第15話 おお、罪深き三日月よ

 生地がまとまったら、またボウルに入れ、一回り大きいボウルにぬるま湯を入れて濡れ布巾を被せ、一次発酵。これも水の精霊ウンディーネ土の精霊ノーム、それと火の精霊サラマンダーに頼んで時間短縮。普通に作ってるときから見たらあり得ない速さでガスが発生して生地が膨らみ、そこに指を突っ込んで発酵具合を確かめる。うん、ヨシ。


 ガス抜きをしたら今度は風の精霊シルフィードと水の精霊と土の精霊に頼んで、生地を冷やしつつ休め――ようとしたら。


《お礼をくれるって言ったのに、もらってないよ、エルフの子》


 風の精霊に怒られてしまったー!

 そうだ、昨日ザムザさんとフランカさんを追跡したときに助力を頼んでお礼を約束したのに、今朝ころっと忘れてた!


「ごめんね、これができたら分けてあげる」

《それならいいよ、おいしくなあれ》


 おお、風の精霊の食い意地――じゃなくて祝福が入った。これはうまくできる予感。

 バターと生地を冷やしてもらい、バターは麺棒でごんごん叩いて適当な大きさに伸ばし、また超速で寝かせ終わった生地を広げて真ん中にバターを置く。そして、生地の四隅を、真ん中のバターを包むように折って、延ばす。


 折って、延ばして、折って、延ばして――バターがたくさんの層になるように。

 そして、最後は延ばした生地を細長い三角形に切り分け、くるくると細い方に向けて丸めていく。

 真ん中が盛り上がったパン生地は、両端を少し内側に入れて、三日月の形になるように成形。そう、私が作っているのは、バターたっぷりで美味しいに決まってるクロワッサン!


 これをまた精霊たちに頼んで二次発酵させている間に、釜の方を準備してもらった。

 パン屋さんは器用にくるりと生地を巻いて形作った私に感心し、途中からいくつか質問が入ったりした。

 私が口頭で教えるレシピを書き留めるために、羊皮紙を引っ張り出してきて、そこにメモをしている。


 そして釜がいい温度になったとおじさんが教えてくれ、そこにパン生地を入れて焼き上げは任せる。

 映画でしか見たことがない設備だし自分で触ったことがないから、焦がさず焼く自信がないもので。


「エイリンド様を呼んできます」

「私が行くわ。多分街の外に出てると思うから」


 私の見張り役であるフランカさんがいなくなるのはダメなのでは? と思ったけど、もうすぐエイリンド様に負けを認めさせられるので大丈夫かな。


 そして、ちょうどクロワッサンが焼き上がろうとした頃に、3人が帰ってきた。


 二次発酵の段階で膨らみ加減を調節したから、思った通りにクロワッサンが焼き上がり、バターの香ばしい香りが辺りに漂っている。


「いい匂いだな」

「これは楽しみだ」


 ザムザさんが真顔でごくりと唾を飲み込み、パン屋さんはもう笑顔で釜をチェックしている。

 さあ、出でよ、罪深き三日月クロワツサン


 焼きたてクロワッサンが掴めるくらいまで冷めてから、私たちはそれをひとつずつ手に取った。私は生地が層になって剥がれるのを知ってるので、ちょっと剥がして精霊たちにお礼としてテーブルの上に置いた。


「どうぞ、食べてみてください。エルフの秘術で作った三日月パンです」

「私の知らない秘術があってたまるか……これは、見たことがないものであるのは間違いないが」


 エイリンド様は怒ったような顔でクロワッサンを睨み、匂いを嗅ぎ、「うう……」と眉を寄せた。

 これは……あらがってるな、いい香りの誘惑に。

 だって、この人昨日の夜から何も食べてないんだもん。お腹空いてるはずだから、そこにこの香りは食欲を刺激してきついはず。

 でも、食べるの自体がなんか負けを認めるようで嫌なんだろうな。


「エイリンド様、食べてみてください。大丈夫です、お肉が入ってたりはしませんから」

「それはわかるが……」

「それとも、食べられないものを作るような弟子を育てたつもりですか?」

「そんなことがあるわけない!」


 勝った。私はそう思った。

 そして、エイリンド様は意を決したように端っこをパクリと口に入れ――。


「おい……しい……」


 呆然と呟いたと思ったら物凄いスピードで完食した。

 あったりまえじゃん! 思い知ったか、バターのうまさ!!

 もちろん私も食べてみた。覚えているレシピ通りに作ったけど、ここには上白糖とかはない。粉の味も違うし、酵母も純イーストじゃない。

 でも、私が食べたコレは、サクサクとして香り高い、紛れもないクロワッサンだった。


「あああ……バターによるカロリーの暴力! カロリー高いものは美味しいに決まってるんだよ! それでも食べるのは美味しいからだっ!

