呪い
「これは、呪いです」
王夫妻の後ろから、はっきりとした宣言にも似た陰気臭い声が響いた。
何時からいるのかわからないくらい、陰が薄い、黒装束の男がいた。目の部分だけが開いた紫紺の頭巾をかぶり、襦袢から袍から袴から羽織から全て黒一色。装束の様式から神主最高位の宮司だ。俺と姫の侍女が来る前から既に部屋にいたのかも知れないけど、発言するまで全く気配を感じさせなかった。なんか気味が悪い宮司だ。
「呪いとは」シュクル王妃が問うたが「姫をアシル城から出してはなりません」と無視された。
「呪いとは何ぞや」再度アシル王が問うたが、「呪いとは呪いである」と一蹴された。禅問答だ。
「姫をアシル城から出してはなりません」
大体この目出度い祝事に呪いなんて、誰がなんのために。この婚礼に関しては俺も当事者だから心当たりを考えてみたけど、俺に恨みを持ってる奴なんて白竜を始め討伐した竜どもくらいしか思い当たる節がない。
「姫をアシル城から出してはなりません」
君主が超高齢、直系血族は雌ばかり、シェリアル姫と年齢の釣り合う適齢期の雄王族がいない、と諸事情で参列するだけの蚊帳の外だったキンツェムの入り婿大公がちらりと俺とシェダル兄に視線を寄越す。
「姫をアシル城から出してはなりません」
「ではこの巡幸旅行はなかったことになるのか?ああ国では女帝がまっておられるのに」
と聞こえよがしに嫌味を口にして、横に並んでいた故キンツェム帝の妹皇女、つまり大公の奥方に足を踏まれた。
「今そんな話をしている場合じゃないでしょう」
「そんなきつい物言いをしなくたっていいだろう、大体お前だって」
奥方の窘めが気に入らなかったのか口喧嘩まで発展し、部屋の隅で大公夫妻が言い争いを始めた。その様子にシェリアル姫は身をすくめて、もはや身の置き場がないといった風に委縮しきっている。
「姫をアシル城から出してはなりません」
見かねて止めに入ったら「第三者が口を挟むな」とユニゾンで怒鳴られた。
夫婦喧嘩は犬も食わぬだ。
降ってわいた凶事に不穏で険悪な空気が満ちていくなか、宮司は「とにかく、姫は城から出してはいけない」の一点張り。埒が開かない。
「せめて、呪いをかけた下手人はわからないのですか」
アシル王妃が黒づくめの宮司に問う。
その悲し気な声に宮司がぎこちなく体を震わせた。
その動きは、俺には「誰が」を問われると思ってなかった、虚を衝かれたように見えた。
やや間をおいて頭巾の奥からくぐもった声音がつぶやくのが聞こえた。
「サピエンスなり」
俺は唸った。
この悲愴感と険悪なムードに満ちた神殿に、記憶喪失状態のシェリアル姫を独り置いていくのは心苦しい。でも、この場でああだこうだ考えるより動け、調べろ。だ。なんかわからんがそんな気がする。
「俺が姫の記憶を消した下手人を探してきます」
幸いアシルの街には大規模な駐屯地がある。婚礼のために遠征からまっすぐアシルに直行したから討伐隊はまだ逗留しているはずだ。そして主力部隊には俺の代から登用したサピエンスの参謀がいる。100歳越えのキンツェムの婆さんより長く生きているから何か知ってることがあるかもしれない。
「ダキア」
何を言い出すんだといった顔でシェダル兄が俺に向き直る。
「お前が退席を申し出してどうするんだ」
「俺だって王女殿下が心配だ。だけどここで手をこまねいているよりはマシだろう」
「待ってください!」
唇まで血の気の引いた青白い顔で、かぼそい身体を震わせて、シェリアル姫が叫んだ。
「私の身に降りかかった事なのです、他人任せにはできません。私も参ります」
心臓が痛んだ。姫に他人と言われた事がひどく辛く堪えた。
本当は、記憶を無くした姫を見ていたくなかったのかもしれない。
そしてこの時、この場にいた誰もがあることを失念していた。サピエンスはミアキスヒューマンのつくった治癒と解毒、炎のマナ以外は使えないことを。
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