第30話
僕たちは仕切り直すと、演技を再開した。
「『姉さんはどう思っているんだ? 騎士になってまで姉さんを守ろうとした、この俺のことを……』」
騎士である弟の無力感が伝わってくるようなセリフだった。
想いを寄せ続けていた姉が、国のために犠牲になる覚悟を決めている。回り始めた運命の歯車はもう誰にも止められない。
僕が同じ立場だったらどう思うだろう?
ずっと深月さんを守ろうとしてきたのに、それが果たされず、徒労に終わったとしたら……。僕はたまらなくやり切れなくなる。
そんな僕の切ない思いを察してか、あるいは演技からか、深月さんは僕の首へと腕を回すと、優しく抱き寄せてきた。
しぜんと身体が上下に重なり、僕の心臓が大きく跳ね上がる。
「み、深月さん?」
「『……好きよ。あなたのことを心から愛している。私がただあなたに見つめられるだけの存在だったと思う? 私の背中をずっと追いかけて来てくれた小さな男の子が、こんなにもたくましく成長して、しかも、か弱い私を健気にずっと守ろうとしてくれて。あなたのおかげで私の心がどれほど救われ、勇気を与えられてきたことか。あなたには分かって?』」
「『姉さん……』」
「『あなたの姿を見つめるだけで胸が熱くなって、この想いがいつしか溢れ、世間に知れ渡ってしまうのが怖かった。だから、私はあなたを遠ざけた。本気になってしまうのがずっと怖かったの……』」
深月さんが辛い胸の内を告白し、僕を間近でじっと見つめる。
「『一度でいいから、運命のくさびを断ち切り、姉であることも姫であることも忘れ、ただの一人の女としてあなたに愛されてみたかった』」
深月さんの瞳から涙がこぼれ、そっと目を閉じる。
台本はここで終わっていた。きっとこの後、二人はキスを交わして、長い夜を共にするのだろう。
「来て、万央くん……」
ツンと上を向いた深月さんの唇が、僕からのキスを待ちわびるかのように、かすかに震えている。しぜんと僕の心臓も高鳴り、痛いくらいに鼓動が速くなる。
だけど、僕の中にはまだためらいがあって。
このままキスを交わしてはいけないような、そんな胸の引っかかりを感じるのだった。
僕は深月さんの身体から離れるように上半身を起こした。
「……ねえ、深月さん」
「なあに?」
「僕はこれまでちゃんと深月さんを守ってこれたかな?」
ふとそんな不安がよぎって、深月さんに疑問を投げかける。
はたして、この物語の騎士は姉である姫を守ったと言えるのだろうか? 大切な姉を隣国の王に取られてしまうというのに。
「十分すぎるくらい守ってもらってきたよ。たくさんの励ましの言葉をかけてもらったし、たくさんの愛情を注いでもらったと思っているよ。万央くんがそばにいてくれて、私がどんなに心強かったか。もう片時も離れたくないくらい、万央くんは私の精神安定剤になってくれているよ」
「お姫様も同じ気持ちだったのかな?」
「え?」
「この物語のお姫様も、騎士である弟と離れがたい気持ちでいたのかなって」
「そうなんじゃないかな。弟に一人の女として愛されたかったって言っているし。でも仕方ないよ。尊い犠牲となることを姫は選択したんだもの。姫を慕うすべての民のためにね」
「……僕は嫌だな」
「万央くん?」
「僕だったら、大好きな姉を隣国の王の元へなんか行かせない」
騎士である弟はどれほど無念だっただろう。いくら民のためとはいえ、遠い異国の地へと嫁いでいく姉を黙って見送るしかないなんて。
このお姫様は、どことなく深月さんと似ている。
深月さんも、自分を犠牲にしてでも、慕ってくれるファンの方たちや周囲の人たちの期待に応えようと尽くしてくれている。メンタルが弱くて、本当は誰かに甘えたいのに必死に耐えて、凍える心を懸命に奮い立たせまでして。
そんな優しい深月さんだからこそ、僕はこれまで心を惹かれてきたし、なにより――。
――僕は深月さんを誰にも奪われたくない。
そんな結論に行き当たって、ハッとする。
僕は今、物語の騎士の気持ちとリンクし過ぎているのかもしれない。
この騎士が大好きな姉を腕の中で抱きしめ独り占めしたがったように、僕もまた、深月さんを手放したくないと感じている。