 風の精霊と水の精霊がいい仕事をしてくれた! ちゃんと生地を冷たいまま延ばせたから、生地がこんなに綺麗な層になって! 口の中で層が砕ける感覚が至福! 外側はパリッとしててサクサクだし、内側はバターの芳醇な香り! このふんわりとした軽さもバターの賜物! 生きてて良かった!」


 最後の一口を食べるのがもったいないと思うほど、幸福感が口の中に広がっていく。んまぁー!


「初めての食感だわ……こんなに軽いパンは食べたことがない」

「小麦粉だけでパンを作るのがまず贅沢だが、こいつはとんでもないパンだなあ。王侯貴族にでもなった気分だよ」

「うめえなあ! ルルがこんなものを作れるとは思わなかった。これは金を積んだからって食べられるもんでもねえな」


 人間3人は興奮気味にクロワッサンを褒めちぎり、未体験の味に存分に驚いてくれた。

 うん、あの重たいライ麦パンを食べ慣れてたら、これは衝撃的だよねえ。

 バターをこんなに贅沢に使ったこともないだろうし。


「エイリンド様、この三日月パンには、牛の乳から作ったバターというあぶらが使われてます。そりゃもうたっぷりと。バターと生地で層を作って、焼いたときにバターが溶けるからこその、この重なり合う美しい層とサクサク感が生まれるのです! 美味しかったでしょう? バターは偉大でしょう? 動物性脂肪の何が悪い!」

「くうううう……認めたくはない、認めたくはないが既に私は『おいしい』と言ってしまった! 認めたくはないが、私の負けだ。認めたくはないが!」


 地団駄を踏む美形エルフ……認めたくはないって4回言ったよ。余程悔しかったんだろうなあ。

 でもまあ、エイリンド様との勝負がなければ私は肉のことばかり考えてクロワッサンを作ろうとは思わなかったから、クロワッサンに免じて許してやろう。


「バターを冷たいままで生地をのばすのがコツなんだったな? すると、エルフのように精霊の加護がない限りは冬しか作れないか。これを領主様に献上すれば凄いことになりそうなんだがなあ」


 あっ、それはそうだね。これから季節は冬に向かうけど、いつでもどこでもってわけにいかないのがこの時代の問題点。


「これを再現して献上したら、エルフに教わったって言ってもらえます?」

「もちろん、その方が珍しがられる!」

「ちょっと待ってくださいね。風の精霊、水の精霊、このパン屋さんに力を貸してくれる?」

《毎日おいしいお礼をくれるならいいよー!》


 お、クロワッサンの欠片を食べた精霊たちが凄く満足そうにしてるね。相当気に入ってくれたみたい。


「じゃあ、このパンを焼いたときにはこの欠片を、そうでないときにも毎日パンの欠片、それとはちみつで手伝ってくれる?」

《このお店は釜を大事にしてるから居心地がいいんだ。エルフの子のお願いなら特別に手伝ってあげる》

「やった! おじさん、私が生地を冷やすのを手伝ってもらった水と風の精霊が力を貸してくれるそうです。精霊の声は聞こえなかっただろうけど、今私が言ったみたいに、このパンを焼いたときは剥がれたところでいいのでその欠片を、そうでないときは普通のパン、それと蜂蜜をほんのちょっぴりでいいので、精霊たちへのお礼として用意してあげてください。人間の声は精霊に聞こえてるので、頼めば生地を冷やしてくれますよ」

「おお……精霊の加護が俺にも!? なんとありがたいことだ」


 カルビン村とターチィを見た感じ、人間の中にも時々精霊の加護が付いてる人がいるんだけど、本人は気づいてなかったりするのかもね。

 これでおじさんは、いつでもどこでもクロワッサンの生地を作れるようになった。貴族向けでもいいから売り出してくれれば、いつか広まるかな。


 そして、このすんばらしいパンを人間に伝えた私は讃えられるって寸法ですよ!


「私はルルエティーラです。これからも人間の街で美味しいものを食べたいので、人間に友好的なエルフもいるって周囲に教えてくださいね」

「ルルエティーラだな、感謝するよ。このパンは必ず評判になる!」

「いえいえ、こちらこそ。大事なパン種を分けてくださって、初対面のエルフに力を貸してくださって本当にありがとうございました」


 私がパン屋さんにぺこりと頭を下げたら、またエイリンド様が死にそうな顔になっていた。


 勝負は私の勝ちだ! これで堂々と旅を続けられるぞ!

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