第25話

 アイドルフェス当日。

 待ち合わせをした駅の改札付近に、約束の五分前にやって来ると、すでに夢羽さんの姿があった。


「ごめん、待たせちゃった?」

「いえ。私も今来たところですから」


 夢羽さんが照れくさそうに笑う。

 青いデニムの上着にロングスカート。ポシェットを肩にかけ、手にはトートバッグを提げている。

 いつもの制服姿とはまるでちがう爽やかな雰囲気に、つい目を奪われてしまう。


「万央さん、どうしました?」

「いや、今日の夢羽さん、可愛いなって」

「そ、そうですか? ありがとうございます……っ」


 夢羽さんが頬を赤らめ、もじもじと下を向く。

 普段の夢羽さんの、ちょっと影があるような落ち着いた雰囲気にも心ひかれるけれど、晴れやかな私服姿を目にすると、やっぱり夢羽さんって美少女なんだと改めて思い知らされる。『図書室の天使』と評判が立つのも分かる気がした。


 それにしても――。


 深月さんが『デート』だとか『好き』だとかあれこれ言ってくるものだから、つい意識してしまう。僕は趣味を同じくする仲間として夢羽さんとフェスを楽しみたいだけなのに。それじゃ駄目なのかな?


「万央さん、どうかしました?」


 夢羽さんに声をかけられ、ハッとする。


「ううん、なんでもない。行こっか」

「はいっ」


 こうして僕たちは、アイドルフェスが開催される会場を目指して電車に乗りこんだ。


 新宿で山手線を下りて、今度は京王線のホームへと向かう。少し距離があって、人の往来も多く、駅自体も要塞のように巨大なものだから、案内通りに道を歩いていても不安になってしまう。


「ん?」


 ふと、僕が羽織っているパーカーに違和感をおぼえて後ろをふり返る。

 すると、夢羽さんがうつむきながら、僕のパーカーの端を指先できゅっとつまんでいた。


「どうしたの?」

「……迷子になったら困ると思って」


 夢羽さんが、恥じらいながら、震えるような小さな声で打ち明ける。

 そんな夢羽さんの仕草があまりにいじらしくて――。

 心を動かされた僕は、引力に吸い寄せられるように腕を伸ばすと、夢羽さんの手をそっとにぎった。


「――――っ!?」


 夢羽さんがバネに弾かれたように顔を上げる。僕は夢羽さんを安心させたくて微笑みかけた。


「これなら迷子になる心配もないでしょう? 駄目、かな?」

「い、いえ……っ」


 夢羽さんはますます顔を真っ赤に染め上げ、ふるふると首を横に振る。そして僕から目を背け、ふたたびうつむいた。なんとなく、顔からもうもうと白い煙が吹き上がって見えるような……。

 僕が手を引いて歩くと、夢羽さんも無言のまま従順についてくる。まもなく二人で京王線の電車に乗りこみ、僕たちは並んで座った。

 夢羽さんが胸に手を当て、ふぅー、と深呼吸をして息を整える。


「大丈夫?」

「ちょっと……ドキドキし過ぎてしまって……」


 夢羽さんの今にも溶けてしまいそうな顔が、とても平常心ではいられないと告げている。


「やっぱり、万央さんって手慣れていますよね。これまでにも何人かとお付き合いされてきたんですか?」

「そんなわけないよ。実は僕、誰とも付き合ったことがないんだ。ただ、子供の頃、従姉のお姉さんによく手をつないでもらっていたから」

「また従姉のお姉さんですか」


 夢羽さんがくすっと笑う。


「……でも、よかった。万央さんがまだ誰ともお付き合いされていなくて」

「どうして?」

「あ、いえ、今のは独り言ですからお気になさらず」

「夢羽さんは誰かと付き合ったこと、ある?」

「私にあると思います?」


 逆に、夢羽さんが微苦笑を浮かべながら僕にたずね返す。

 そんな会話を交わす僕たちを乗せた電車は、目的地へと快調に走り続ける。窓の外を流れる春色の景色が清々しくて、気分もしぜんと高まってくる。


「そういえば、僕、こうして誰かと一緒にライブに行くの初めてかも」

「え、そうなんですか?」

「うん。いつも一人で行っていたから」


 これまでも深月さんを一目見ようと何度か会場に足を運んできた。でも、いつも一人ぼっちで、恋人同士で来ている人や複数人で盛り上がっているサークルなんかを眺めては、うらやましい気持ちになってきたっけ。


