スタジオカメラマンと報道カメラマン 8

 待ち合わせの場所に、約束である二十一時の十分前に到着した。今朝のスタジアムにほど近い喫茶店の前だ。

 現地に着いたら連絡するよう言われていたので、ラインでメッセージを送った。すると、すぐに喫茶店から紫子さんが現れ、エスコートする間もなく、自ら助手席のドアを開けて乗り込んでくる。

「で、なんの用? 私、忙しいんだけど」

 突き放すように紫子さんが言う。自分で直接会いたいと頼んでおいて、俺は少しめげそうになった。要件なんて、ひとつしかないじゃないか。

「今朝のこと、本当にすみませんでした」

 車内の狭い空間で、俺はできる限り頭を下げた。

「寝坊ももちろんですけど、あんな生意気な口をきいてしまって。心を入れ替えて頑張るので、また一緒にやらせてください。これ、お詫びのお菓子です」

 わざわざ呼び出して謝るだけなのもと思い、老舗和菓子店の羊羹を買って来た。菓子折りは謝罪時のマナーだろう。

「ふうん。安物だったら、ただじゃおかないけど」

 ドキリとする。

 エース記者の安物の基準がわからない……。

 冷や汗を浮かべていると、「冗談よ」と笑顔も見せずに、受け取った和菓子の袋を膝の上に置いた。

「誠意は菓子折りじゃなくて、態度で見せてほしいものね」

 紫子さんは小首を傾げて挑発的な表情で俺を見た。こんな時になんだけど、やっぱり紫子さんは美人だと思った。

「なんでもやります」

「なんでも、ねえ」

 紫子さんはずいっと顔を近づけてきて、舐めるような視線を送ってきた。

(どういう意味の視線だろう。もしかして、失言だったのか?)

 俺はさらに冷や汗を流した。

「ねえ、カメラ持って来てる?」

「ええ、一応は」

「そう」

 紫子さんはニッコリと笑った。

「じゃあ、今から言う住所に向かって」

 紫子さんはシートベルトを締めながら住所を言い始める。俺は慌ててカーナビに打ち込んだ。住所を暗記してるのか。

「どこですか、ここ」

 品川区のマンションのようだけど。

「海老原の家」

「海老原って、投手の?」

 甲子園で活躍し、ドラフト一位指名で入団して五年目。プロ野球界で今、最も注目されている若手投手の一人だ。

「そうよ。海老原は今日、明日、明後日がオフなの。そして、赤間アナと付き合ってる」

「赤間アナって、先日、誕生日を張りこみましたよね」

 相手は海老原投手だったのか。

「って、海老原投手って既婚者のはずじゃ……」

「高校から付き合っていた彼女と結婚してる。奥様は今、二人目の子供を妊娠中」

 妻が妊娠中の浮気か。ますますひどいな。

「赤間アナが既婚者ハンターだって噂、本当だったんですね」

 浮かんだ言葉を思わず呟いてしまった。紫子さんは外人のように肩をすくめる。

「海老原も相当遊んでるようだけどね。実は赤間アナの誕生日のリークは、海老原の奥さんだったの。何度も浮気されていたけど、今回の浮気で堪忍袋の緒が切れたようね。もう別れたいけど、証拠がない。決定的な浮気の証拠を握って、慰謝料をふんだくって離婚したいんですって」

 高校時代からエースだった海老原投手は、学生時代から横柄ではあったが、プロ選手になると拍車がかかったと海老原投手の妻が言っているそうだ。暴力は当たり前で、稼いでいるはずなのに家には最低限の生活費しか入れない。その分、豪遊して彼女に貢いでいるのかと思うと、悔しくて仕方がないと。

「身内のリークだったんですね」

 殺伐としている。それくらい、奥さんの腸は煮えくり返っているのだろう。浮気や暴力の話が事実なら当然だ。

「学生時代から横柄だったなら、こうなることは予想できそうですけど。結婚しなければよかったのに」

「それくらい、好きだったんでしょ」

 車を走らせながら、チラリと紫子さんに視線を向けると、意外にも瞳に憐情が滲んでいた。

「好きだから、結婚して愛情の担保が欲しかった。でも、その気持ちに付け込まれたのね。結婚すれば変わるだろう。子供ができたら変わるだろうという奥様の期待は、裏切られ続けた」

