第24話

 いよいよアイドルフェスを明日に控えた夜。

 僕はテーブルにスマホを固定し、椅子に腰を下ろすと、深月さんとビデオ通話を始めた。


『万央くん、やっほー♪』


 モニターの向こうに深月さんの満面の笑みが映し出されている。どうやら深月さんはホテルの部屋にいるらしい。この前宣言していた通り、僕と色ちがいのパジャマに袖を通している。


『うふふっ。万央くんもちゃんとおそろいのパジャマを着てくれているね。これでお姉ちゃんがいなくても寂しくないね』

「僕は大丈夫だから。それより、深月さんは明日も朝から早いんでしょう?」

『まあね。午前中にリハーサルがあるから』

「だったら、今日は早く寝たら?」

『もちろん早く寝るよ。万央くんとのお話をたっぷり楽しんでからね。ところで万央くん』

「なに?」

『悪いんだけどさ、ちょっとスマホを左右に動かしてみてくれるかな? 部屋全体を見渡したいから』

「どうして?」

『どうしても』


 まったくもう。言い出したら聞かないんだから。

 やむを得ず、深月さんに言われた通り、スマホを左から右へ180度回転させてみる。


『よしよし。ちゃんと家のリビングだね。それに誰もいない』

「当たり前でしょ。僕にこの家以外に居場所なんてないよ」

『あら、夢羽ちゃんのお家があるじゃない。二人きりで楽しんできたんでしょう? お姉ちゃんに内緒で』


 深月さんがニッコリと笑みを深める。目だけがあまり笑っていないのが逆に怖い。


 実は、夢羽さんの家にお邪魔したあの夕方――なんと、深月さんが運悪く忙しい仕事の合間をぬって家に立ち寄っていたのだ。

 そして、いつもよりも帰りが遅い僕を執拗に問いつめ、ついに洗いざらいすべてを白状させたのだった。


『夢羽ちゃん、一人暮らしなんでしょう? そんな女の子のお家にどうして行っちゃったのかな? ちょっと間違えちゃったのかなあ?』


 目をくりくりっとさせて、モニター越しに僕をのぞきこむ深月さん。どうやらそうとう根に持っているらしい。


『万央くん、まさか今夜家に夢羽ちゃんを連れこんだりしていないよね?』

「そんなことしないよ」

『それならいいんだけど。でも、いいなー。明日はフェスデートでしょう? 夜道には十分気をつけてね』


 急にゾクッと背中に悪寒が走ったような……きっと気のせいだよね?


『とにかく、明日は夢羽ちゃんの存在が吹き飛ぶくらい万央くんを魅了してみせるから。ずっと私だけを見ていてね♪』

「う、うん。深月さん、いつになく気合が入っているね」

『そりゃそうだよ。明日は絶対に負けられないもの。いろいろとね』


 パジャマ姿の深月さんの背後に、メラメラと炎が揺らめいて見える。こんなに並々ならぬ決意を感じさせる深月さんは初めてだ。


 それから、深月さんはふと表情を和らげると、しんみりとした声で懐かしげに話し始めた。


『ねえ、万央くんは覚えてる? 昔のこと』

「昔のことって?」

『私が中学二年生だった頃、一時期、学校に行けなくなっていたって言ったよね? ちょうどその頃なの、アイドルになろうって思ったのは。そのきっかけをくれたのは、万央くんなんだよ』

「僕?」

『万央くん、私の横でよく一緒になってアニメを見ていたじゃない? その頃、万央くんが特に夢中になっていたのが、日曜朝にやっていた、女の子が変身するアニメだったよね』

「そうだったかな? たまたま日曜日に遊びに行くことが多かっただけな気がするけど」

『そうだよ。万央くん、瞳をキラキラさせてテレビに釘づけになっていたもん。本当はもっと私のことを見てほしかったのに……。それで決めたんだ、私も変身しようって。このままじゃ駄目だって』