「……そっか。じゃあ、私が初めてなんですね。一緒に行くの」

「そういうことになるね」

「ふふっ、万央さんの初めて人かぁ」


 夢羽さんがわずかに視線を下げ、夢とうつつの間をただようようなうっとりとした目で、ぽつりとつぶやく。


「教室の人たちが今の私たちを見たら、どう思うでしょうね?」

「付き合っているんじゃないかって、また噂になっちゃうってこと?」


 夢羽さんが静かにうなずき、スニーカーの先を見つめながら、ささやくような声をもらす。


「……でも、今日は誤解されてもいいかな」

「え?」

「だって、こうして万央さんのとなりにいるとすごく安心するというか……心が温かくなってくるのは事実ですから」


 夢羽さんがはにかんだ笑みを僕に向ける。

 その声はどこか切なげでもあり、けれども確かな芯が通っているようで、力強くもあった。

 それから、夢羽さんは何を思ったのか、慌ててつけ加えた。


「で、でも、だからと言って今すぐお付き合いしたいとか、そういう話ではないんですっ。その、なんと言いますか、万央さんもご存じの通り、私には一人の時間も必要でして……。つまり、誰かと一緒にいたいと願いながら、一方で一人にもなりたいという、二律背反を常に抱えた面倒な女なんです。だから、将来こんな私とお付き合いする方がいたとしたら、すごくかわいそうだなって思います」


 夢羽さんはそう話しながら、一人で勝手にどんどん沈んでいき、下を向く。

 僕は首を横にふった。


「そんなことないよ。僕は夢羽さんとお付き合いできる人は幸せだと思うな。だって、夢羽さんの気持ちも分かるし、優しくて細かな気づかいもできるし、なによりこんなに可愛い人を独り占めできるんだもの」


 僕の正直な気持ちだった。


「…………っ!」


 夢羽さんの蕾のようなツンと結ばれた唇の先が、何かを言いたそうに震えている。

 けれども、夢羽さんは恨めしそうな赤い顔でじっと僕を見つめるだけで、それ以上は何も言わなかった。



  〇



 目的の駅に到着し、僕たちはフェス会場までの一本道を歩き始めた。


 やがて大きなサッカースタジアムが右手に見えてきたかと思うと、それに併設するかのように、アーチ型の天井とガラス張りの壁面が特徴的な建物が現れた。そこが今日の会場だ。


「わあ、こんなにたくさんの方がいらしているんですね」


 初めて訪れた夢羽さんが目を丸くする。

 推しのTシャツや法被を着た人や、思い思いのグッズを身につけた人など、会場周辺はすでにお祭りみたいににぎわっていた。

 建物の中に入り、電子チケットに記された座席へとやって来る。アリーナ席ではなかったものの、ステージ全体を間近に見下ろせる、景色に恵まれた三階席だった。


「ここならよく見えそうだね」

「そ、そうですね」


 僕がホッとする横で、夢羽さんは借りてきた猫のように行儀よく席に座り、もの珍しそうに会場を見渡していた。

 それから、周囲の熱気に交じり合うかのように、ついにデニムの上着を脱ぎ出した。

 中に着ていたのは、もちろん『A―DRESS』のTシャツだ。僕もまたパーカーを脱ぎ、さっそく同じTシャツ姿になった。


「ライブ楽しみですね」

「そうだね。深月さんたち、何番目に出てくるのかな?」


 僕と夢羽さんは顔を見合わせ、くすっと笑い合う。

 お互い高揚感を隠しきれないといった様子で、そわそわしてしまい、そんな共通点を発見してまた笑みがこぼれてしまう。気持ちが通じ合うって、やっぱり心地いい。


 そうして開演時間を今か今かと待っていると、ふと、僕のスマホが振動した。確認してみると、深月さんからメッセージが届いていた。

 しかも、立て続けに何件も。


『今日は来てくれてありがとう』

『となりの子が夢羽ちゃん? すごく可愛い子だね』

『へー、おそろいのTシャツなんだー』

『ちょっと距離が近いんじゃないかなあ?』


 え? 深月さん、僕たちのことが見えているの?

 驚いて辺りを見回すと、会場に設置された巨大なモニターに、僕と夢羽さんが並んでいる様子が大きく映し出されていた。


「あっ! 見てください、万央さん。私たちが映っていますよ」


 何も知らない夢羽さんが、控え目な笑みを浮かべて遠慮がちにペンライトをふって応えてみせる。


 僕はそっとスマホの電源を切った。


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