第26話

 ついにアイドルフェスが開幕した。


 色とりどりの華やかな衣装に身を包んだアイドルたちが、次々とステージに立ち、圧巻のパフォーマンスを披露していく。

 ライバルたちには負けまいとする、目には見えないけれども確かに感じられるアイドル同士のバチバチ感が、さらにパフォーマンスを洗練させ、観客たちの胸を熱く燃え上がらせる。


「うおおおぉ――ッ!」


 地鳴りのように響く大歓声。繰り広げられる、熱のこもったコール&レスポンス。大海原ように揺れるペンライトのまばゆい光の波。

 それぞれ推しのアイドルこそ異なれど、観客たちは誰もがみなこの情熱的で幻想的なカーニバルに酔いしれている。


 深月さんたち『A―DRESS』が登場したのは、会場の盛り上がりが最高潮にまで達した終盤。DAY1に出演したすべてのアイドルたちの最後、つまり大トリだった。


 メンバー五人の中心に立つ衣知花さんが、ファンの声援に応えるように小悪魔的なキュートな笑顔をふりまいて、それからスッと表情を引き締める。


「今日は、まだ一度も披露したことのない新曲を持ってきました。それでは聞いてください――『真夜中のラストキス』」


 突然のサプライズにどよめきと大歓声が沸き起こり、会場全体がゆれ始める。

 僕もまた両手にペンライトを握りしめ、食い入るようにステージを見下ろし、共鳴を果たすかのようにペンライトをふり続けた。


 『A―DRESS』随一の清楚系アイドル、深月さんもまた、氷のようなクールな表情でキレッキレのダンスを魅せつけ、歌声を響かせる。

 涼やかに光る瞳。キリッとした真剣な顔。動きに合わせて波打つ美しい髪。ピンと芯の通った背筋。優美な指先と足の運び。生の喜びを謳うような躍動感のあるダンス。響きわたる澄んだ声――そのすべてに僕は心を鷲づかみにされ、一瞬たりとも目が離せなくなり、たちまち言葉を失ってしまう。


 僕の目に、しぜんと熱いものがこみ上げてくる。


 僕は知っている。

 本当の深月さんは繊細でメンタルが弱くて、時に周りにいる人たちを怖いと感じてしまうことを。

 悪意のあるコメントを目にしたくないからと、SNSさえまともに見られないことを。

 他人と比べては自己嫌悪におちいって、一人で落ちこんでしまうことを。

 言いたいことも言えずにただグッとこらえて、家で密かに泣いている夜があることも。

 お姉さんぶった大人の態度を取りながら、実は甘えたがりで、何かを抱きしめていないと心が安定しない時があることも。

 そして、何よりも純粋で優しくて、みんなの想いに応えようと毎日必死に努力していることを。


 だからこそ、僕は深月さんの気高くて華麗なパフォーマンスを目に焼きつけながら、心の中で強く願った。



――叫べ! すべてを出し尽くして! 深月さん!!



 これまでの日々はすべて、今日のステージのためにあったはずだ。

 だから、これまで深月さんを苦しめてきた孤独や痛みや悲しみや葛藤や悩みといった負の感情のすべてをこのステージにぶつけ、祝福と喝采の光を浴びてほしい。

 そして、今こそ己の存在証明を、アイドル三船深月が生きた証を、このステージに打ち立てるんだ!


「頑張れ、深月さーんっ!」


 僕はペンライトを高く掲げ、力の限り声を張り上げた。


 すると、どうだろう?

