第4話 きっとそれは
学祭は大成功を収めた。
ただ、学祭が終わりを告げると私はもう生徒会室に行く理由がなくなり、先輩と話すことは無くなった。
それもそのはず、彼は受験シーズンに突入、廊下で見る機会もガクッと減り、ほとんど会えなくなっていった。
あれだけ会いたくないと思っていたのに、私の視線はいつでも先輩を探していた。あの心地良い声を、柔らかな笑顔を見つけたくて。
会えなくなったので当然チョコレートについて先輩から何か言われる事はなかった。差出人が私だとも知らないはずだから当たり前だ。別にお礼が欲しくて差し入れた訳じゃないからそれはいい。
ただ……時間が経つにつれ、あの暗闇の中で自分がしたことを後悔していた。誰から貰ったかも分からないチョコなんて、先輩は迷惑じゃなかっただろうか。ううん、私だと知っていたところで、それでも迷惑だったかも。
あの時は達成感に満ちていた心はどんどん暗く沈み、ただ後悔に包まれていた。
季節はめぐる。毎日同じような日々を繰り返し、気温が変化していく。涼しい秋から寂しさの残る冬へ、そして温かみの感じる春へ。美しい四季の変わりを肌で感じながら、その日はゆっくりと近づいてきていた。
3月1日、卒業式。
あれからほとんど会うことがなくなった先輩が、この学校からいなくなってしまう日だった。風の噂で、志望していた大学に合格したらしいということだけ聞いた。せめておめでとうございます、ぐらい言いたかったが、そんなタイミングもキッカケも存在しない。
その日は天気は雲ひとつない快晴だった。胸に赤い花をつけた卒業生たちがスマホを片手に記念写真を撮っている。晴れやかな顔、泣いている顔、いろんな表情が写真に収まっていく。大勢の卒業生たちに混じり、在校生も知り合いの先輩に話しかけて写真を撮っていた。
そんな人たちから離れた場所で、私はポツンと一人物陰に隠れて立っていた。
先輩と、どうしても話したかった。写真が撮りたかった。自分にしては珍しくそう意気込んで教室を出たはいいものの、こんな内気な自分にはかなりハードルの高いことだったのだ。
右ポケットに入ったスマホを触る。何度目か分からない行為だった。足を踏み出そうとしては鉛のように重くなりまるで動けない。はあと深いため息をついて俯いた。
遠野先輩は人気者だ。同級生、そして後輩からも写真をせがまれて対応していた。その輪の中に入るほど自分が明るければよかったのに、残念ながら内気な自分は近づくことすら出来なかった。
学祭で色々お世話になったから。記念として、写真一枚撮ってもらいたいだけ。みんなそう思って先輩たちに群がってるじゃない。
写真撮ってください。その一言がどうして言えないんだろう。
頑張れ、自分。一言頑張るんだ。そう激励しながらも動いてくれない足。何分も何十分もその場で立ち尽くし、ついに情けなさで涙が出てきた。
「須藤さん」
聞き覚えのある声がしてはっと顔を上げる。眼鏡に隠れた瞳に映ったのは、遠野先輩だった。彼が目の前に立っていたのだ。驚きで目をまん丸にする。
「あ、やっぱり。久しぶり」
「あ、せ、どう、も」
唇が震えて声が上手く出ない。まさか、先輩から声をかけてくれるなんて。泣きそうだった顔を慌てて抑えこみ、私は深々と頭を下げた。
「答辞、素敵でしたっ!!」
「あはは、どうもありがとう」
「あの、しゃ、写真を一緒に撮ってもらえませんかっ……学祭の時、たくさんお世話になって……あの」
「うん撮ろう!」
明るく先輩はそう返事してくれた。ほっとしてその顔を見る。先輩の黒髪は少し短くなっていた。卒業式のためにカットしたのだろうか。
私はようやく出番のやってきたスマホを取り出すと、情けないことに緊張で手が震えていた。どうしていつも先輩相手だとこんなに緊張してしまうんだろう。馬鹿みたいに手先が言うことを聞かない。
それでもなんとかカメラを起動すると、先輩がすっと自然に私の隣に並んだ。ほんのわずかに肩が触れる。たったそれだけで、とうとう自分の心臓は爆発してしまったのかと勘違いするほどにうるさく鳴り響いた。
「と、とります、はい、3、2、1……」
こんなに震える手でブレずに写真を撮れているのか心配だった。カシャっと音がしたのち、すぐにそれを確認する。幸いぶれてはいないようだが、私の表情はカチカチでお世辞にもいい笑顔とは言えなかった。
それでも、隣で笑う先輩の笑顔がちゃんと写っているからそれだけでいいと思った。画像を見て微笑む。
「あの、ありがとうございました、お忙しいのに……」
「あれ、待ってよ、俺のスマホでも撮らせてよ」
笑いながら言ったその言葉にぎょっとして目を見開く。先輩は本気らしく、携帯を取り出して操作していた。
「はい、もっと寄って寄って!」
