エピローグ

エピローグ 1

 音声を公表した日、俺たちは警官に呼ばれ、騒ぎを起こした説教と共に事情を聞かれることになった。

 そこは紫子さんで、これまでの織田の悪行を打ち明けて、きっちり裏を取ってほしいと頼んだ。散々話を聞いた後で、警官は困ったように「課が違う」と刑事課の刑事を呼んだ。紫子さんは忍耐強く、まったく同じ話を繰り返した。

 警察への協力は積極的にしているが、織田が現役大臣ということもあり、すぐに逮捕とはいかないようだ。慎重に調査をしていると思われる。

 しかし、マスメディアのフットワークは軽い。

 毎日のように織田の自殺教唆の音声がテレビやネットで流されて、織田は公から姿を消していた。療養のため入院していると一部で報道されている。

 俺たちが選挙演説の場であんな大立ち回りをしてみせたのは、このマスコミュニケーションの力を借りるためだった。

 自殺教唆の時効は過ぎている。その他の罪については証拠がない。警察は簡単に動かないだろう。それならばと、世論を味方につけることにしたのだ。

 それは、一億総メディア時代を上手く活用したともいえる。あの日の織田と紫子さんのやりとりはたくさんの人が録画し、ネットにアップされていて、揉み消すことなどできない。

 これは時に、検察もすると言われている手法だった。どうしても要件が足りずに立件できない。しかし、世間的には償わせるに足る罪である。そう判断した時、法で裁けないならとマスメディアにリークするのだ。

 マスコミに悪い印象を持つ者もいるだろうが、弱者が泣き寝入りせずにすむ救済としても機能するのだと、改めて知った。

 因みに紫子さんは、自殺教唆のオリジナル音源をお得意先の週刊誌に売ったようだ。他の媒体がその音声を使うたびに、お得意先の出版社に使用料を払わなければいけないので、お得意先は儲かり、紫子さんはその編集部に恩を売れるという、ウィンウィンな関係だった。

「紫子さん、部屋は決まりましたか?」

 俺は車の運転席で、マンションの出入り口から目を離さずに尋ねた。

 このマンションには、若手の人気俳優が住んでいる。

 昨日は業界の飲み会があり、アイドルをお持ち帰りしていた。そのアイドルグループは、恋愛はご法度だ。彼女を調べるためにいくつかインタビュー記事を読むと「私の恋人はファンです」と答えていて苦笑してしまった。このアイドルは火遊びが好きなようで、事務所は火消しに追われていると聞く。

 お持ち帰りの現場は別のカメラマンと記者が記録していて、長時間労働になってしまったため、俺と紫子さんが彼らと交代した。長期間張り込む場合は、こうやって交代しながら、ターゲットを追跡し続けることもある。

「なかなかいい部屋が見つからないのよね」

 紫子さんはシートに靴を脱いだかかとをのせて、膝の上に頬杖をついてマンションの窓を見ていた。俳優の部屋の位置はわかっているので、窓やベランダに動きがないかチェックしているのだ。

 ――紫子さんの部屋が放火されてから、二週間ほどが過ぎた。

 あれから俺たちの同居生活は続いている。

 紫子さんが食事を作ってほしいとねだるので、俺の料理スキルは上がり、キッチンには調味料が増えていった。せっかく料理が上手くなってきたのだから食べてくれる人がいなくなるのは淋しい気もするけど、あの部屋に二人は狭すぎた。それに、異性がいると気が休まらない。

「ボヤオはそんなに早く私に出ていってほしいわけ?」

 紫子さんは視線だけ俺に向けた。ちょっと拗ねているようにも見える。

「そんなことないですけど。紫子さんこそ、あんなに洒落たマンションに住んでいたんですから、安普請じゃ嫌でしょう」

「別に。食事付きだし、移動が楽」

 俺たちはコンビを組んでいるので同じ現場が多かった。いい足にはなっているだろう。

 紫子さんが家事をすることはないが、食事代などはもらっていた。いらないと言っても押しつけられてしまう。

 正直に言うと、とても助かる。大きな出費をしたばかりだからだ。

 張り込みには車が必須なのだが、愛車のアルトが炎上してしまったので、思い切ってミニバンのヴェルファイアを購入した。高価なので中古で精一杯だったけれども。

 この費用も「自分のせいだから」と紫子さんが払うと言ってきかなかったが、そもそも紫子さんのせいではなく、織田のせいなのだ。紫子さんが支払うのも違う気がして、こちらは紫子さんがいないときに一人で購入してきた。

 結局、「大きな車にした方がいい」という紫子さんの言葉どおりになってしまった。

「織田の件、すべて明るみに出るといいですね」

「そうね。時効のものばかりでイヤになるわ」

 紫子さんは形のいい唇をすぼめた。

「誘拐の時効は五年ですか。短いですよね」

「刑にならなくても罪は消えない。私が織田に誘拐されたって証拠は、きっと出てくるわ」

 紫子さんは、なぜか自信満々だ。

「なぜわかるんです?」

 紫子さんは膝を抱えてニヤリと笑った。人差し指を立てる。

「監禁された部屋の壁に、指先を噛んで血痕をつけたのよ。初めは髪を落としたんだけど、すぐ劣化すると思って。血液ならまだ採取できるんじゃないかな。そんな諸々から、実刑になるような罪が芋づる式に出てくるはずよ」 

「……」

 俺は驚いて、立てられた細い指先を凝視してしまった。

 画像で見た紫子さんは、この世のものとは思えないくらい可愛かったのに。九歳の紫子さんも、既に今と変わらないじゃないか。

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