スタジオカメラマンと報道カメラマン 12

 時間は午前三時を過ぎていた。空は墨を塗ったように真っ黒だけど、街はネオンと街灯で明るかった。ホテル街なのでカップルばかりだが、深夜だというのに人通りが結構ある。都内というのは、やっぱり特殊だ。

「この辺りにしましょう」

 海老原選手たちがホテルから出てきたら、きっとタクシーを拾うために大通りに向かうだろう。俺たちはホテルの向かいの道の、やや大通り沿いに腰を下ろした。この位置なら正面から二人が並んでいる姿をカメラで狙える。

 俺と紫子さんの間に鞄を置いた。もちろん、鞄の中にはカメラを仕込んでいる。さすがに目の前でカメラを構えるわけにはいかない。

「さて、どれくらいで出てくるかな」

「こういう、外の張り込みもよくあるんですか?」

「そうね」

「今が寒くも暑くもない季節でよかったです」

 真冬なら黙って立っているだけで地獄だろうが、この仕事は天候も季節も関係ないのだろう。

 四時を過ぎると、空がだんだん明るくなってきた。新聞配達や業者が通るようになり、五時近くなると、始発が動き始めるせいか、飲み屋やホテルから出てくる人も増えた。

 道路脇とはいえ、座っている人がいれば目立ちそうなものだが、俺たちを気にする人はいなかった。この辺りなら、男女が別れを惜しんで道端で立ち止まっているのは珍しくないのかもしれない。

「きた」

 五時過ぎ、二人がホテルから出てきた。俺はリモートシャッターのボタンを押す。

「えっ、紫子さん、ちょっと」

 隣りに座っていた紫子さんが抱きついてきた。

「顏を見られちゃいけないし、カップルらしくしないと」

 紫子さんの細い腕が俺の首に巻きついてくる。

「近い、近いです紫子さんっ」

 俺は二人の移動に合わせて鞄の角度を調整し、シャッターを切り続けたが、紫子さんと密着しているので、ドキドキして集中できない。

「近づけないと、顏が隠れないでしょ。ちゃんとキスしたほうが、不自然にならなくていいかな」

「いいかな、じゃないですよ」

 俺をからかっているのかと思ったが、紫子さんは真面目な表情だった。

「そんなことしなくても、俺でかいんで大丈夫です」

 本当にキスしそうな勢いの紫子さんを抱き込んだ。ものすごく軽くて華奢で驚く。

 それに、俺と同じ肉や骨で出来ていると思えないほど柔らかい。いい匂いまでする。まったく別の生き物なんじゃないかと疑いたくなった。

(それにしても、軽々しくキスをしようとするなんて!)

 仕事のためなら、誰とでもキスをするのだろうか。もしかして、今までのカメラマンともキスを……。

 そこまで考えて、ものすごく、もやもやした気持ちになった。

 ――今は仕事をしなければ。

 俺は雑念を振り払い、紫子さんの影から二人に視線を向けた。昨日の夜とは打って変わり、穏やかな表情で目を合わせて会話している。手は指と指を絡める恋人つなぎだ。

「ラブラブって感じですね。なにを喋ってるんだか。さすがに声まで聞こえませんね」

「『具合は大丈夫?』『エビくんが気持ちよくしてくれたから』『そりゃ頑張りがいがあったな』『お礼に、あとでエビ君の大好物を作ってあげる』『え、なに?』『うふふ、まだ内緒』」

 紫子さんが抑揚なく淡々と口にした言葉は、二人の唇の開閉と合っていた。

 俺は思わず、紫子さんの端正な顔をまじまじと見た。

「まさか紫子さん、読唇術ができるんですか?」

「これくらい事前情報があって、はっきり口が見えていればね」

「……」

 紫子さんの超人スキルがどれくらいあるのか、小一時間問い詰めたい気分だ。

 二人は俺たちの前を通り過ぎた。警戒している素振りも、怪しんでいる様子もなかった。正面からのツーショットも撮れたし、これで間違いなくトップ記事になるだろう。

 あまりジロジロと見ない方がいいと思いつつ、俺は二人の後姿を見送る。赤間アナは恋人つなぎをして、かつ、反対の腕も海老原投手に絡めて密着していた。会話も弾んでいるのだろう、笑顔で顔を近づけて、いい雰囲気だ。