再び距離の無くなった肩が熱い。先輩のフォルダに残るのなら、ほんの少しでも可愛く撮れていたいと願った。これからの人生一生写真写り最悪でいいから、どうか今日だけ奇跡の一枚になってほしい。必死に笑顔を作るけれど、頬がプルプル震えている。
力が入って上手く笑えないまま無情にもシャッター音が鳴り響く。結果は悲惨であることは目に見えていた。
「はい、ありがとー!」
「こちらこそ……ありがとうございました」
深々と頭を下げる。私が一人困っているのに気がついて声をかけてくれたんだろう。さすがの生徒会長様だなと痛感した。最後まで助けられっぱなし。
性格も何もかも私とは正反対。卒業したらきっと二度と会えなくなる存在だ。
彼を見かけると不思議な気持ちになった。たくさんの人たちの中でもすぐに見つけられた。その不思議な現象もきっと今日で終わりなんだ。
会うのは、最後。
「須藤さん、文化祭お疲れ様だったね。って凄い今更だけど」
「い、いえ。こちらの台詞です。先輩こそお疲れ様でした」
「須藤さんに言わなきゃいけないことがあった」
「え?」
風が吹いて彼の黒髪を揺らした。メガネ越しの先輩は、なんだかやたら輝いて見える。おかしい、ここだけ照明が当たってるみたいなんだもの。
「マーブルチョコ。須藤さんでしょ? ありがとう」
そう言って笑った顔の目尻には、やっぱり彼の人柄を表すような優しい皺ができていた。
私に笑いかけてくれた顔を見た途端、何故か一気に冷静になった。ずっとモヤモヤしていた頭がすっと晴れる。
目の前が見えない霧だらけの世界を歩き続けているような感覚だった。手探りでしか進めなかった道が、ようやく見れた。
ああ、そうか。私、そうだったのか。
最後の最後で自覚したよ。この気持ちが何なのか。
「え……ど、どうしてわかったんですか……」
「んー? 名前もメッセージも残さず差し入れてくれるのが須藤さんらしいかなって。お礼言わなきゃって思ってたのにずっとタイミング逃してた、ごめんね」
「い、いえ、ご迷惑じゃなかったですか……」
「まさか! 学祭前日で疲れてたから、すっごくありがたかったよ。
ありがとう!」
あの日自分がした行いをずっと後悔していた。だが真っ暗だった心が今、今日の空のように晴れていった。
目を細めて笑う先輩に、胸が締め付けられる。この言葉を、この笑顔を一生忘れたくないと思った。他のこと全てを忘れたとしても、この記憶だけは残しておきたい。
こんなにも苦しい想いは、きっと一生経験できないだろうとすら思った。
「……あの、せんぱ」
振り絞った声が小さく響いた時、それを掻き消すかのように大きな声が背後から聞こえた。
「祐希ーー!!」
はっと振り返る。
ロングヘアの人が、こちらに向かって手を振っていた。
「おー! 今いくー!」
声を張り上げてそれに返事をする。その先輩の顔は私の前とはちょっとだけ違うように見えた。私には見せることのない、そんな顔。
そんな顔を見ながら、手の中にあるスマホを強く握りしめた。
臆病な私はそう簡単には治らない。ここでこの気持ちの正体を伝えることができたなら、きっと私は少女漫画の主人公になれたのに。
そんなことは絶対にできない、やっぱりただの登場人物Aなんだ。
「ごめん、須藤さん何かいいかけた?」
首を傾げて私に話しかけてくれる顔を見て、一つだけ決意した。
ぐっと背筋を伸ばす。
あなたにお礼が言いたい。叶わない想いでも、私を成長させてくれたことに。脇役でも脇役なりに、最後はしっかり締めたい。これは登場人物Aの小さな頑張り。
先輩の中の最後の私がどうか、ほんの少しでも堂々としてますように。
「ご卒業、おめでとうございます!」
その顔はきっと、今までの中で一番の笑顔。
「うん、ありがとう!」
「学祭、先輩のおかげで楽しかったです!」
「須藤さんも、よく頑張ってたね」
笑顔の私に手を振ると、彼はくるりと背を向けて歩きだした。紺色のブレザーが遠ざかっていく。その向こうには、先輩の彼女が微笑んで立って待っていた。
二人並んだ姿をじっと見つめて見送る。俯かずに、目を逸らさなかった。頭の中にいろんなシーンが蘇る。初めて会った時のマーブルチョコ、企画書を褒めてくれる優しい声、答辞の時の凜とした表情、笑った時の世界で一番の顔。
私は『それ』が何なのかずっと分からなかった。
分かるのが怖かった。
でも気づくのも悪くない。悲しくて辛いけど、普段背中を丸めがちな私が胸を張れたから。
スマホを取り出して写真を眺めた。表情の固い自分の隣に、笑うあの人。
きっともう二度と会うことのないだろう優しい笑顔に、ちょっとだけ涙した。
完
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きっとそれは恋だった 橘しづき @shizuki-h
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