Coffee III|こーひー
つくづく、なぜここにはコーヒーマシンがないのか疑問だ。
コーヒーの素という粉と水、そして電子レンジがあれば誰でもコーヒーが作れるほど、確かにコーヒーは進化した。革命的だとは思った。なのに取っ手が取れないほど熱くなるマグカップへの配慮はされていないし、味も落ちるしで中途半端な進化としか思えない。
だったら時間をかけて美味しいものを飲みたい。この粉は、ただ動作だけを簡単にしようとしてコーヒーの種類も統一して、全て『コーヒー』にしてしまったし。
発明する誰かさんは、暴虐なナニカだけが残っていく。
○○○
この子の心臓の鼓動を胸の辺りで感じている。
あたたかいこと、血の跡があること、傷口が痛々しそうなこと、心臓が生きていること。
これがどういうことか。この子は「生きている」。
手を差し伸ばせざるを得ないな。この子に色々聞きたいこともある。その為には、やはり私が助けるしかない。
検問所のすぐ近く、小さなキャビンが置かれている。料理、休憩、風呂の為のものだ。ここで寝ることは許されていないが故、ベッドはない。夜でも監視を続ける必要性があると言って、寝るなら検問所で座りながら寝ろとのことだ。
ろくに掃除をしていないから散らかったままで申し訳ないが、ひとまずソファに座らせた。やはり、二人でも狭いな。
棚を開け、救急箱を手に取る。包帯や絆創膏くらいなら私でもできる……はずだ。
「少し痛いかもしれないが……我慢してくれ」
少女はぼーっと私のことを見ている。奇妙なほど大人しくしている。抵抗の一つや二つ、不思議ではないはずだが。この好都合のまま、今のうちに傷口を隠すしかない。
反応して身体をたびたび震わせる。目を閉じて、手をぎゅっと握っている。
当たり前だ、痛いに決まっている。明らかにこの子はまだ幼い。私や大人なら、少しチクっとするだけで何も思わないのだろうが、幼いうちは、まだズキズキすることに慣れていない。
……それにしても、箇所も深さもある。それも、一人ではつけられないような。
誰かに何かをされたのだろうが……やはり彼らなのだろうか。
数分間、周りは乾燥していたのに、なんだか湿った雰囲気だった。身体に視線を巡らせに巡らせ、救急箱を閉じる。
「よし、治るまではしばらく包帯だな」
「……う……あー」
私の服の袖を二つの指で掴む。
口を開けて、あ、あーと声を出している。
「どうした?」
「あー、あ……っ」
喋れないのだろうか。何かが喉に詰まっていたりするのだろうか。
それとも。
「話せないのか?」
「……っ」
少女は小さく頷いた。
なんというか、自分でも予想が当たるとは思っていなかった。ちょっとした知識と記憶を頼りにした憶測だったが、彼女のことがわかったのは大きな収穫だ。
……そうか、話せないのか。
少女をキャビンに残し、検問所に戻ってきた。
仮に彼女ひとりで逃げ出そうとしても、ドアを開く音で私にすぐバレるし、まず彼女が自分から逃げることはないだろう。私がこう考える理由は単純、逃げられたら困るからだ。私にとっても、彼女にとっても。
コーヒーが入ったマグカップを手に取る。もう熱くはなくなっていた……が。
指を入れ、舐め取ってみる。温い、というか冷たい。
とてもじゃないが飲みたくはないな。今回は私が飲むわけではないが。
ただ、少し試したいことがある。検問所を出て、溢さないように、コーヒーをキャビンの中へ持っていく。ドアを開くと、やはり少女はまだそこにいた。
小さなテーブルの上にコーヒーを置き、山のように積まれている荷物をとりあえず下に落とす。
そこには、とても錆びついているコンロがあった。
来たときには一回試したが、どうにも点く気配はなかった。どうにか使えるようにできないだろうか。そうすれば、とても便利なのだが……。
私はこういう、機械モノに知識がない。唯一、完璧に使えるのはコーヒーマシンだけ。小さい頃から使っているし、ボタンを押せばなんとかなるからだろうか。
だからといってコンロのことが何も分からないわけではない。流石にどうすれば動かせるのかくらいはわかる。だが困ったことに、ボタンをポチポチ押しても何も起きないし、何の音もしてくれない。
どうにかできないかと身体をくねらせて、ひたすら睨む。
コーヒーを温められるとでも……思ったんだが……。
「……あ」
彼女が、声を発した。
後ろを振り向くと、彼女は、私がいろいろ弄っている斜め下の方向を指差している。
下あたりに目線を落とすと、コンセントが落ちていることに気がついた。しゃがんで手で掴むと、少女は指先を少し右に向けた。プラグの位置を私に教えてくれている。コンセントをそこに差し込み、再びボタンを押すと……チチチという音を発した後、火がついた。
ああ、こうすればよかったのか。
……は?
