プロローグ3

「なんだこりゃ!」

 鞄の中には、女性ものの下着が詰め込まれていた。札が付いた新しいものばかりだ。

「その下にカメラを隠してるんだろ。下着をどかせよ」

「ないですって」

 もう自棄だ。俺は下着の山に手を突っ込んで、鞄の隅々まで見せた。

「お前の大事なっものって、これかよ」

「時間取らせやがって」

「まあまあのセンスだな」

「おまえら、そうじゃねえだろ。絶対にカメラが入っていたはずだ!」

「現にないでしょ。これは、姉へのプレゼントなんです。もういいですよね、失礼します」

 俺は乱暴に下着を鞄に戻してチャックを閉めた。鞄を持つ俺の手は、羞恥と怒りで真っ赤になっている。

 男たちの包囲網を隙間から抜け出して、速足でロビーを抜けた。

(あのキチク記者――――――!!)

 さっきまでいた場所に紫子さんの姿はない。エレベーターで地下駐車場に降りると、自動販売機の前で紫子さんがブラックの缶コーヒーを飲んでいた。

「お疲れ」

 俺に気づいた紫子さんは、缶に唇をつけたまま、リラックスした様子で細い指をひらひらとさせる。反対の手には、元々俺が持っていたカメラ入りの鞄があった。

「お疲れ、じゃないですよ! なんですか、あの下着は!」

「はあ? それが助けてくれた先輩に対する態度?」

「ぐっ。すみません、ありがとうございました。助かりました」

 言いたいことは色々とあったが、なんとか飲み込んで、俺は頭を下げた。

 同じ助けるにしても、ほかにいくらでも、やりようはあっただろうに。

 紫子さんは細い眉をつり上げて俺の不満顔を眺めると、空き缶をゴミ箱に投げた。缶はゴミ箱に吸い込まれ、ガラガラと金属が擦れる音を立てる。

「ホテル内の店でこの鞄を買って、適当な中身を探そうとしたら、隣りがランジェリーショップだったの。財布とかハンカチとか現実的なものをゴチャゴチャ揃えるより、下着が詰め込まれていたら黒服たちが驚いて隙ができそうだし、時間もかからないと思って。緊急だったからね」

 そうかもしれないけど、あれでは俺は、完全に変態だ。なんだよ、姉への大量の下着を後生大事に持ち運ぶ男って。

「とにかく、ここから離れましょ。車を出して」

 俺のスズキ・アルトに二人で乗り込んだ。俺が運転席で、紫子さんが助手席だ。

「ったく、狭いわね。それに追っかけをするにも軽じゃパワー負けするから、早く大きい車を買いなさいよ」

 追っかけとは、ターゲットの車を追跡することだ。

(そんなこと言われても、この車は昨年買ったばかりだ。中古だけど)

 社会に出て一年ほどの俺に、車をポンポンと買い替える金があろうはずがない。

「写真、見せてもらったわ」

 紫子さんは持っていた鞄を掲げてから、後部座席に置いた。

「ボヤオはトロくてドジだけど、写真はまあまあ撮れてたわよ」

 俺には澄生(すみお)という名前があるけれど、紫子さんは俺を「ボヤオ」と呼ぶ。

「はい、ご褒美」

 紫子さんは鞄から缶コーヒーを取り出して、俺に手渡した。まだ温かい。

 俺は黒服たちから逃げて来たばかりで、心臓がバクバクして身体が熱い。それなのに指先は冷えていたから、温かい缶を持っているだけで生き返る気分だ。早速タブを開けて飲むと、乾いた喉にコーヒーが沁みた。

「これからはちゃんと周囲を見て、気づかれたと思ったら、すぐに逃げること。というか、気づかれないように工夫して。エスカレーターの真ん前で棒立ちじゃ、バレバレに決まってるでしょ」

「そういうことは先に言ってください」

「あんな露骨なことをすると思わないわよ。まあ、失敗したほうが覚えは早いわ。たぶん」

 俺の先輩は、指導が雑なようだ。

「初仕事、どうだった?」

 紫子さんが身を乗り出して、俺を覗き込むようにして尋ねてくる。大きな胸の谷間にシートベルトが食い込んでいて、俺は思わず目をそらした。

「しんどいです。正直、泣きそうでした」

「こんなの序の口よ」

 ふふんと鼻で笑われた。

 車のヘッドライトが紫子さんの整った顔を照らしては通り過ぎていくのが、ミラー越しに見える。

 紫子さんとは、今日会ったばかりだ。

 だから、彼女のことは、ほとんどわからない。年齢すら知らない。何年も前から記者をしているらしいから俺より年上だろうけど、容姿だけなら年下のように見えなくもない。


 佐藤澄生。今年で二十四歳。


 今日から俺は、報道カメラマンになった。事件や事故、スキャンダルなどを撮影する、報道に特化したカメラマンだ。

 報道カメラマンは別の呼び方をされることもある。

 著名人のプライベートをつけ狙う、やぶ蚊。

 ――パパラッチ、と。

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