出立
サピエンスが馬と呼ぶ四脚獣は二種類いる。屠った竜や移動式天幕、兵站を牽引する大型の重種と、斥候伝令用の小型軽種だ。どちらも指の爪が奇数。ウサギに似た形の長い耳を持ち、首周りには胸部まで達する鬣を生やし、脚先は蹄まで柔毛で覆われている。三蹄の重種と違って一蹄の軽種は脚部がやや脆い傾向があるが、多少の荷なら背負わせることもできる。
はるか昔にサピエンスが乗りこなす技術を発見し、アシル神殿に伝えたのが始まりだ。サピエンスがミアキスヒューマンの移動速度に付いていくために必要不可欠な道具として広まったものなのだろう。俺たちミアキスヒューマンも体力を消耗せずに移動できる手段として重宝している。衣食住、灌漑農耕に並ぶサピエンスの恩恵の一つだ。
贅を凝らした行幸の列が駐屯地を出発する。
行幸中、姫が使う調度品と寝台を乗せた輿が一挺、式典用に飾り立てた白騎馬警護が三十騎、斥候兼任の歩兵小隊。供奉者として将軍、参謀、軍医が随伴。
兼ねて先触れを出した通りの日程で行幸を進める。俺たちは行幸の列から付かず離れず、距離をとりつつ並走する。怪しい振る舞いをする者が行幸の列に近づいてきたら捕縛する。
一番華やかな設えの輿から侍女が身を乗り出し、簡易な旅装束姿で見送る俺たちに手を振って挨拶してきた。
「姫様あぁ」
目つきが胡乱だ。シェリアル姫が心配なのか、姫と別行動をとるのが不安なのか、それとも姫の代理を務める自信が揺らいでいるのか。多分全部だろうな。
あの後「姫を泣かせてしまった」とめちゃくちゃ落ち込んで、朝もまだ引きずって憔悴しきってたし。そんな侍女を一目見た姫が逆に慰めてたくらいだ。
列の後方から、耳の先端がくるりと反った白毛と佐目毛の騎馬に跨ったラタキア、ジウスドラが近付いてきた。列から離れ、俺たちの前で下馬する。
「では我らは一足先に参ります故」
「手筈通り明後日に丘陵を越えた先の集落で落ち合う。侍女を頼むぞラタキア、ジウスドラ」
「承知致しました」
「殿下もお気をつけて」
「カイン、リョウ、殿下と姫をお頼み申す」
「了解っす。ラタキア将軍、ジウスドラ参謀」
「僕面倒くさい」
行列の最後尾が見えなくなるまで見送った後。
「姫」
「はい」
緊張を含んだ返事だ。
昨晩、打ち合わせが終わって後、部屋に戻るときに声をかけられた。
「殿下」
呼び止めたのはジウスドラだった。
「最悪、姫の記憶が戻らない事態も想定しておかれるべきかと」
全員、晴れの日に不愉快甚だしい余興を仕組んだ輩を引っ捕らえる気満々だし、俺もそのつもりだったから、ジウスドラの諌めは熱意に少々冷や水を差された様に感じた。
流石に表情に出ていたらしい「内心お察しいたします」と先手を打たれた。
反論をピシャリと封じた上でジウスドラは更に続ける。
「これだけ物々しい騒ぎになったことで、ただでさえ重責あるお立場の姫君には更に肩身を狭くされていると愚考した上で提案致します。殿下におかれましては逸るより片時も離れずシェリアル姫を支えて差し上げることも肝心かと」
つまり、過去よりも現在未来を見据えろと。
ジウスドラの提言は一理ある。そう思い直した。
「ああ、そうだな、有難う、頭が冷えたよ」
ジウスドラにはそう言ったけれど、また姫の記憶が消えているんじゃないか。また昨日の朝のように知らないに人をみる眼で見られたらどうしよう。そればかりが頭の中をぐるぐる回っていた。
正直朝を迎えるのが怖かった。
だから、目を覚ました姫に「おはようございます」と微笑まれた時はとても安堵した。
「その、俺は戦に明け暮れる日々でを送ってきたので」
毎朝リセットされるのでなければ。
「その、こういった私事で個人と密な時間をとる事があまり無くて」
なら、ここから記憶を積み重ね築いていくのもありなのでは。そう思った。
「上手い手解きが得手では無いのですが」
つまり、記憶があろうがなかろうが、一緒にいたい。
「ですから、その」
姫が了承してくれるなら。
「身分立場関係なく、一人の男子として、俺とお付き合いをしていただけますか」
茫然とした表情の姫の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「有難う、私で良ければ、ずっとお側におります」
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