 それまでクールな表情を少しも崩さなかった深月さんが、ニィッ、と不敵に口角を上げたではないか。

 まるで広い会場の大声援にかき消されたはずの僕の声を聞き取り、その想いに応えてみせるかのように――。


 ゾクリとするような妖艶な微笑みに感化され、怒号のような歓声と共に観客たちのボルテージがさらに頂点へとかけ上がっていく。


「深月さん、ありがとうーっ!」


 僕もまた頬を涙でぬらしながら、感動で胸を満たし、感謝の気持ちを声に乗せて響かせる。


 その時だった。

 僕のとなりに立つ夢羽さんが、ふと腕を伸ばしてきた。そして、僕のTシャツの脇腹の辺りを指先でちょこんと掴み、軽く引っ張ってきたのだ。


「夢羽さん?」


 思いがけない行動に驚き、夢羽さんへと視線を向ける。


「…………」


 けれども、夢羽さんは黙ったまま真っすぐステージを見つめるばかりで、少しも僕のほうを向いてはくれない。


 暗い会場の中にいる彼女の横顔が、ステージの照明や観客たちのペンライトの光を映して淡く浮かび上がる。

 夜に咲く月見草のような夢羽さんの横顔からは、細やかな感情までは読み取れない。

 ただ、形のよい唇をきゅっと嚙んで、なんとなく拗ねているようにも見えるのだった。


 結局、深月さんたち『A―DRESS』は持ち歌を四曲披露し、大歓声を浴びながらステージを後にした。


 そして、アンコールを受けて他のアイドルたちと共にふたたびステージに姿を現すと、今回のテーマ曲を全員で声をそろえて歌い上げた。

 深月さんは降り注ぐ光のシャワーを浴びながら、充実したクールな笑みを輝かせていた。



   〇



 ライブが終わると、僕たちは規制退場に従って順に会場の外に出て、駅までの一本道を歩き始めた。

 暗い空には綺麗な月が浮かび上がり、夜風が僕たちの熱をさらって心地いい。


「夢羽さん。初めてのライブはどうだった?」

「まるで夢のようでした。どのアイドルさんも可愛らしくて、応援したくなりました」


 夢羽さんはまだ夢の続きを見ているかのように、うっとりとした目をしていた。


「深月さんを初めて生で見た感想は?」

「それはもう……すごくかっこよくて、可愛くて、素敵で、ますます憧れの気持ちを強めました。さすがは万央さんの理想の方ですね。はるか高みに君臨する女神のようでした」

「深月さん、きっと喜ぶよ。今度伝えておくね」

「伝える? どうやって?」

「あ、いや、何でもない。こっちの話」


 不思議そうに首をかしげる夢羽さんに、僕は慌ててごまかした。危ない。夢羽さんの感想が嬉しくて、つい口を滑らせるところだった。


 人の波に逆らわないようにして二人で歩いていると、ふいに夢羽さんが高い夜空の星を見上げ、口を開いた。


「やっぱり……私も目指してみようかな」

「何を?」


 夢羽さんのささやくような可憐な声が僕の耳に引っかかる。

 僕がたずねると、夢羽さんは照れくさそうに微笑んだ。


「実は、『A―DRESS』について調べていたら、事務所のHPで偶然オーディションの告知を見つけたんです。それで前々から興味はあったのですが、私なんかが受けても受かるはずありませんし……恥をかくだけなので止めようと思っていたのですが」

「今日のフェスライブを見て、自分もあのステージに立ってみたくなった?」

「いえ、そういうわけでもないんですけど。ただ、私も少しは三船深月さんに近づきたいと言いますか……」


 夢羽さんはそこまで言うと黙ってうつむき、それから少し間を置いてから、ふたたび独り言のようにつぶやいた。


「……ここで引き下がったら負けな気がして」


 夢羽さんはそんな謎めいた言葉を告げ、僕の正面へと回りこむ。


「万央さん。あなたの言葉を信じさせてもらってもいいですか?」

「僕の言葉?」

「万央さんは私に言ってくれました――私なら三船深月さんを超えるアイドルにだってなれるって。私をその気にさせたのは万央さん、あなたです。私はあなたの優しい言葉を胸に、オーディションを受けてみます。だから……」


 夢羽さんが上目づかいでおねだりするようにつけ加える。


「もし私がオーディションに落ちて泣いていたら、万央さんの責任ですから、慰めに何かごちそうしてくださいね」


 夢羽さんがはにかんだ悪戯っぽい笑みをこぼす。

 僕もつられて微笑をこぼし、たずね返す。


「逆に、もしオーディションに受かったら?」

「その時は……ご褒美に、一つだけ、私のわがままを聞いてくれますか?」

「いいよ。分かった」

「ふふっ、ありがとうございます。約束ですよ」


 夢羽さんが左の小指をピンと立て、僕へと近づく。そして、指切りげんまんをするように、その小指を僕の右の小指に絡ませてきた。


 そして互いにフフッと笑い合うと、月明かりに照らされた駅までの道を、ふたたび肩を並べて歩き出した。

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