 ……これは、もしかして。

 俺は鞄に入れていたカメラを取り出した。

「紫子さん、こっちを向いて立ってください」

 紫子さんは俺がなにをしたいのかわかっているようで、素直に応じてくれる。

「肩を借ります」

 俺は中腰になって紫子さんに隠れるように、カメラのレンズを紫子さんの肩にのせた。ファインダー越しに密着した二人の後姿が見える。

 二人はかなり身長差があるので、赤間アナに引っ張られるように海老原投手が背中を丸めて、顔を近づけて歩いていた。赤間アナはさらに近づきたいとねだるように、腕を引っ張っているようにも見える。

「もう少し、アナ頑張れ、もうひと押し」

 二人が見つめ合う時間が長くなる。歩調が穏やかになって、やがて立ち止まった。手をつないだまま、海老原投手は赤間アナの腰を抱き寄せて……。

(来いっ!)

 俺は心の中で叫ぶ。

 二人は、しっかりと口づけた。

 赤間アナは嬉しそうに眼を閉じて唇を堪能している。

 それはほんの一瞬だったが、その流れを俺は連写していた。

「っよっしゃ――――――っ!!」

 音にはせずに、声にならない雄たけびを上げた。強く拳を握る。

「紫子さん、やりました。撮りましたっ」

 思わず紫子さんを抱きしめていた。

「そうね、満点をあげる。甘々の採点だけど」

 腕の力を緩めて紫子さんを見ると、満面の笑みを浮かべていた。

「ホテルに入る前、ドライバーを交代したいって申し出たこと。そして今、鞄からカメラを取り出して、私の肩越しに撮ったこと。あなたが能動的に動いた結果、撮れた写真よ。あなたはいままで、スタジオカメラマンの延長だった」

 俺は瞬きを忘れて、紫子さんを見つめた。

 ――スタジオカメラマンと報道カメラマンとじゃ、全然違うってことわかってるでしょ。

 母の言葉もフラッシュバックした。

 わかっているつもりだった。

 スタジオでは、求められる写真が決まっている。

 食べものなら新鮮に美味しそうに撮る。時には暖かそうに見えるようにドライアイスで湯気を演出するし、お皿や背景のデザインや配色に気を配る。

 人物写真ならその人の魅力を引き出す。会話をして表情を変化させるのは基本だ。リラックスさせるときもあれば、滅多にないけど、あえて怒らせることもテクニックのひとつではある。動きを指示することもあるし、風を当てて躍動感を出したり、髪や肌を濡らして色気を演出することもある。そうやって被写体を求めに応じた最高の魅力に仕上げるのが、スタジオカメラマンの仕事だ。

 それに比べて、報道カメラマンはどうだろう。

 たとえば事故現場にしても、事故そのものの写真を撮るのも、被害者遺族の悲しみを撮るのも、現場に集まった大勢の野次馬たちが携帯を向けている姿を撮るのも、現場の裁量の部分が大きいだろう。自然災害があれば、仕事の依頼がある前に現地に向かい、「現場にいるが写真は必要か」と編集者に聞くカメラマンもいるそうだ。

 戦場カメラマンだって、依頼があるなしに関わらず、現地に行くこともあるはずだ。自分から、能動的に。そして決定的瞬間を逃さない。これが報道カメラマンなのかもしれない。

 どちらが良い悪いではなく、どちらが優れていると比べるものでもない。同じカメラを扱っていても、まったく違う仕事だということだ。

 そんなことが、実感として理解できた気がする。

「なんか俺、泣きそうです」

「初めて撮ったわけじゃないでしょ。初日の写真だって、巻頭カラーを飾ったじゃない」

「こっちの方が、断然、価値があります」

 くだらない写真かもしれない。

 世間に貢献する訳でもないし、褒められるような内容でもない。

 でも俺は、この仕事にやりがいを感じていた。

 この仕事をもっと突き詰めたいと、心から思った。

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