密談
駐屯地はアシルの街を囲うように広がっている。幕舎司令部、兵の宿舎、騎馬の厩舎、練兵場を備える兵站の拠点だ。
毎年寒い時期になると山脈を越えてやってくる竜を迎撃する作戦本部だ。
いつもなら遠征が終わるとここで遠征軍は装を解き、次の時期の主力軍と交替するのだが今回は特別だ。婚礼を祝うため、そして行幸の随行に携わる全軍がここに集結している。
「慶事お喜び申し上げます」
「今日は無礼講だ、存分に飲み明かせ」
ラタキア将軍が祝辞を述べ、全軍が祝杯を掲げ、宴が始まった。ほどよく酒が巡り、主役が席を外しても問題なさそうな空気に満ちたころ合いを見計らって侍女と姫を促し、幕僚を呼んだ。
「ラタキア、カイン、リョウ、そしてジウスドラ、執務室に来てくれ」
まず姫と侍女、それから俺と同じ獅子系のラタキア将軍、クーガー種のカイン竜騎士、アシル出身のマナ使い、ギンギツネ種のリョウ、そしてサピエンス参謀のジウスドラ。最後に俺が入室し、執務室に全員が揃った。
「まぁ座れ」
栴檀のデスクが重々しい雰囲気を醸す執務室にはカーテンで仕切られた小会議スペースが設けられている。密談するにはこれ以上ない場所だ。グラディアテュール様式の内装の、鮮やかな色彩の円形絨毯を囲うように配置された座椅子に全員が座した。
「どうかされたのですか、殿下」
まずラタキア将軍が口を開き、俺が神殿で起きた出来事、つまり今現在姫には朝からの記憶しかない事をかいつまんで話すと、場になんともいえない空気が流れた。アシルの宮司がサピエンスの仕業、と口にした事は伏せた。今その情報は噤んでおくべきだ。何故かそんな気がした。
「それはまた」
ジウスドラがなんとも返答に窮したというような面持ちで顔をつるりと撫でる。
「夫婦の儀を控えて緊張しているにしては様子がおかしいとは思っとりましたが…」
「ジウスドラ、お前は50年以上生きている知恵者だ。記憶を無くす術に心当たりはあるか?」
問われたジウスドラはもとよりラタキア、カイン、リョウも首を傾げて俺の方に向き直った。
竜討伐では頭部を強かに打ちつけて記憶がとんだりするのはよくある。珍しくはない。
「頭部に強い衝撃を与えられたわけではなしに、という事ですかな」
頷くと、褐色白髪頭の爺は少しばかり考え、
「心に強い緊張を強いられた時などに起きると聞いたことはございます」
と返してきた。
「では喜びのあまり、という例は」
問うと
「有りませぬな」
先刻の夫婦の儀云々は助平心からの発言では無かったらしい。
はっきりしたのは、何者かが婚儀を妨害しようと画策しているのは間違い無い。それだけ。
何の進展もないな。
「何故そんな意味のないことを」
マナ使いのリョウが肩をそびやかす。
正直ここにきて、気が抜けただろう、ついぞんざいな口調が口をついて出てしまう。
「それが分かりゃ苦労はしねぇ」
「そうっすよねぇ」
俺が返事を吐き捨て、竜騎士のカインが相槌を打つ。
「なんで妨害したのかはとっつかまえた時に聞き出すとして」
輿には替え玉として姫の侍女に乗ってもらう旨、姫は別行動で俺が護衛する事を説明した。
「カイン、リョウは俺に随伴。ラタキア、ジウスドラは滞りなく行幸を執行。頼むぞ」
「了解」
「畏まりました」
「OKっす」
ラタキア、ジウスドラ、カインが快く承知する中、「なんで僕まで」と万事面倒くさがりのリョウが一人不満を漏らすのを聞き流し、俺はシェリアル姫、侍女に行幸の全行程を説明を始めた。打合せ、協議、段取りは大事だ。
100年以上前に描かれた地図を卓に広げるアシル、キンツェム、グラディアテュールの街、点在する集落を結ぶ街道は勿論、ハフリンガー大陸全土の山から川から森、湖、峡谷、砂漠、密林、岩山に至るまで全域の情報が網羅されている。他にも六角柱で出来た断崖絶壁や、滝つぼなんかの特徴のある地形を始め、底なし沼、毒霧の谷底、竜の通り道といった危険な地域も詳細に描き込まれている。便利な代物だ。
