第3話 マーブルチョコ



 それから時折訪ねる生徒会室は、私にとって更にハードルの高い場所になってしまった。


 なぜか先輩と会うのが恥ずかしくて嫌だった。あまり話したくないと思った。


 それと同時にノックをする寸前はまるでアトラクションに乗る前の子供のようにワクワクした気持ちになるから意味がわからない。


 先輩はいつでも生徒会室にいた。時々他のメンバーもいたけれど、企画書の確認は基本会長である先輩の役目らしく、毎回彼に私の幼い字を読まれる羽目になる。少しでも綺麗に書きたいと思ってしまい、書くのに更に時間がかかる結果となった。


 ただ生徒会室だけでなく、この前のように廊下でもたびたび先輩を見かけることがあった。同じ校舎にいるのだから当たり前のことだ。


 彼はいつもたくさんの友人に囲まれていた。戯れながら、笑いながら歩いていた。時には、早苗が言っていた彼女さんと歩いているのも見かけた。


 髪が長くて綺麗な女性で、同性の私ですら見惚れてしまいそうな人。私とはまるで違ったタイプの人で、まさに主人公タイプだと思った。そんな彼女さんと並んで歩く先輩はいつもより大人びた表情をしている気がした。


 そんな先輩の姿を見つけてはまた心臓がムズムズする不可解な現象に陥っていた。あまり見たくないのに、どんなにたくさん人がいても先輩だけは必ず私の視界に入ってくる。見たくないのに見つけてしまう。


 そして馬鹿みたいに見つめている私と目が合うと、彼はこんな地味な私にも挨拶をしてくれるのだ。


 小さく手を振って白い歯を出して笑う。


 その顔を見た途端やっぱり私は苦しくて、ただ会釈をするだけで必死だった。笑い返すことさえできなかった。





 もう何度目かわからないノックをする。


 提出すべき書類を片手に、いつものように気持ち悪い心臓の感覚と戦いながらその扉を開けた。


「失礼します」


 ガチャリと戸を開けると、そこには誰もいない真っ暗な生徒会室があった。並ぶ長机、椅子、たくさんのファイルにコピー機。


「……留守かな、珍しい」


 独り言を呟いた私だが、それもそうかと納得する。なぜなら学祭の本番は明日なのだ。生徒会の人たちが忙しいのは当然と言える。今日ばかりは生徒会だけでなく、全校生徒が遅くまで残り明日の準備に励んでいた。今現在もとっくに外は暗くなっている。


 クラスの出し物はなんとか順調に進んでいた。トラブルも起こったりもしたけれど、なんとかクラスメイトと協力してやってこれた。あとは明日の本番を迎えるだけだ。


 ふとすぐそばのホワイトボードに赤字で大きく書かれている内容が目に入った。


『提出書類は 遠野の席の上に』


 なるほど、置いておけばいいらしい。私は入り口の扉を開けっぱなしにしたままキョロキョロ見渡し、先輩の机と思しきところを見つける。私の前にも何人か提出にきたらしく、何枚も書類が乗っていたのだ。


 会えなくて、よかった。


 そう思い緊張が解けたと同時になんだか落ち込む自分もいてよくわからなかった。来る前に無駄に直した髪型を触る。髪なんて気にして、何をやってるんだろう私は。


 ツカツカと薄暗い生徒会室に足を踏み入れ、先輩の机の上に書類を置いた。さまざまなメモが貼られている。どれも書き殴ったような字で、先輩ってこんな字を書くんだと微笑んでしまう。


 何となくそのメモにそっと手を触れた瞬間、バタンと大きな音がして辺りが真っ暗になった。驚きで顔を上げるが、単に開けていたドアが閉まり廊下からの明かりが遮られただけだった。ほっと胸を撫で下ろす。


 しかし暗くなった生徒会室にいるのが何だか悪いことをしているみたいで、慌てて出口へと向かおうとした時、ふと思い出す。


 私はポケットからあるものを取り出した。


 マーブルチョコだった。


 あの日先輩が落としたのを見かけてからずっと、私もこのチョコをポケットに忍ばせていた。誰にも見られないように注意しながら、こっそり持っていると元気が出る気がして。理由はよく分からないけど。


 それをそっと机の上におく。


 今日はまだ食べてないから未開封だし、学祭の準備で忙しいであろう先輩にせめてもの差し入れのつもりだった。


 誰もいない部屋、暗い場所。それらが私にそんな行為をさせた。一人きりという確かな空間が、私に妙な勇気をもたらせた。


 だがそれを置いた途端、かっと顔が熱くなる。ただ先輩に食べ物を差し入れするだけなのに、恥ずかしくてたまらなかった。誰かに見られていないか周囲を見渡す。当然誰もいない。いるわけがないのだ。


 メモも何も残さなかった。そんな恥ずかしいことできっこない。私は慌てて机に背中を向けて生徒会室から飛び出した。


 扉を開けると眩しさに襲われる。無人の廊下を見てほっとする。安いチョコを置いただけなのに、なんでこんなに緊張しているんだろう。


 私だと気づくだろうか。気づくわけがないと思った。他にも書類提出にきている人は大勢いる。気づかなくていい。ただ、美味しいなって休憩時間に食べてくれればいい。


 心は小さな達成感が芽生えた。なんだかドキドキして頬が緩む。もし万が一、私だって気づかれたらどうしよう。それはそれでちょっと嬉しい気がするのはなぜなんだろう。


 私は渇いた唇をそっと舐めながら廊下を駆け出した。空に飛んでいけそうなほど足取りは軽かった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る