報道のジレンマ 3

「ボヤオ、今通ってる店はどこ? 随分前に私が教えた店のほかに、開拓してるんでしょうね」

 ギクリ。

 開拓しているどころか、合わないと思った店は、足が遠のいている。

「そんなことだろうと思った。スマホ出して」

 俺はポケットからスマートフォンを取り出した。

「今から言うところ、店員が芸能ネタを持ってるから、巡回に入れるといいよ。私は出禁になってるから」

「出禁? 紫子さん、なにかやらかしたんですか」

 紫子さんは細い眉をあげ、呆れたような表情をした。

「その店で何度もネタを取っていたら、いずれ情報を流してるのは私だってばれるでしょ」

 なるほど。常連客になって、信用されるから、情報を教えてくれるんだ。この人は口が堅いと思ったり、仲間だと思うから。その情報を雑誌で公表されちゃ、出禁にもなるだろう。こっちは当然、マスコミの人間だってことは隠して通っているのだから。

「私たちにとって、出禁の店が増えるのは、勲章みたいなものよ」

「勲章、ですか」

 それは、スクープを取ってきた数だ。

(それと同時に、誰かを信用させて、裏切ってきた数でもある)

 俺は複雑な気持ちになった。

「じゃあ、言うわよ」

「あっ、はい」

 俺は紫子さんが教えてくれた店を、スマートフォンのメモ帳に記録した。

「あとは、なにを教えてあげればいいかしら……、あ、こんばんは」

 俺はびっくりして紫子さんを見た。急に声が一オクターブ上がったからだ。

 紫子さんは上品な笑顔を浮かべて手を振っている。すると、通りがかっていた給仕がテーブルに近づいてきた。三十代半ばくらいで、眼鏡をかけたインテリっぽい男性だ。

「お待ちしておりました。いつもご利用、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。今日はこのワインをお願いしたいんですけど」

 紫子さんはメニューを指さした。

「畏まりました」

「グラスは三つで。今日は一緒にお飲みになってくださいますよね?」

「いえ、勤務中ですから。お言葉だけいただきます。ありがとうございます」

 給仕は下がった。

「……紫子さん、今のは?」

「ちゃんと説明するから」

 手で制された。しばし待てということか。

 さっきの眼鏡の給仕が、俺と紫子さんの前にグラスを置き、それぞれにワインを注ぐ。

「そのワイン、お持ちになって。休憩のときにでも、どうぞ」

 紫子さんは、半分以上ワインが入っている瓶を、給仕に押しつけた。

「ところで、あの女優と一緒の男性、テレビのプロデューサーだったかしら?」

「いえ、舞台監督ですね」

 給仕の言った舞台監督の名前は、俺でも聞いたことのある大御所監督だった。ただし、メディアにはあまり出てこない。

「ああ、そうでした。あのお二人、最近よく一緒ですけど、こちらにも通われていますの?」

「そうですね。以前からお二人とも、それぞれご利用くださっていましたけど、最近はお二人でいらっしゃることが多いです」

「ありがとう。さっきからずっと気になっていたの。すっきりしたわ」

「お役に立てましたら光栄です。御用がございましたら、お声掛けください」

 給仕はワイン瓶を持って去った。

 紫子さんは、赤ワインを一口飲んだ。そして「ふう」と声に出して息をつく。作り笑いがなくなり、声のトーンも戻った。

「今の人は、ここでの私のネタ元」

「紫子さんが記者だって知ってるんですか?」

「もう長くやりとりしてるから、薄々気づいてはいると思うんだけどね。あの人はワイン好きなんだけど、この店で働いてるからって、そうそう高いワインを飲めるわけじゃないでしょ。だからああやって、ワインをプレゼントする代わりに、ちょっとした情報をもらうのよ。持ちつ持たれつね」

 こうなると、店員を騙しているというよりも、共犯関係に近い。こういうやりかたもあるんだな。

「因みに、あの女優と監督が一緒にいるのを見たの、初めてだから。だいたいあの男性が監督だってわからなかったし」

 鎌をかけたのか。

「ね、ネタがひとつ取れたでしょ。女優と監督が恋愛、してるかもしれない。監督のほうは既婚者のはずだから、不倫ね」

「あっ」

 俺がひとつも見つからないネタを、こんなにあっさりと。鮮やか過ぎた。

「ネタの段階では、裏を取る必要はないの。裏取りには、張り込んだり追跡したりして、時間がかかるでしょ。ネタを採用するかどうかは編集者が決めること。ネタが通ったら、それを提出した人、つまり私に裏取りの依頼が来るってわけ」

「俺、そこに女優がいることすら気づきませんでした」

「他にもいるけど」

「えっ」

 あまり不自然にならないようにフロアを見回したが、芸能人らしき人は見つからなかった。というよりも、みんなそれっぽいとも言える。

「窓際にタレント、テラスに俳優、個室は外からは見えないけど、さっき歌手が出入りしてるのが見えた」

「……脱帽です」

 まだまだ紫子さんに追いつけそうもない。

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