「まずは30日かけて、キンツェムの都キシャルに向かいます」
キシャルというのは100年前にキンツェムを治めていた王の名前だ。天変地異を憂い嘆き塔の天辺で祈りを捧げ、命と引き換えに大陸を護った伝説が残されている。奇遇だがグラディアテュールにも同様の伝説が残されている。
「キンツェムでヴァルダナール女帝に拝謁した後、アシルに戻ります」
「戻るのですか」
「キンツェムに向かうのもグラディアテュールに向かうのも一度アシルを経由しなきゃならんのですよ」
「この、シャイヤー湾を渡るというのは?」
シェリアル姫が、密林、砂漠の間に横たわる狭い海域、シャイヤー湾を指し示し、それを見た侍女が小さく嗚咽を漏らした。
シャイヤー湾。100年前の戦争の弊害以前の問題で、ここは開発のしようがない。海竜がうようよしているからだ。民を治める王族にとってはそれは常識でもあるから、普通ならまず言い出さない案。本当に記憶が無くなっているのだと改めて実感させられた。
記憶がないから理由は分からないけれど、変な提案をした事を察したシェリアル姫がうなだれる。
「仕方ありませんよ、記憶がないんだから」
分からないことがあるなら聞けばいい。分からないことを分からないまま黙っていたら問題が大きくなっていたなんてよくある話だ。
「情報の摺合せは大事です」
肩をたたいてそう言うと、うなだれたまま姫が頷き、すすり泣き始めた。
「あ......ちょっと席を外す。お前ら侍女を頼むぞ」
予期せぬ置いてけぼりに面食らいオタオタし始めた侍女を残して部屋を出た。侍女にはちょっと意地悪をしたい気分だった。
お前さんも動揺しているのは分かる。分かるが主を思い慕うなら感情を面に出すんじゃない。狼狽は伝播するんだ。
姫を先に退室させ、後ろ手で執務室の扉を閉めると、今度こそ本当に泣きじゃくり始めた。薄い肩が、か細い背中が震えている。
「ごめんなさい」
「姫は悪くないですよ。諸悪の根源は記憶を消したヤツですから」
ミアキスヒューマンは不安を感じた時、淋しくなった時など、尻尾を絡めあったり必要以上に身体を擦り付け密着するなど、仲間と密接な行動をとる習性がある。外見上ミアキスの特徴はないとはいえ姫も立派なミアキスヒューマンだ。
餓鬼の頃、むずかった時に母がしてくれたように、胸元で抱えるように抱き締め喉をゴロゴロ鳴らした。突然のなんの脈絡もない抱擁と思ったのか姫は最初驚いた様で。「あ、あの、殿下?」と狼狽えていたがだんだんと、呼吸と心拍が落ち着いて、まもなく体の芯から力が抜けたようにもたれかかって、寝息をたて始めた。
良かった。朝からずっと気を張りっぱなしだったんだもんな。今夜はこのままゆっくり寝かせよう。明日の出立は姫が起きてからでいい。
起こさないようにそっと抱き抱え直した時に、昨晩の夕餉の時に池のほとりで逢ったときと同じ匂いがした。
安心するとと同時に、何故か一方通行の宣託を繰り返すだけで話が通じないアシルの宮司を思い出した。
記憶を消したのはサピエンス。
それ以外情報がない。ほとんど「わかりません。お手上げです。諦めてください御愁傷様」と言っているようなもんだ。
姫を寝室に置いて執務室に戻ると、部下たちと侍女はすっかり打ち解けていて「何故戻ってきた?」という表情で全員に見つめられた。「打ち合わせがまだ終わってないだろう」と返したら全員にため息をつかれた。
なんなんだ。
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