報道のジレンマ 10

 昼休憩が終わり、向かった先は、梶山靖子の同級生の家だ。やはり自宅の一階を店舗に改造している店で、美容院を営んでいる。

「ボヤオは最近、いい感じに切ってもらったばかりだから、私がカットとカラーをしてもらいながら、梶山のことをいろいろと聞くわ。ボヤオは一緒に来たカップルって設定で、待ち合席で話を聞いていて」

「中で待つの、不自然じゃないですか?」

 普通は終わるまで、別行動をしそうなものだ。

「私だって、ボヤオがカットしてるとき一緒にいたじゃない」

 あれは待つというよりも、監視されていたような……。

「いらっしゃい」

 店に入ると、五十代くらいの女性か席を立った。テレビを見ていたらしい。五十代くらいなので、この人が梶山靖子の同級生だろう。店員はこの女性のみ。お客さんはいない。

 鏡台の前の椅子は二つしかない小さな店だが、白基調で清潔感がある。

「私、カットとカラーをしてもらいたいんですけど、今から大丈夫ですか?」

 笑顔の紫子さんは、いつもより明るいトーンで声をかけた。

「どうぞ」

「彼も、中で待たせてもらっていいですか?」

「ええ、もちろん。今コーヒーいれてくるわね」

「いえ、お構いなく」

 さっきの聞き込みでも思ったけど、天童市の人は気のいい人ばかりだ。

 店が狭いことが幸いし、二人の会話はよく聞こえた。当たり障りのない話をしていた紫子さんが、本題に入る。

「私たち、最近引っ越してきたんですけど、梶山靖子さんを見かけてビックリしました」

「数年前に戻ってきたの。靖子の生まれ故郷なのよ、ここ。実は私、高校の同級生だったの」

「ええっ、すごいですねっ」

 ここから表情は見えないけど、声は本当に驚いているように聞こえた。紫子さんを女子アナっぽいと思ったことがあったけど、女優もいけるんじゃないだろうか。

 ここから美容師さんは、いかに梶山靖子と仲が良かったかを、とうとうと語り出した。無口な美容師はあまり見たことがないけれど、この人はかなりの喋り好きのようだ。

「家族三人仲が良かったから、靖子はよく両親に会いに実家に戻ってきてたんだけど、十年くらい前にお父さんが亡くなったのよ。お母さんを心配して東京に呼び寄せたんだけど、本当はお母さん、東京に行きたくないって言ってたの」

「なぜですか?」

「お母さんは生まれてからずっと天童市だったから、友達も生活基盤もここでしょ。東京に行ったら、孤独になるのは目に見えてるもの。初めての土地じゃ勝手もわからないだろうし。夫が亡くなっても、友達と楽しくやってたからね」

 それでも梶山靖子は、母親を一人にしておくのが心配だった。

「何度も説得して、やっと折れてくれたって言ってた。気合を入れてお母さんのために、東京の一等地に豪邸を建てたんだって。だけど……」

 母親の危惧は当たっていたのだ。

 見知らぬ土地で、右も左もわからない。友達はいない。娘も仕事で家にいない。

 毎日、ずっと一人だったのだろう。

「お母さんと暮らすようになって数年、おかしいなって前兆はあったんだって。同じことを繰り返したり、物忘れが多くなったり。初めは年齢のせいかと思っていたらしいけど」

「……認知症だったんですね」

 紫子さんが静かな声を落とした。

 孤独は認知症の発症リスクを上げるというデータもある。

 多くの病気がそうであるように、認知症も早期発見、早期治療が大切だ。

 しかし大事な人が、そして本人自身も、認知症になったという事実を認めたくないという思いから、放置してしまう。だから症状が進行してしまったのだろう。

「靖子が現実を受け入れた時には、お母さんの認知症は、だいぶ進んだ後だったみたい。無理矢理東京に連れてきた自分のせいだって、靖子は後悔して、一生をかけて償うと決めたんだって」

