掴み取った真実、そして―― 11

 トランクの上から液体燃料でもかけて火をつけたのだろう。後部の表面が燃えているので、まだ点火されて間がないようだ。

 炎の規模が小さいとはいえ、近づくのは危険だろう。ガソリンに引火したら一気に燃え広がり、爆発するかもしれない。

 なまじ原型をとどめている分、悔しい。丸焼けになっていれば諦めもつくのに。

(油断したな。まさか、一日に二度も放火されると思わないじゃないか)

「ボヤオ、車の鍵を開けて。私の荷物が入ってる」

 紫子さんが俺の腕を掴んだ。

「諦めましょう、危険ですよ」

「私の鞄があるの」

「だから……」

「カメラが入ってるの。早く!」

 悲鳴のような声に驚いて紫子さんに視線を向けると、悲痛に表情を歪ませていた。紫子さんは車に向かって走り出す。

(カメラって、お父さんの形見だと言っていた、コンパクトデジタルカメラのことか)

「部屋が全焼した時は飄々としてたくせに」

 俺は走りながら、スマートキーで鍵を開ける。車が反応した。まだ通信機器はやられていなかったようだ。

 ドアを開けようとしている紫子さんの腕を引っ張って、車から遠ざけた。

「離して」

「俺が取りますから、紫子さんは離れていて」

 俺は持っていた紙袋の束を紫子さんに押しつけた。

 助手席を開けると、車内はかなり熱かった。思っていたよりも長時間燃えていたのかもしれない。

 紫子さんの鞄は助手席のシートにあった。ついでに後部座席に置いてあるカメラ機材を詰め込んだ鞄も掴んだ。レンズやライトスタンドなどを含めて、このキャリー型カメラバッグの総額は三百万円近くする。他の撮影道具は仕方がないとして、これだけはもったいないと思っていた。

 車に突っ込んだ上半身を車内から出した時、むわりと熱い空気を肌に感じた。次の瞬間、俺は熱風に飛ばされていた。咄嗟にカメラバッグで熱波から身体を庇う。荷物を抱えたまま、コンクリートの地面に背中を打ち付けた。

「っつ……」

 前から後ろから続けざまに受けたダメージで、瞼の裏がチカチカした。炎上して一気に周囲の空気が温められて、やっと天井にあるスプリンクラーが作動した。

(遅いっつの)

「大丈夫!?」

 痛みですぐに声が出ず、返事をしようとして咳き込んでしまう。

 なんとか上半身を起こすと、コンクリートで擦れた服は破けて、手や足に擦り傷ができていた。服の一部は焦げている。両手が塞がってまともな受け身は取れなかったけど、背中を丸めて、首や頭への衝撃はできる限り逃がしたつもりだ。

「大丈夫です。紫子さんの鞄はしっかり抱えましたから。中のカメラも、きっと無事ですよ」

「バカ! ボヤオのことを聞いてるの!」

 俺の傍らに膝をつき、細い眉を吊り上げて、紫子さんは今にも泣きそうに瞳を濡らしていた。

「俺を心配してくれたんですか?」

 正直、驚いた。

「当たり前じゃないの。私をなんだと思ってるのよっ」

「……そうですよね」

 紫子さんはどうしていいかわからないように、俺の膝に手をのせた。その手は震えている。

「死んじゃったら、どうしようかと思った」

 唇をかみしめて涙をこらえているようだった。

 優秀で、気丈で、破天荒で、自信家で。

 そんな紫子さんばかり見ているから、忘れそうになるけど。

 ――紫子さんは、俺と同い年の女性なんだ。

 俺が怖いと思うことは、紫子さんだって怖いはずだ。

 俺はぽんと、紫子さんの頭に手をのせた。

「大丈夫ですよ、俺は頑丈なんです」

 俺は微笑んで見せた。紫子さんは「本当?」と尋ねるように俺を見上げる。

「それに、俺は社長に約束したんです。紫子さんを守るって」

 俺は紫子さんに鞄を渡した。紫子さんはカメラが無事なことを確かめると、ほっと吐息した。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 人が増えてきたのと同時に、警備員や警察までやってきた。俺たちは見たままを話すにとどめ、織田龍太郎の話はしなかった。織田が実行犯なわけがないし、信じてもらえないだろう。話をややこしくするだけだ。

 警察に解放された頃には、十一時を過ぎていた。

「私の部屋、ボヤオの車ときたら、次はボヤオの部屋かな」

「あのアパートが焼けてたら野宿ですからね」

 俺の車が燃やされたということは、織田の家から誰かがつけていたのだろう。俺の家まで事前に調べているとは思えないが、どうだろうか。

 タクシーに乗った俺たちは、ドライバーに無理を言って、突然道の端に止まったり、急発進をしたりと、イレギュラーな動きをしてもらった。しかし、不自然な動きになる後続車はいなかった。もう追跡されてはいないようだ。

 念のため俺の住むアパートから離れた場所で降り、周囲の様子を探ったが、やはり尾行者はないようだった。

 そしてなにより喜ばしいことは、アパートが無事だったことだ。俺の部屋にも父の形見のカメラがある。

 部屋の中も特に荒らされた様子はなかった。ほっとしてフローリングに座りこんだ。全身の力が抜けて、今ならふにゃふにゃのクラゲになれそうだ。

 ……本当に、ハードな一日だった。

「疲れましたね。もう寝ましょうか」

「そうね」

 腹はすいていたが、それよりも今は眠りたい。

 俺は昨夜と同じようにタオルケットを敷いて寝ようとすると、寝間着に着替えた紫子さんがぺたりとフローリングに座り込み、俺の袖を引いた。化粧は落としている。この幼い顔も見慣れてきた。

「ボヤオは怪我をしてるんだから、ベッドを使いなさいよ」

「大丈夫ですよ、これくらい」

 押しかけてきた居候とはいえ、女性を床に寝かせるわけにはいかない。

「昨日も私がベッドだったし、交互で」

 気にしていたのか。

「言ったでしょ、俺は頑丈だって」

「じゃあ……」

 紫子さんは俺の袖を持ったまま、目元を染めて言い淀んだ。俺は少々首をかしげながら続きの言葉を待つ。

「じゃあ、ベッドを半分ずつ使っても、いいけど」

 そう言うと、ふいっと紫子さんは顔をそむけた。耳まで真っ赤だ。

 普段し慣れない気遣いをして見せたものだから、照れているのだろう。

「俺は規格外にデカいんで、そのシングルベッドに二人は無理です。気にしないで一人で寝てください」

 俺は安心させるように声をかけた。

 しかし、振り返った紫子さんの表情はなんとも表現しがたい複雑なもので、どれかといえば、怒の感情が大きいようだった。

「バカオ! 冗談に決まってるじゃない。怪我が悪化しても知らないから! 一生床で寝てればいいわ!」

「いてっ」

 思い切り俺の腕を叩き、紫子さんはベッドに潜り込んで背中を向けた。

(なぜ怒ったんだろう?)

 擦りむいた腕に平手がジャストミートしてジンジンする。

 しかし、そんな痛みよりも睡魔の方が強かったようだ。

 俺はすぐに眠ってしまった。

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