二章 報道のジレンマ

報道のジレンマ 1

 シャキン、シャキンと音を立てながら、目の前に鋭いハサミが迫ってくる。

 俺は肩を押さえられて逃げ出せない。

「お願いですから、やめてください」

「いいえ、やっちゃってください」

 ――俺は今、渋谷の美容院にいる。

 店の内観はベージュが基調で、仕切りや床板は無垢材のウォールナットが使われ、観葉植物も多く飾られた都会のオアシス的な造りだった。

 しかし俺は、安らぐどころか、椅子の上で身を縮めている。

 俺の斜め後ろには男性の美容師さんがいて、その隣りには、なぜか紫子さんが立っていた。そして俺の肩をむんずと掴んでいる。

「ボヤオの言うことは気にしなくていいです。今時っぽいイケメンにしてください」

「彼は今でも充分、格好いいけど」

「でも、野暮ったいでしょ」

「野暮ったいですね」

(そんなに俺は野暮ったいのか)


 俺が西園寺プロダクションという、主に週刊誌のスタッフが所属する編集プロダクションにカメラマンとして採用されてから、三か月が経過した。

 初めは失敗ばかりだったけれど、俺の凡ミスでターゲットを逃すことはなくなった。二か月もすると次のステップに進もうと言われた。

 初日に西園寺愛社長が言っていた“ネタ出し”というやつだ。

「アイドルの恋人発覚」とか、「長期療養と公表していたベテラン俳優が実は鬱病だった」とか、週刊誌の表紙を飾るようなスクープ情報を集めて提出するのだ。

 しかし。

 危惧していたことだが、ネタがまったく見つからない。

 ネタの探し方は、エース記者の紫子さんから教わった。

 おおまかに、三パターンあるという。

 一つ目は業界系の友達を作って、人脈から情報を得る方法。確実だし、大きな情報が入りやすい。逆に言えば、その人脈を作るのが難しい。

 次は芸能人が通う店を見つけて、店から情報を得る方法。飲食店のことが多いが、スポーツジムやエステなど、どこでも情報を得られる可能性がある。しかし当然のことながら、芸能情報を初めて来た客にベラベラ話す店員は少ない。情報を得るには自分も常連客になる必要がある。

 そして三つ目は、テレビやラジオに出演した著名人のフリートークからヒントを得て、記事になるような情報に結びつける方法。

 たとえば、美人女優が独創的なダイエットをしていると自慢げに話していたら、「被害者続出! 美人女優実践のダイエットは、こんなに危険だった!」というのも、記事になる。もちろん、事実に反することはNGだけど、盛って書かれることはよくあることだ。

 特にラジオはテレビでは言わない赤裸々な発言をすることも多いので、大きな収穫に繋がることもあるという。

 ほかにも、ひたすら車を走らせてネタを見つけるとか、情報屋から買うとか、リークとか、SNSの情報とか、細かいことはたくさんある。

 ……そして情けないことに、人脈がまったくなく、テレビやラジオからも上手く情報を見つけられない俺は、ネタが取れない状態だった。

 痺れを切らせた紫子さんが、一日俺につきそって、ネタの取り方をレクチャーすると言い出した。

「そんな、悪いです」

 紫子さんは超売れっ子記者だ。一時間でどれだけ売り上げるかわからない人を、一日拘束するなんて恐ろしすぎる。

「あなたがばんばんネタを取れるになったら、コンビを組んでる私の仕事も増えるでしょ。これは私のためでもあるの」

 紫子さんは、いつものちょっと早口で滑舌がいい、凛とした声で言った。紫子さんは美人だし、実はアナウンサーでした、と言われても納得してしまいそうだ。少し女王様っぽい雰囲気も、ミスキャンパスを経た女子アナっぽい気がする。

(……あれ、こういう思考、ずいぶんゴシップ誌に毒されちゃったな)

 俺は内心で苦笑した。

 そんなこんなで、事務所で待ち合わせた後に連れてこられたのが、この美容院だったのだ。


「では、うちで一番人気の、ツーブロックマッシュにしますね」

 清潔感のある爽やかイケメンの美容師さんが言った。どんな髪型なのか、想像がつかない。

「マッシュはキノコです。キノコカット。昔、ビートルズの来日で流行ったでしょ。といっても、ぼくらは生まれていませんけどね」

「つまり、サザエさんのワカメちゃんカットみたいな」

 俺が首をひねって言うと、鏡に映る美容師さんは、園児に向けるような微笑みを浮かべた。

「パーマかけるし、軽さも出て、今っぽくなりますよ」

「あの、朝、スタイリングするのとか、面倒なんですけど」

 俺は控えめに言った。

 面倒だから今まで髪を染めたこともないし、パーマをかけたこともない。伸びた分だけ、数か月に一回くらい駅前の千円カットに行っている。

「ああもう、だから野暮ったいのよ! この仕事は容姿も大事だって、いつも言ってるでしょ」

「す、すみません」

 紫子さんに叱られてしまった。

 確かに紫子さんはいつもしっかりメイクをしているし、軽いウェーブのかかった栗色の髪も、ふんわりとキマっていた。服も洒落ていて、毎日のように会っているのに、同じ服を見たことがない。

 俺はといえば、ファションの良し悪しがわからないし興味もないから、数枚の無難なシャツやGパンを着まわしていた。

「スタイリングも難しくないですよ。ワックスで根本から立ち上げる感じ。後でやり方を説明しますね」

「それが面倒なんですけど……」

 小声で最後の抵抗を試みたが、紫子さんにひと睨みされて終った。

 ああ、パーマ確定だ。

 それから、ついでだと言って眉も整えられる。

「ほら、いいでしょ」

 美容師に鏡を持たされた。確かに、髪はふんわりしているのに、サイドはスッキリしていて、アイドルっぽい髪型になった。今までよりも小顔に見えるかもしれない。眉が整ったので、目元がはっきりした印象だ。

「よし、まあまあね」

 紫子さんが満足げにうなずいた。それにしても、なぜずっと傍にいるのだろう。待合席にいればいいのに。

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