私、こんなことで手間取っていたのか?
彼女の表情を覗く。私のぽかんとした顔を見た瞬間、真顔が崩れた。いじらしい笑みが溢れ、今にも吹き出しそうに頬を膨らませていた。
私はそれを数秒間、固まりながら見ていた。額に手を当て、少し外方を向いた。冷や汗でびっしょりとしていて、なんか暑くなってきた。
恥ずかしい……。
自分の顔が赤くなっているのがよくわかる。本当にこんなことがあるんだなと変な納得をして、少し鼻で笑ってしまった。
キャビンの中は冷えていた。
正直、寒さを凌ぐには意味のない場所だと思う。
だが……この時間、この空間、この感情。二人は案外、暖かかった。
○○○
「……よし、少しは温かくなったかな」
コーヒーをコンロで少し炙ってみた。
私ではなく、少女の為に。寒い身体のままだと風邪も引くだろう。
中身まで火が通ったか不安だが、とりあえず何かを摂取したほうがいい……かな。
取手は熱くはないから、この子も持てるだろう。コーヒーを少女に渡した。不思議そうに中身を覗いている。一応、砂糖を入れたからそこまで苦くはないはず。
両手で支えて、ゆっくりと傾ける。少しの量を含んだところで口から離した。
驚きとドキドキした感情が混ざったというか、目をキラキラさせていた。しばらくして、もう一度飲み始めた。
とりあえず飲んでくれてホッとした。そこそこ気に入ったようだし。
ソファに深く座って、ふーっと息を吐く。それにしても……。どうして検問所のすぐ近くで倒れていたのか。あの距離を一人で歩いてくることはほぼ不可能だし、ましてや子供だ。となると、一つ、また考えが浮かぶ。
ただ、それは少し嫌な妄想だ。仮にこの予測が的中していたなら、これから先……どうすればいいのだろうか。
今はいい。難しいことは考えず、とりあえずこの子を匿うことを考えよう。
知りたいことはたくさんある。この子は、私が何を言っているのかを理解できる。だが、話すことが難しい。
となると、最初はこうだろうか。
「君の名前……言えるかな。君がどういう身分の子なのか、私にはわかる。何も話せずとも、名前くらいなら言えるはずさ」
名前。
とりあえず、少女とか、あの子とか……別にそう呼んでも構わないのだが、仮に授かった名があるなら、名前で呼ばなければ失礼ではないだろうか。
ゆっくりと頷いた。やはり、名前を言うことはできるらしい。
少女は私のほうを向いて、口をごもごもとさせたあと、大きく息を吸った。
「……っ、ティ……ティファニー……っ」
「ティファニーか。良い名前だな」
よかった、ちゃんと名前があった。
ティファニー。少女は、ティファニーという名前だった。
彼女は、あなたの名前はと言わんばかりに、じっと私の顔を見ている。
「私のことは、そうだな……好きにつけてくれ」
「……っ」
「ああ、話せるようになってからでいいさ。ちょっとした事情で、私には名前がないからね」
嘘ではない。私には、名前がなかった。
原因は呪いだった。この身体で生きている所為で刻まれた、とある呪い。
こんなものを背負って、幸福を求めていいのだろうか。
……ははっ、わからないな。
難しいことは考えず、今日はただ生きていよう。いつか、冬がやってくるから。
ティファニーは、マグカップの中身を空にした。おかわりが欲しいと、私の袖を二つの指で引っ張っていた。
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