せってば!」

「なんだこいつは」

「俺は怪しいもんじゃないって言ってんだろふざけんなこの唐変木!」

 もしかしてあれがアシルの宮司の仰ってたサピエンスなんです?

「静かにしろ」

「兵站の荷車に放り込んでおけ、集落で検分する」

 よかった、それよりシェリアル姫はどうなされたのです?なぜ一緒にいないのです???まさか姫にもなにかあったのですか????

 外に出るべきかどうしようか、迷ったシャオチェが輿の中で珊瑚色と山吹色のキトンを抱えてあたふたしていると、シェリアル姫が戻ってきた。

「殿下の白嶺を馬番の方に預けるのに手間取ってしまって」

 俯き加減の姫の声が微かに震えている。それを聞き逃すほどシャオチェは鈍感ではない。

「どうされたのですか!?」

 思わず咎めるような口調で問うてしまい、姫が弾かれたように面をあげた。その姿を見てシャオチェは声にならない悲鳴が喉から出たのを自覚した。三日ぶりに顔を合わせた姫の瞳が涙にぬれていたからだ。

「大丈夫です」

 シェリアル姫はそう言いかけたが、ぼろぼろと涙をこぼし、嗚咽を漏らし始めた。

 後々、シェリアルは「御簾の中の様子は外から見えない。ここにいるのは親身になってくれる侍女が一人。今は人目を気にしなくてもよい。そう思ったら、涙が止まらなくなった」そう告白してシャオチェを感涙にむせばせている。


 聞けば、殿下が竜を屠るのにしくじって軽いけがを負ったのだという。

 怪我をしたのが姫じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしたのがシャオチェの正直な本音だ。ダキア殿下は殿方ですし、まぁ多少の怪我くらい当たり前ではないでしょうか。

「サピエンスも捕まったし、これで一安心ですよ」

 と、慰めるが、姫は泣き止まない。

「私、何もできなかった」

「出来なかった、と仰いますのは」

 まさか記憶もないのに一緒に戦おうとしたんじゃ。想像してシャオチェは卒倒しかかった。

「私は、殿下が危険な目に遭っていたのに、ただ、見てることしかできなかった・・・・・・私に出来ることがあれば」嗚咽交じりに、訥々と訴える。

 シャオチェとしては心配極まりない。出来れば危険の及ばないよう大人しくしていてほしいのですが。そう言っても聞かないでしょうし。

「それでしたらマナを使って後方支援にまわるというのは」

「マナ?」

 シェリアル姫が小首を傾げる。

 可愛らしい仕草だけど、シャオチェは、何故姫がこんな反応をするのか一瞬訝しんだ。それから、思考を巡らし理由に思い当って愕然とした。

 ミアキスヒューマンにとってマナが見える。使える。それは当たり前の日常。今の姫はマナが見えていてもそれが何なのか知識がすっぽり欠落している状態なのだ。

 こんな大事なことを失念していたなんて。なんて不甲斐ない。

 涙を堪えてシャオチェはマナの説明をして聞かせた。

「つまり、私たちにとって欠かせない生活必需品、というわけです」

「そうだったのですね」

 涙の跡も痛々しいけれど、前向きな姫の笑顔。

「ありがとう、・・・・・・シャオ、」

 シャオ、って。それ私の愛称ですよ姫。多分呼びやすいから、そう呼んだだけだと思いますけれど、記憶が戻っているわけではないのでしょうけど、私を愛称で呼んでくださった。つられてシャオチェも嬉し涙をこぼす。

「さぁ、涙を拭いて、お髪を結い上げて。本日の晩餐のお召は春緑に藤色と薄桃の袍など如何でしょう」

 いそいそと手水鉢を用意してまっさらな白布を浸して絞ると、姫の顔を丁寧に拭いて、着替えの支度を始めた。






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