スタジオカメラマンと報道カメラマン 6

 ブゥーン……、ブゥーン……。

 どこかで音がしていた。

 微かに腕にも振動を感じる。

 俺は重たい瞼を開けた。

 目の前でスマートフォンのライトが点滅している。それに手を伸ばそうとして、腕がしびれていることに気付いた。机に向かったまま、腕に頭をのせて眠っていたようだ。

 室内は明るい。蛍光灯が点いているのもあるが、窓からも陽が差しこんでいた。

 振動がやんでしまったスマートフォンを掴む際にマウスが腕に当たり、パソコン画面が明るくなった。映画の公式ページが表示される。

 そうだ、昨夜、俳優たちの名前を覚えようとして……。

 スマートフォンの時計を見た。

「なんだ、まだ五時過ぎか」

 と呟いた俺は、次の瞬間、どっと冷や汗が吹きだした。

(寝坊した!)

 スマートフォンの画面には、紫子さんからの着信がいくつも残っている。

 俺は慌てて準備していた鞄やカメラを掴んで部屋を出て、車に飛び乗った。まだ通勤ラッシュ前の時間帯で道はすいていた。信号無視こそしなかったが、普段なら絶対に出さない速度で現場に向かった。

 ハンドルを握る手が震えた。

(なぜ俺は、こんなミスを……)

 仕事で失敗する以前の問題だった。悔やんでも悔やみきれない。

 待ち合わせ場所のスタジアムに着いた。駐車場を探している暇はない。

 車を道端に寄せて停め、ゲートに走ると、紫子さんは俳優のファンらしい女性に話を聞いているようだった。

 撮影現場には、どこから聞きつけるのか、ファンが集まっていることが多い。そんなファンも周囲にほとんどいないことから、とっくに俳優たちはスタジアム入りしたと思われる。

「すみませんでした!」

 話が終わるのを待って、俺は紫子さんに深く頭をさげた。

「もう聞き飽きたわ」

 紫子さんの声が冷たく響く。

 仕事に遅刻したのだから当然だろう。しかもこの仕事は一度しかチャンスがないのだ。その瞬間は、もう二度とない。

「やる気あるの?」

 頭を下げたまま、俺は硬直する。

 やる気はある。

 西園寺プロダクションに入って一週間と少しになるが、俺の頭は著名人でいっぱいだった。オンオフ問わず、仕事のことしか考えてない。

 この職種は、努力しようとしまいと、結果がすべてだと思う。

 遊んでいようと、何日も寝ずに張り込みをしようと、決定的な写真が撮れたら、評価は同じなのだ。努力なんて、なんの価値もない。

 だけど、俺の熱意も誠意もまったく理解されていないのは、悲しく、虚しく、つらかった。

 しかし、失敗ばかりで紫子さんの足を引っ張ってばかりの俺に、語る資格はない。

「この仕事、向いてないんじゃない?」

(……向いてない、のかもしれない)

 俺は唇を噛みしめた。

 戸惑ってばかりで、緊張しっぱなしで、なにも上手くいかなくて。

 暴力団みたいな人たちに囲まれて怖い思いをし、まったく興味のない芸能情報を集めて、重たいカメラを持ちながら一日歩きどおしの日もあるし、休める時間もない。

 写真が撮れたって、世間に貢献する訳でもない。褒められるような内容ではなく、むしろ“マスゴミ”と罵られたりもする。

 これがスタジオを辞めてまで、俺がしたかったことなのだろうか。

「紫子さんは、この仕事、楽しいですか?」

 俺は頭を上げた。紫子さんは無表情で俺を見ている。

「芸能人の後を追いかけて、スキャンダルを探し回って、プライベートを暴いて」

 いままでの苦しい気持ちが溢れて、言葉が止まらない。

「だいたい、スキャンダル記事なんて古いですよね。いまは誰もがスマホやSNSを持っている、一億総メディア時代と言われているじゃないですか。芸能人はSNSで自らあらゆることを報告するし、災害の映像だって、現場に居合わせた一般人のものがテレビや雑誌で使われてる。プロとアマの境目なんかない」

 だめだ、さすがにこれを言っちゃいけない。

 頭のどこかがストップをかけたが、憔悴しきっている頭では、思考と行動の伝達回線を制御できなかった。

「こんな仕事、意味がないし、くだらない」

「……」

 紫子さんは表情を変えず、俺を見上げていた。

 いや、その眉は若干下がって、失意の色が伺えた。

「もう少し、骨があると思ったんだけど。見込み違いだったようね」

 その言葉に、はっとした。

 紫子さんなりに、俺に期待してくれていたのだろうか。俺は瞠目して紫子さんの大きな瞳を見つめていたが、背を向けられた。

「この現場は、別のカメラマンを呼んで出を待つから。もう帰っていいわ」

「あの……」

「帰れって言ってるの」

 その言葉は鋭く、怒気を含んでいた。

「……すみませんでした」

 俺は頭を下げて車に戻った。信じられないくらい足が重く、思ったように進まない。

 なんとか車に乗り込んだが、立ち去りがたく、その場から紫子さんを見ていた。遠くに見える紫子さんはスマートフォンで通話しているようで、そのまま歩き去った。

「やってしまった」

 俺はシートを倒して、深く腰掛け、両腕で顔を覆った。

 いままでどんなに俺がミスをしても、紫子さんはあんな怒りかたをしなかった。しかしさっきは本気で憤っていた。大事な現場に遅刻したこともあるだろうが、その後の俺の態度が原因だろう。

 ――最悪だ。

 さっきの俺は、最悪だった。

 大した成果を出していない新人カメラマンの台詞じゃなかった。ただの逆ギレだ。

 プライベートでも仕事でも、あんな刃向い方をしたことなんて、一度もなかったのに。

 思い返せば、俺はずっと、ゆるゆると生きてきたような気がする。

 学生時代は勉強も友人関係も良好で、撮影スタジオに就職してからも仕事は順調だった。

 しかし、編集プロダクションに入ってから、ガラリと生活が変わった。

 いつも気持ちが張り詰めていて、少しも上手くいかずにイレギュラーなことばかり起こった。先がまったく見通せない仕事だ。自覚が薄かったが、相当ストレスが溜まって、精神的に追い詰められていたのかもしれない。

 もちろん、それがさっきの暴言の言い訳にならないことは、わかっている。

「やっぱり、向いてない……のかな」

 シートを起こして、エンジンをかけた。今度は制限速度を守って車を走らせる。むしろ厳守しすぎて、後ろからクラクションを鳴らされる始末だった。来た時よりも交通量が増えていた。

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