「ああ……」

 俺は小さくつぶやいた。

 だから施設に入れず、デイサービスなどに頼むこともなく、仕事を休んでずっと家の中で母親と過ごしているんだ。


 ――贖罪、なのだろう。


 それは、お互いを思いやったからこそ起こった悲劇だ。

 娘は母を心配して一緒に暮らそうと豪邸を建て、母は娘の要望に応えようと愛する土地を離れた。

「靖子は年に一回、年末にここに散髪に来るの。もちろんお母さんも一緒に。その時に、一年間のいろんな話を聞くんだけど、本当に大変そうでね。お母さんは暴れるから生傷が絶えないって言ってたし、実際に腕はすごいみみずばれで。排泄物を投げつけられたこともあるって」

 壮絶だ。

「今日も散髪に来たんだけど、なんか雰囲気が違ってたな。年末以外にここに来たの、初めてかもしれない」

「どう違っていたんですか?」

「いつもは疲れ果てて、魂の抜け殻みたいだったんだけど、元気というか、朗らかになったというか。お母さんの症状が緩和したのかもしれないよね」

「そうだといいですね」

 本当にな。

「いつもは年末なのに、今日、来た理由を聞きました?」

 確かに気になる。今は九月だ。

「明日、お母さんの誕生日なんですって」

「なるほど。綺麗にしてあげたいですもんね」

「そうよね」

 セットが終わって美容院を出ると、俺たちは梶山靖子の家に向かった。周辺の話は充分に聞けた。あとは本人に直撃するだけだ。

 紫子さんと編集者が相談して、今後のスケジュールが決まった。明日、朝の散歩に行く母娘の写真を押さえてから、散歩終りに梶山靖子に直撃する。もちろん、話しかけるのは紫子さんだ。

 芸能人に直接話を聞くって、特にファンじゃなくても緊張しそうだ。それに、話を引き出せるか、一発勝負という意味合いもある。聞き方ひとつ、言葉使いひとつで、相手の反応も変わってくるだろう。

 梶山家に到着し、まだ明るい今のうちに、家の外観を撮影した。そうしていると、人も車も殆ど通らない住宅街の道にワゴン車がやってきて、梶山家の前に止まった。

「老舗の日本料理店の宅配車ですね。きっと、高級仕出しを頼んでるんだろうな。やっぱり芸能人は、食べるものが違いますね」

「そうねえ」

 上の空で返事をされた。紫子さんはなにか考えている様子だ。

 家のドアが開いたが、腕だけしか見えない。

 その手は美容師が言っていたように傷だらけで、しかも骨と皮だけのように病的に細く、俺の背筋に冷たいものが走った。CMやポスターで見た梶山靖子も細かったが、健康的な肉付きをしていた。

「今の手、梶山靖子ですよね」

「そうでしょうね」

 走り去るワゴン車を見送ると、紫子さんは俺を見上げた。

「今日はここまでね。ホテルを取りましょう」

「そうですね。明日はスタートが早めですし」

 親子の散歩は朝の七時と言っていた。ルーティン的なものはそうそう変わらないだろうけれど、早く出発されてもいいように、一時間前には着いておきたい。

「周辺取材がしっかりできてるから、夕食は経費で好きな物食べていいって編集者が言ってくれたけど、食べたいものある?」

「本当ですか? やった! 紫子さんは行きたい店とかないんですか?」

「ないわ。好き嫌いもないから、どこでもいい」

「じゃあ俺、良さげな店をネットで探します!」

 俺は四十分ほど検索をして紫子さんをうんざりさせながら、やっと店を決めた。

 この日は美味しい夕食を食べて、ホテルの温泉にじっくりと入って、大満足な夜だった。天童市は温泉の町としても有名なのだ。

(そういえば……)

 ベッドに入ると、夕食時に時々浮かない表情を浮かべていた紫子さんを思い出し、気になった。

 編集者も認める充分な取材ができたというのに、なにが気に入らなかったのだろうか。話しかけても上の空だった。

 思い返すと、美容院を出たあたりから、紫子さんの様子がいつもと違ったような気がする。

 そんなことを考えたのもつかの間。

 疲れが溜まっていたのだろう、俺はあっさりと深い眠りに落ちた。

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