僕の心の中に、こんな気持ちがあったなんて――。
深月さんは今なおベッドに横たわり、不思議そうに僕を表情を見上げている。
子供の頃と変わらない、僕に寄り添い気づかうような、純粋で美しい顔。
そんな深月さんを見つめていると、愛おしさが募ってきて、僕はしぜんと深月さんに覆いかぶさった。
「万央くん……?」
僕に床ドンされるような体勢になった深月さんが、おずおずと僕を見上げ、とまどいを隠せずにいる。
僕は深月さんをまっすぐ見つめ、切り出した。
「僕はこれまで、深月さんにどんな言葉をかけたらいいんだろう? って、ずっと考えてきた。そして、本に書かれた言葉の受け売りじゃなくて、深月さんに寄り添い、理解し、真に思いやって、その上でちゃんと自分の言葉で伝えたほうがいいんじゃないかって思うようになっていった。……だから、今も台本に書かれたセリフの通りじゃなくて、僕の気持ちを自分の言葉で伝えさせてください」
僕はそう言うと、これまでずっと募らせてきた想いをついに告白した。
「深月さん、生まれて来てくれてありがとう。幼い僕の面倒を見てくれて、いつもそばにいてくれてありがとう。今までも、これからも。ずっと深月さんが大好きです」
ついに僕は運命に導かれるように深月さんの顔へと近づき、柔らかい唇を重ねた。
ぎこちない、精一杯の初めてのキス。
深月さんはそんな僕のすべてを受け入れ、優しく抱きしめてくれたのだった。
〇
「おはよう、万央くん」
翌朝、カーテンから射しこむ朝日がまぶしくて目を覚ますと、深月さんがにこやかな笑顔で僕を見下ろしていた。
「起こしに来てあげたよ。万央くん、今日もよく寝ていたね」
「ごめん、僕のほうが先に起きなきゃいけないのに」
「ううん、いいの。朝食も私が用意しておいたから。それと……昨日はありがとうね。嬉しかったよ」
深月さんがとろけるような甘い笑顔を輝かせる。
たちまち恥ずかしさがこみ上げて来て、僕は深月さんの顔がまともに見られなくなってしまった。
「学校、行くんでしょう? それとも今日は休んじゃう?」
「ううん、行くよ」
「そう、じゃあ早く支度しなくちゃだね。私は先にダイニングに行って待っているよ」
深月さんが弾むような声で告げ、部屋を去っていく。僕は慌てて制服に着がえ、深月さんの後を追った。
二人でテーブルを挟んで座り、朝食を一緒にいただく。
僕は昨日の台本の続きが気になって、深月さんにたずねてみた。
「ねえ、深月さん。あの後、二人はどうなっちゃうの?」
「ああ、『
「ハッピーエンドなんだね。よかった」
僕はホッと胸をなで下ろし、さらに深月さんに疑問を重ねた。
「それで、深月さんはオーディション受けるんだよね?」
「……うん。そのつもりだけど」
深月さんはそこまで言うと、何か閃いたのか、にまにまと口元をゆるめ、僕に悪戯っぽくたずね返してきた。
「ははあ。もしかして万央くん、お姉ちゃんがキスシーンに挑むの、嫌だった?」
「そっ、そんなことはないけど」
本音を見抜かれ、軽く動揺する。深月さんったら、こういう時だけ妙に鋭いんだから。
深月さんがニコニコと満面の笑みをたたえ、僕のうろたえようを嬉しそうに眺めて言う。
「万央くんが嫌なら辞めてもいいよ、オーディション受けるの」
「そういうわけにはいかないよ。深月さんが大好きな作品なんでしょう? それに、僕のわがままのせいで深月さんのチャンスを失いたくはないし」
「頑張っていれば、いずれチャンスはまた巡ってくるよ」
「駄目だよ。深月さん、ちゃんとオーディション受けてね。そうしないと、僕が後悔することになるから」
「もう、マネージャーみたいなこと言わないで。分かりました、ちゃんと受けます。だから安心してね、万央くん」
僕は深月さんにそう固く約束させ、朝食を済ませると、急いで学校へと向かった。
朝の電車に揺られながら、ふとスマホに目を移す。
そして、夢羽さんから一件のメッセージが届いているのに気がついた。
――『大切なお話があります。放課後、お時間いただけますか?』
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