Coffee II|ずきずき

 私は、周りに引かれた赤い線を越えることができない。

 そういう決まりだ。

 このボーダーを越えた先は、とある裕福な町。首都のようなものではないが、軍事力の一角が鎮座していて、なくてはならないというか、重要な町だった。故に、安全である。

 いや、安全でなければならなかった。

 たとえばこのボーダーに敵がやってきて、そのまま通過して町民を襲うことになれば、『安全である』なんて言えない。

 だから、私は外を監視し続けなければならない。

 彼ら曰く、ここが、最初で最後の砦らしい。最後な訳ないだろうが。


『我々が勝利するまで職務を全うし、報酬は数億ドルであるとする』

『赤い線を踏み越えた場合、自立型レーザーによる狙撃があるものとする』


 本当に、いらない方向へ文明を発展させてしまったものだ。レーザーを開発するなら、先に美味しい調味料とかを作ってほしかったのに。

 仕事と銘打って、私はここに囚われている。

 目的には最適だろうと思っていた。どうということではなかった。

 そう、言うしかなかった。


○○○


 ドアを閉じて向こうへ近づく。

 少女……いや、幼女と言ってもいいだろうか。小さな女の子が横たわっている。ぴくぴくと震えており、四肢を痛そうにしていて、血の跡が目立つ。目を閉じていて、息が少し荒い。

 彼女は赤い線のすぐ外に倒れている。ギリギリ、手が届かないところにいた。

 その場でしゃがむ。


「大丈夫かい」


 自分の声は、思っていたよりもボソボソとしていた。少女の身体がびくっと跳ねる。まるで熊に襲われまいと死んだふりをしているように、今度は固まってしまった。

 逆効果だっただろうか。いや、声をかけないと始まらない。

 できるだけ優しく、語りかけないと。


「大丈夫さ、私は君を殺さない。信じてくれないだろうから、逃げてもいい。せめて、君の顔を見せてほしい」


 少女はふーっと息を吐いて、少し顔を上げた。まず、目元が見えた。

 ラピスラズリのような青い眼をしていて、宝石のようだった。何というか、この場所には似つかわしくない、無垢色をしている。

 少女は私のことをじっくりと観察して、やがて、顔を見せた。

 それはそれは幼くて、透き通るようで。

 綺麗だ。


「うん、ありがとう。君はここを通りたいのかい?」

「……ぁ……」


 少女は私のことを、ただ見ていた。

 なんだか、凍えるのも相まって気まずい。

 やがて彼女は目線を逸らして、脚を動かそうとしたのか、後ろを向く。つま先が少し上がったが、表情を尖らせて濁った声が出ただけだった。

 動かせないか……じゃあ。


「私なら少しは応急措置ができる。助けてほしかったら……私のほうへ手を伸ばしてくれるかな」


 赤い線からはみ出さないように、少女へ手を伸ばす。

 レーザーが撃たれるのを、まだ私は見たことがない。だが、私が原因でこの子にも被害が及ぶ可能性があるのは明らかだ。

 もしも助かりたいのならば、これは少女次第だ。彼女に、全てを任せるしかない。

 ……結局は、私が助けたいだけなのかもな。

 永遠のようで、たった一瞬のようなときをじっと待っていると、小さな手がガタガタと、今にも崩れそうに近づいてきた。やがて赤い線を越え、こちらの空間に触れた。

 私は、包み込むように優しく、それでいて離さないように力強く、その手を掴んだ。


 あまり傷口に触れないように支える。

 少女は私のことをがっしりと掴み、目を瞑っている。

 私はこの子に何があったのか知らない。でも、もしも恐怖に身を苛まれているのなら。


「コーヒーでも、飲む?」


 まずは緊張を解くことから始めよう。

 検問所へ、身体を揺らさないようにゆっくりと歩く。昼が近づいてくると、ありがたいことに少し暖かくなっていた。

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