「それでアイドルに?」

『周りの子からはどんなに嫌われても、万央くんにだけは私を好きでいてほしくて……。幸いオーディションに合格できて、研修生からスタートして、ようやくデビューを果たして……。ねえ、万央くん。私、あれから少しは変われたかな?』

「少しどころじゃないよ。深月さんは昔よりずっと綺麗になった。びっくりするくらいにね」

『えへへ、ありがとう。……でも、自分では今でもちっとも変わってないなって思うよ。いまだに周りが怖いことも、万央くんへの想いも。ううん、万央くんへの想いは昔よりもいっそう強くなったかな』


 深月さんが小さく笑う。その瞳には不安の色がにじみ始めていた。


『私、万央くんがいないと本当に駄目なんだなって……こうして離れていると、つくづく思い知らされるよ。できることなら、この手で今すぐ万央くんをぎゅって抱きしめたい』

「僕はぬいぐるみじゃないよ」

『ふふっ、分かってるよ。でも、万央くんじゃなきゃ駄目なんだ。ごめんね、こんなに弱いお姉ちゃんで……。でも、こういう話ができるのも万央くんだけだから』

「ありがとう、僕を必要としてくれて」


 僕は深月さんに優しく微笑みかける。


「深月さんが不安になるのは当然だよ。大きなイベントだし、特に明日は会場が大きいしね。それに、たとえフェスが無事に終わったとしても、深月さんはこの先もずっと不安を抱え続けることになるかもしれない」

『うん……』

「だからさ、いっそのこと、そういう自分を受け容れたらいいと思うんだ。些細なことでも不安になってしまう自分をもっと愛してあげようよ。僕は深月さんのそういうところも可愛らしくて素敵だと思うよ」

『万央くん……』


 深月さんの瞳に潤いが増してくる。


 アイドルという職業からか、深月さんは他人と比べがちで、時に自分を否定するようなネガティブな思考にとらわれたりもする。


 だけど、本当に大事なのは、『ありのまま』の自分をきちんと認めてあげること。


 自分の弱いところもちゃんと自分で愛してあげて、一人ひとりが授かった大切な命を精一杯輝かせてあげることが、僕たちに課された使命なんじゃないかなって思うんだ。


「僕はどんな深月さんだって可愛いと思うし、深月さんが僕にとって憧れのお姉さんだという事実は永遠に変わらないから。だから、自信を持って。深月さんならきっと大丈夫だよ」

『……ありがとう、万央くん。おかげで私、頑張れそうな気がしてきた』


 深月さんは、目尻に浮かんだ涙の粒を指の背で拭い、気丈にも僕に微笑みかけてくれた。

 それから、おねだりをするように上目づかいで言った。


『それでね、お願いがあるんだけど……。今度家に帰ったら、万央くんのこと、気が済むまでぎゅってしていい?』

「べ、別にいいけど」

『それと、マッサージもしてほしいかな。身体をほぐすの手伝ってほしい』

「分かったよ」

『それと、いい子いい子もして。フェス頑張ってえらかったねって』

「はいはい」

『それと……』

「まだあるの?」

『もし、万が一夢羽ちゃんと付き合うことになったら、ちゃんとお姉ちゃんに報告してほしい……。お姉ちゃん、泣いちゃうかもしれないけど……内緒はもっと嫌だよ』


 深月さんが眉根をハの字に寄せ、切なげに微笑む。


 そうだった。深月さんはまだ誤解したままなんだっけ。


「その話なんだけど、夢羽さんが僕のことを好きっていうのは、深月さんの思い過ごしだったよ」

『え、ちがうの?』

「うん。夢羽さん、初めは僕のことを助けなきゃって思ってくれていたみたい。でも、逆に僕のそばにいることで自分が救われていることに気づいたんだって。それで、これからも僕と一緒にいたいって言ってくれて」

『あのさあ、万央くん』


 深月さんが困ったように苦笑いを浮かべながら、諭すように告げる。


『それを好きって言うんだよ』


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