第11話 2024/01/01 明けたけど
新年が明けた。そしていきなり能登で大地震である。自分の住んでいるところは震度三だったらしいが、もの凄く気持ちの悪いゆーっくりした揺れが長く続いた。幸いこの辺では大きな問題は起きていないものの、石川県では建物の倒壊なども発生している模様。大津波警報が出ている。スマホの通知がえらいことになっている。これ以上大きな被害が起こらないよう祈るばかり。
私はこういう大規模災害には弱い。情報に飢えてテレビから離れられなくなってしまう。そして安全な場所から他人の不幸を見つめる自分に嫌悪感を募らせ、罪悪感を胸に溜め込み、やがてそれらのストレスで潰れるのだ。まったく始末に負えない。
いい加減大人なのだから、その辺は自分でコントロールできなければいかんのだろうが、なかなか思うように行かない。たぶん人並み外れて臆病なのだと思う。
それにしても、いつまで経っても大津波警報が解除されないな。警報が出たままで追い打ちをかけるように大きな余震が連発している。日本海側の人はたまったものではないだろう。何とも嫌な新年の始まりだ。
震源地近くの病人や家族は大変ではなかろうか。この大地震の影響がどれだけ続くのかまだ不明だが、三が日が明けて病院が再開しても通院できるかどうか。自分がその立場になったらと考えるとぞっとする。病院の建物自体は頑丈だろうし、いまどき震度七で倒壊することもないとは思うが、中の設備は無事では済むまい。速やかな支援が望まれる。
仏教、というか観音信仰だと思うが『代受苦』という考え方がある。元々は人間が受ける苦難を観世音菩薩が代わりに引き受けてくれるというものだったが、やがてそれが人間世界に降りてくる。つまりこの世界で不幸な目に遭っている人は、誰かの苦しみを代わって引き受けてくれているのだ、という訳だ。
個人的にはこの代受苦という考え方を支持しているでも信じているでもないのだけれど、今回のような大規模災害を見るたびに自分が安穏としていられることに罪悪感を覚えてしまう。いや、罪悪感を覚える自分に安心しているところもあるのかも知れない。そんな自分を卑しく思ったりしていると、また頭の中が堂々巡りになって気分がどんどん沈んで行く。本当に始末が悪い。
また能登に震度五強の揺れが起こった。いくら何でも続き過ぎではないか。一回や二回ならともかく、こうも続くと明日の朝には建物の倒壊件数がもの凄いことになるやも知れない。何とかならんものなのか。……何ともならんのだよなあ。人間は大自然の前には無力である。その中でも私はことさらに無力である。何もできない。
いまはテレビを切り、ネットを閉じて落ち着くべきなのだろう。何もできないくせに一人で潰れていても意味がない。とにかく、被害が拡大しないことを祈るのみ。
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