報道のジレンマ 4

 ほぼ丸一日もらって紫子さんにレクチャーを受けてから、バリバリとネタが……急に取れるようになるはずもない。

 それでも、前より店員の反応が良くなっている気がする。会話も以前より続くようになっていた。

「いらっしゃい。あら澄生くん、最近来なかったじゃない」

「すみません、ちょっと忙しくて」

「雰囲気変わったね。またイイ男になって」

「はは、髪型を変えたんです」

 ここは、三か月前から通い始めた『花ちゃん』という恵比寿の小料理屋だった。夫に先立たれた六十代の女将が一人で営む小さな店で、いつ行っても女将と同い年くらいの客が集っている。若いのは俺だけなのだが、女将も常連客も、みんな俺を孫のように可愛がってくれた。

 今日は俺の他に、男女一人ずつ常連客が来ていた。俺はいつものように、八つしかないカウンター席の端に座り、いくつか注文をする。

 女将一人で働いているので、常連客は女将の負担を減らすため、飲み物は生ビールだろうとホッピーだろうと、自分で作るのがお決まりとなっていた。ということで、俺も冷蔵庫からウーロン茶を取り出してグラスに注いだ。

(……ん?)

 お通しのポテトサラダをタッパから小皿に移す女将は、なんだか顔色が悪く、元気がないように見えた。

 女将は肩まである黒髪を細い首の後ろでひとつに結んでいる。深いしわが刻まれているが、昔は相当美人だったのだろうという面影がある、品のいい顔立ちだ。

「女将さん、体調が悪いんですか? 大丈夫?」

 俺が声をかけると、

「そうなんだよ、花ちゃん落ち込んじゃってさ。聞いてやってくれよ」

 白髪を五分刈りにしているふくよかな体の男性が言った。花ちゃんというのは、女将のことだ。

「今日ね、久しぶりにタケちゃんと会ったのよ」

 女将の言葉に、俺はドキリとした。

 タケちゃんというのは、俺がこの店に通う理由の人の名前だからだ。

 二階堂武史。六十三歳の俳優だ。

 長い下積みを経て、四十代でブレイク。それからはテレビドラマで見ないクールはないという、名バイプレーヤーの一人だ。

 しかしここ一年、ぱったりとメディアに出なくなった。一部では療養しているのではないかと囁かれているが、まったく情報が掴めないでいた。

 二階堂さんは独身の一人暮らしで、仕事漬けだったせいか近所付き合いもないようだった。最近、二階堂さんを見かけた人さえ見つからない状態だ。

「タケちゃん、末期がんなんだって。もう、やせ細っちゃって」

 女将はエプロンで目元を押さえた。

「末期って、もう治らないんですか?」

「場所が悪いんだよな、膵臓だってんだからさ」

「あちこち転移しちゃってるらしいよ」

「今度オレたちも見舞いに行こうと思ってさ」

 二人の客が口々に言うと、女将はまた目元を拭いた。

 二階堂さんの家はこの店の近くにあり、店では二階堂さんの話題がよくあがった。商店街の温泉旅行に毎年一緒に行ったもんだとか、昔話が多かった。

 最近の話としては、ドラマに出ていたとか、インタビュー記事の切り抜きを持って来たとか、ただのファンのような話題しかないので、地元の英雄的な扱いで、既に交流はないものと諦めかけていた。

(本当に親しい仲だったとは)

 入院している病院や病室、おそらくあと一か月もたないだろうことなど、情報が耳に入ってくる。

 これは、間違いなくスクープだ。

 思わぬ収穫に、俺の胸は高鳴った。

「この話、所属事務所でも、一部の人しか知らないんですって。仕事仲間にも告げてないって言ってたよ」

 目を赤くした女将が言った。

「騒がれず、静かに人生を終わりたいって。こういうことでマスコミが押し掛けると、ストレスになるでしょ。それじゃあ容体が悪くなって、余計に寿命を縮めるよ。そっとしておいてあげたい」

「だからオレたちも、一回だけ、励ましに行くだけにするんだ。積もる話はあるけど、手短にな。疲れさせちゃ本末転倒だ」

 また俺の心臓が鳴った。今度はズキズキと。キリで刺されているようだ。

「花ちゃんなんて、タケちゃんと付き合ってたこともあったんだから」

「えっ」

 初耳だった。

「やめてよ。そんな仲じゃないって」

「今でも花ちゃんが好きだから、会いたいってタケちゃんから連絡がきたんじゃないの? ずっと独身を貫いてたし」

「結婚すりゃよかったのに。旦那が亡くなって何年も経ってたのに、タケちゃん男気のある奴だから、義理立てしたんだろうなあ。お似合いだったのにさ」

 その後はまたいつものように、二階堂さんとの思い出話が続いた。

 ぎこちなく口に運んだ料理は、味がしなかった。

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