掴み取った真実、そして―― 6
「ちょっと、起きなさいよ!」
「ん……」
身体を揺すられる。
「ここ、ボヤオの部屋でしょ? どうして私がここにいるわけ?」
目を開けると、怒ったような、戸惑ったような紫子さんの顔が見えた。
(なぜ俺は、紫子さんに起こされてるんだろう)
まったく回転しない頭で考える。
ああ、そうだ。紫子さんをホテルから連れてきたんだった。
俺は大きく伸びをした。
「どうしてって、紫子さん、どこまで覚えてるんです?」
近くに置いていたスマートフォンを手に取る。時間は七時だ。寝たのが零時を回ったあたりだったから、睡眠時間は充分に取れている。
俺はのっそりと上半身を起こした。床で寝たので肩周りが若干強張っていた。軽くストレッチをする。
「どこまで、って……」
紫子さんの声が小さくなった。どうやら、バーを出る前から記憶が混濁しているようだ。
俺がいきさつを説明すると、
「余計なことをして!」
と、叱られた。
「あのままだったら、岩城と一晩過ごしてたんですよ。あんなに具合が悪いままじゃ、情報を取るどころじゃなかったでしょ」
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃない」
眉を下げて怒っている紫子さんは、まるで駄々っ子のようだ。ただ反射的に反発しているだけにしか見えない。途中で意識をなくしたことが、よほど悔しいのだろう。
それにしても、紫子さんは化粧がないと幼く見える。普段の迫力がまったくない。
「またの機会がありますよ」
俺は思わず、紫子さんの頭に手をのせて、よしよしとなでていた。
(今の紫子さんって、なにかに似てるんだよな。なんだっけ?)
起き抜けの頭では思い出せない。
「なにすんのよっ」
紫子さんは顔を赤くして俺の手を払った。
「すみません。化粧をしていない紫子さんが幼く見えて」
「えっ」
紫子さんは頬を両手で包んだ。紫子さんの新鮮な反応に口角が上がってしまう。
「ボヤオのくせに……」
紫子さんは垂れ気味の大きな瞳を潤ませて俺を睨み、負け惜しみなのかよくわからない呟きをする。
(可愛い)
化粧がないだけで、こんなに印象が変わるとは。
「岩城から、なにか聞けました?」
「当たり前でしょ。今日は岩城から聞いた情報を確かめに行くのよ」
紫子さんに得意げな表情が戻った。
「俺も手伝いましょうか? 合併号休みで時間がありますから。足になりますよ」
紫子さんはびっくりしたように大きな瞳を見開いた。
「紫子さんの父親のこと、社長から聞いたんです。……俺も親父を亡くしてるんで、少しは紫子さんの気持ちがわかるつもりです」
勝手に人のプライベートな話をしないで! と怒られるかなと思ったけど、紫子さんは軽く俯いただけだった。
「……じゃあ」
紫子さんは俺の袖を引っ張った。
「なにか作れる?」
「作るって、朝食ですか?」
話が随分と飛んだ。
「昨日の昼間から殆ど食べてないの」
「簡単なものしかできないですよ」
よかった、昨夜、食材を買っておいて。
「パンでいいですか? 胃が弱ってるなら、お粥もありますよ」
「パンで」
俺はうなずくと、コーヒーメーカーをセットしてウインナーをボイルし、パンを焼き、オムレツを作った。
「手際がいいわね」
紫子さんは近くに立って、関心したように俺の手元を見ている。そんなに見られているとやりにくい。
「一人暮らしをしていれば、多少は。紫子さんも自炊してるでしょ?」
「してない」
「食事はどうしてるんですか」
「三食外食」
それはむしろ、徹底している。
「あと、コンビニのカットサラダとヨーグルトもありますけど、どうします?」
「食べる」
朝食を食べ始めると、紫子さんは大人しくなった。お腹が空いてイライラしていたのかもしれない。祖父母の家のポメラニアンも、お腹がすくとキャンキャン吠えていた。
(ああ)
さっき紫子さんに似てると思ったのは、ポメラニアンだ。だから、つい手が伸びてしまったんだ。
「あんなに酔うなんて珍しいですね」
普段の紫子さんならあり得ない失敗だ。
「酔ってない」
「フラフラだったじゃないですか」
負けず嫌いだなあと苦笑する。
「だから、絶対に盛られてる。二杯で酔うはずないもの」
(笑いごとじゃなかった)
俺は眉間にしわを寄せる。
「薬ですか?」
紫子さんはうなずいた。
「よくあるのは、女性がトイレに立っている隙に、薬を飲み物に入れる手法ですよね。でも昨日は、二人とも一度も離席していませんでした」
「そう、そこなの」
紫子さんは忌々しげに、ウインナーに箸を突き立てた。
「デートレイプドラッグには私だって注意してた。グラスは岩城から離して置いていたし、ボヤオが言ったように、席だって立たなかった」
「それなのに薬が入っていたとしたら……」
俺はちょっと考えた。いや考えるまでもなく、答えは一つしかない。
「バーテンダーもグルってことですか?」
「それしか考えられない。だとしたら計画的だし、常習犯の可能性が高いわね。ごちそうさま。私はこれから病院に行ってくる」
「病院?」
「そういう類の薬を摂取しているか、検査してくる。それで医師の診断書をもらう。岩城の弱みを握っておけば、なにかに使えるかもしれないでしょ」
俺は立ち上がった紫子さんを呆気にとられて見上げた。あんな目にあった直後だというのに、なんてバイタリティのある人だろう。
「私と岩城が一緒にいるところ、写してる?」
「バッチリ」
「ボヤオのくせに、やるじゃない」
紫子さんに笑顔で背中を叩かれた。役に立ったのなら、なにより。
食べ終わった紫子さんは荷物をまとめた。
「このジャージ、借りていい?」
「いいですけど、ぶかぶかですよ。他のにします?」
手足の袖を折っているが、サイズが合っていないのは一目瞭然だ。
「なんでもいいのよ、病院に行くだけだから。帰ってから着替える。それから……」
紫子さんは一旦言葉を切って、伺うように俺を見た。
「今日の午後、本当に付き合ってもらっていいの?」
「はい、もちろん」
紫子さんは嬉しそうに微笑んだ。俺もつられてしまうような笑顔だった。
もしかすると、本当は一人で心細かったのかもしれない。言ったら怒りそうだから確認できないけど。
俺たちは待ち合わせ時間と場所を決めた。
「じゃあ、また後で」
ぶかぶかのジャージにピンヒールの組み合わせがシュールだ。
「ボヤオ」
玄関のドアを開けた紫子さんは、足を止めて振り返った。
「なんですか?」
「ありがとう。助かった」
そう言った紫子さんの頬は、ピンクに染まっていた。
安普請の鉄のドアが、バタンと大きな音を立てて閉まった。
「……紫子さんに礼を言われるのは、初めてかも」
テーブルの片づけをしようとすると、紫子さんは綺麗に平らげた皿を流しに置いていた。こうして誰かのために料理を作るのも、二人で食べるのも、結構楽しかった。
俺は無意識に、鼻歌交じりで皿を洗っていた。
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