「そして、今回のリークにつながるんですね」

「愛情が強かったぶん、憎しみに変わったときのエネルギーも強いのよ」

 愛憎という言葉がある。愛と憎しみは紙一重なのだろうか。ふわっと生きてきた俺には、縁遠い感情だ。

「赤間アナって、これから放送されるニュース番組に出演しますよね」

 平日夜十時から一時間の帯番組を持っていたはずだ。入社した局を三年ほどで辞めてフリーになってもなお人気が衰えないのは、美貌と共に実力がある証拠だろう。

「そうよ。今日は金曜日。赤間アナは明日、明後日がオフなの。だから、今日の仕事終りに、二人はデートするんじゃないかと思って」

 さすが紫子さん、二人のスケジュールは把握済みか。

「もしこれから二人が会うとして、それを追跡したら、朝までコースじゃないですか?」

「そうかもね」

「紫子さんは早朝からずっと仕事をしてるんじゃ?」

 今日は朝の四時に俳優がスタジアム入りするという情報で、少なくても三十分前には到着していようと話していた。さっき紫子さんがスタジアム近くの喫茶店にいたのは、おそらく取材データを喫茶店で作っていたからだろう。夜明け前から今までずっと、仕事をしていたということになる。

「誰かさんは帰っちゃったけどね。俳優たちの帰りの写真は撮れたから、なんとか記事になりそうよ」

 本当に申し訳ない。

「チャンスがあるなら追いかけるだけよ。この二人が付き合ってるのは確かなのに、ツーショットがなかなか撮れないの」

 二人はかなり用心しているのだろう。

「紫子さんって、本当に仕事熱心なんですね」

 素直に感心した。

「そうね」

 紫子さんは視線だけ俺に向ける。

「この仕事は楽しいかって、私に聞いたよね」

「は、はい。すみませんでした」

 朝の失態を思い出し、緊張で身体が強張った。

「私だって、くだらないって思うことがたくさんあるわ。これだって、有名人の誰と誰が付き合っていようが、不倫をしていようが、どうでもいい」

「はあ」

 紫子さんもそう思ってるんだ。

「だけど、これは仕事なの。ゴシップやスキャンダルは、まだ数字が取れるのよ。つまり、多くの人が関心を持っているの。需要を満たすのが私たちの仕事よ。誰も感心を示さなくなったら、このジャンルはなくなるわ」

「そうですよね」

 だとしたら、やっぱり“マスゴミ”の仕事はなくならないのだ。なぜなら、他人の不幸を蜜に感じる人は、一定数いるからだ。没落するのが勝者と呼ばれる層ならば、なおさらだ。

「それから、一億総メディア時代だから、プロとアマの境目はない、とも言ってたわね」

 俺はハンドルを強く握った。

(まだこの話、続くんだ。反省してるから、もう勘弁してください)

 内心で、ちょっと泣きそうになる。

「確かに、一理あるわ。でも今回みたいに、不倫をしていることを自分からSNSで発信する? 権力者が不正行為をしたとして、わざわざカミングアウトするかしら」

 紫子さんの言葉が強くなった。

「悪事そこ隠される。私は、この世の秘密をすべて暴くつもりでやっているの。そこには大きいも小さいもないし、くだらないもつまらないもない。全力でやるだけよ」

 紫子さんの大きな瞳の中をネオンが流れていく。強い眼光は、先にいる誰かを射抜くようだった。

(紫子さん……)

 信念がヒリヒリと伝わってきた。俺も真剣にやっているつもりだったけど、意気込みが違っていた。

 ただ、その表情を見ると「仕事だから」というだけではないように感じる。

 紫子さんがそこまで力を入れる理由は、なんだろうか。

 そういえば事務所で社長が、紫子さんは「いろいろ抱えてる」と言っていた。それと関係するのだろうか。

 知りたいけれど、簡単に聞いてはいけない気もする。それくらい、紫子さんの表情は鬼気迫るものがあった。

「俺も、全力で頑張ります」

 どんな思いがあろうと、少しでも役に立ちたいという気持ちをこめて俺は言った。

「あまり力みすぎて、視野が狭くならないようにね。黒服たちに囲まれるわよ」

 紫子さんの声が緩んだ。表情も戻っている。

「また鞄に下着を入れられたくないので、気をつけます」

「あら、下着はいや? じゃあ次はなにを入れようかな」

「次なんてありませんから!」

「だといいけど」

 紫子さんはクスクスと笑う。

(……紫子さんも、笑うんだ)

 当たり前のことに感動した。

 いままでは仕事中に、軽口をたたいたことがなかった。紫子さんが冗談のつうじる相手なのかわからなかったし、そんな余裕もなかった。

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