掴み取った真実、そして―― 12

「ん……、いてて」

 身体を動かすと、傷が擦れて鈍い痛みがある。

 そっと手を伸ばして携帯で時間を確認すると、七時ちょっと前だった。だいたい俺は自然に七時前後で目が覚めて、寝つきも寝起きも悪くない。

 窓から明るい陽が差しこんでいる。

(寝ている間に放火されなくてよかった)

 俺はホッと胸をなでおろす。

 無事だっていうだけの朝が、こんなにありがたいことだとは。

「あ、おはようございます」

 枕に半分顔をうずめて、ベッドから俺を見下ろしている紫子さんと目が合った。いつから見られていたのだろう。

「ボヤオ、お腹すかない?」

「すきました。紫子さんは三食外食派なんですよね。食べに行きます? このあたりは学生街だから安いですよ」

「なにか作って」

 俺は紫子さんを見上げて何度か瞬きをした。紫子さんはじっと俺を見ている。

「……いいですけど、簡単なものしかできないですよ」

「昨日聞いた」

 仕方がない、起きるか。

 なにも買い足してないから、食材は昨日と同じだ。

「パスタとホットサンド、どっちがいいですか?」

「両方」

(そうきたか)

 野菜はあまり買わないけど、比較的日持ちするキャベツが残っていた。パスタソースをあえるだけでもいいと思ったが、キャベツも使うことにする。

 鍋でパスタを茹でながら、もう一つのコンロでスクランブルエッグを作り、皿に乗せておく。そのフライパンを洗って、ざく切りにしたキャベツをオイルで炒めつつ、さっきのスクランブルエッグとベーコンとチーズをパンにはさみ、ホットサンドメーカーで焼く。ゆで上がったパスタをフライパンに放り込み……。

 紫子さんは昨日と同様、俺が料理をするのを傍で見ていた。

「そんなに珍しいですか?」

「そうね」

 紫子さんはうなずいた。

「もう随分と、料理を作ってもらったり、誰かと食卓を囲むことはなかったから」

「……そうですか」

 父子家庭の紫子さんは、九歳で親を亡くした。昨日の言いようだと、社長に引き取られてからも、社長夫婦に遠慮して食事の時間をずらしていたのかもしれない。

 俺は十五分足らずで、キャベツとツナのパスタと、チーズ入りのベーコンエッグサンドを作りあげた。

「ボヤオの料理、美味しい」

 紫子さんが瞳をキラキラさせている。

「そう言ってもらえると作り甲斐があります」

 紫子さんなら高級料理を食べ慣れているだろうに。逆に、簡素な家庭料理が新鮮に感じるのかもしれない。

 俺はハッとした。

(もしかして)

 期せずして、紫子さんを餌付けしてしまったのだろうか。

 またもや、紫子さんが祖父母のポメラニアンと重なった。

 あのポメラニアンも食事時にはつぶらな瞳でエサをねだってきたものだ。紫子さんに、もふもふの尻尾や耳が重なって見えた。

(……可愛い)

 俺は妄想に頬を熱くしてしまった。

 テーブルの上を片づけてから食後にコーヒーを淹れて、ポストから新聞を持ってきた。パラパラとめくると、紫子さんの部屋と俺の車の放火事件が掲載されていた。犯人は捕まっていない。

「……だよな」

 現実に戻された気分だ。

「紫子さん」

 俺は記事が見えるように折りたたんで、コーヒーを飲んでいる紫子さんの前に置いた。

「俺、今朝起きて、無事でよかったって思ったんです」

 俺は紫子さんの正面の椅子に座って、絆創膏だらけの指を組んだ。

「朝だけじゃない。これからは、いつなにが起こるかわからないと常に警戒して、気の休まる時間がないでしょう」

「なにが言いたいの?」

 紫子さんの表情が冷えていく。尋ねる言葉を発してはいるが、俺の言わんとすることは察しているのだろう。

「俺たち、とんでもない相手にケンカを売ったんです。危険です。手を引きましょう」

 紫子さんから、完全に表情が消えた。

 わかっていた反応だが、いままで和やかな雰囲気だっただけに、つらい。しかし俺しか紫子さんを止められる人間はいないはずだ。

「巻き込まれたくないのね。じゃあ、出ていく」

 紫子さんは立ち上がった。

「俺はそんなこと言っていません」

「じゃあなに。織田が仇だって知っているくせに。自分も親を亡くしてるから私の気持ちがわかるって言ったじゃない。嘘つき!」

「嘘じゃない」

 俺も立ち上がって、紫子さんの両肩を掴んだ。俺の手を外そうと身をねじったが、力では叶わないとわかると俺を睨みあげた。その瞳は濡れている。俺に裏切られたと思ったのだろう。

「でも俺は、死んだ人より生きてる人の方が何倍も大事です。俺は紫子さんに生きていてもらいたい。危険に晒したくないんです」

 紫子さんはしばらく黙って俺を見ていた。怒りの表情が落ち着いてくると、顔を伏せた。

「私はやめない。証拠がない以上、織田を揺さぶって、ぼろが出るのを待つしかない。私が囮になるのは仕方がない」

 紫子さんの肩が震えていた。

 当たり前だ。一番恐ろしい思いをしているのは紫子さんだ。

 それでもこの人は、織田に立ち向かうのをやめないのだろう。

 俺は一体、なにができるのか。どうやって紫子さんを守ればいいのだろうか。

 俺は小さく息をはいた。

 紫子さんが折れないなら、俺も覚悟を決めるしかない。


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