第23話

 夢羽さんは僕を気づかって救い出そうとしてくれていた――。

 そんな彼女のさりげない優しさが嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

 僕はなぜストレス関連の本ばかりを借りていたのか、その理由を正直に打ち明けた。


「実は、ストレスを抱えていたのは僕じゃなくて、僕の従姉なんだ。とっても綺麗で素敵なお姉さんなんだけどね。メンタルが弱いことを自分でも認めていて、それでも負けまいと健気に毎日頑張っていて。そんな従姉のお姉さんを僕は心から尊敬しているし、だから、僕が少しでも支えてあげられるといいなって思ったんだ」

「なるほど、それで」


 夢羽さんが納得顔で深くうなずく。


「万央さんはえらいですね。そのお姉さんのために本まで借りて」

「それが僕の使命だからね」


 僕は夢羽さんに笑いかけた。

 いったいいつの間にこんな大きな使命を背負ってしまったのだろう? それこそ深月さんの人生を左右しかねないほどの、重大な使命を。

 けれども、僕はそれを少しも嫌とは感じていない。むしろ自分がそうしたくて、積極的にそうしている節さえある。

 こんな自分でも深月さんに必要としてもらえて、役に立てているという実感が、僕をしぜんと次の行動へと駆り立てていく。ただそれだけのことなんだ。


「私、従姉のお姉さんがちょっぴりうらやましいです。万央さんみたいに支えてくださる方がいて。私にはそういう人がいませんから……」


 夢羽さんがしんみりした声で言う。


「だいたい私、すごくわがままなんですよね……。一人になりたいと願いながら、本当に一人ぼっちになるのは嫌だったり。今だって、万央さんを救いたいだなんておこがましいことを言っておきながら、本当は、万央さんと一緒にいて救われていたのは私のほうだったり。でも、私があまりに万央さんのそばにいるものだから、かえって変な噂が立ってしまって……」

「いいじゃない、別に噂になったって。勝手に言わせておけば」

「万央さんは息苦しくないんですか? 周りの人たちから好奇の目を向けられて、見せ物にされても」

「僕は夢羽さんほど敏感じゃないのかもね。でも、僕は敏感なのはいいことだと思うよ」

「どうして? こんなに息がつまりそうなのに」

「たしかに、周囲に気をつかい過ぎて疲れてしまうのは辛いことだと思うけれど、夢羽さんの場合は、敏感で繊細だからこそ人にも優しくなれるのかなって思うんだ」


 夢羽さんは僕が図書室でどんな本を借りているのかに気づいてくれた。

 そしてスクールバッグに付けられた深月さんのストラップを見つけて、話を広げてくれた。

 なにより、僕がストレスを抱えているんじゃないかと心配して、寄り添おうとしてくれた。

 そういう他人の細やかなサインに気づけるのも、勇気を出して声をかけることができるのも、どれも夢羽さんの尊い美徳だ。


「だから、変に落ちこむ必要なんてないよ。夢羽さんのそういうところもすごく魅力的だと思うし。でも、どうしようもなく周りが気になる時は僕に言って。僕でよければ、図書室だろうが中庭だろうが、一緒に付き合うから」

「万央さん……」

「僕は素敵なことだと思うよ。だって、人より敏感だってことは、他の人なら見逃してしまいそうな日常のささやかな幸せにもたくさん気づけるってことでしょう? 僕は夢羽さんにたくさんの幸せを見つけてもらいたい。そして、最後には幸せになってほしいな」


 僕は心からの本音を夢羽さんに伝え、柔らかく微笑みかけた。


 世の中は理不尽で、苦しんでいる人たちよりも苦しめている人のほうが楽しそうにしていたりもして、強い憤りをおぼえる時もある。

 けれども、僕たちの未来はそういう悪意に満ちた世界であってほしくない。

 そのためにも、まずは夢羽さんみたいな優しい人に報われてほしい。いや、必ず報われるべきなんだ。


 夢羽さんは頬を紅潮させると両手で顔をおおい、肩を震わせた。


「ありがとうございます……私のことをそんな風に言ってくれる人は、これまで一人もいませんでした……」

「ごめんね。今まで気づいてあげられなくて」

「いえ……万央さんには感謝しています。私は今、こんなにも幸せですから……」


 夢羽さんはこれまでいったいどれほどの孤独を抱えてきたのだろう?

 嗚咽をくり返す夢羽さんを目の当たりにしたら、たまらない気持ちがこみ上げてきた。



――こんな時、僕はどうしたらいいのだろう?



 僕はためらったものの、ついに夢羽さんへと腕を伸ばすと、なだめるように優しく抱きとめた。

 だって、深月さんがこうしていると安心するって言ってくれたから。


「…………っ!?」


 夢羽さんがビクッと驚いて顔を上げる。

 けれども、まもなく僕を受け入れてくれると、僕の肩の辺りに顔をうずめてしばらく泣き続けた。


「従姉のお姉さんが教えてくれたんだ。人はこうして何かを抱きしめていると不安が和らぐんだって。だから、今は僕を頼ってよ。ここなら誰かの視線を気にしなくてもいいでしょう?」


 夢羽さんは僕の言葉を聞いてどう思っただろう?

 返事はなかったけれど、僕の身体をぎゅっと抱きしめる夢羽さんの力の強さが何よりの答えだと感じていた。

 僕は夢羽さんの頭をそっと撫でてあげた。絹糸のように細くて艶やかな髪に触れ、僕の指先も火がついたように熱くなる。


 しばらくそうしていると、しだいに夢羽さんの気持ちも落ち着いたのか、やがて僕の身体からそっと離れた。

 泣きはらした目を拭いながら、夢羽さんが小さな唇を尖らせる。


「万央さん、なんだか手慣れた感じでしたけど、もしかして従姉のお姉さんにも同じようなことをよくしてあげるんですか?」

「え? ああ、そんなに頻繁ではないけどね。たまに」

「まったく、万央さんも罪な人ですね。心の中には三船深月さんという理想の女性がいながら、従姉のお姉さんにも優しくして……しかも私にまで……」


 その従姉のお姉さんが三船深月さんなんだけどね、とは口が裂けても言えない。僕は苦笑しながら謝った。


「ごめん。気を悪くした?」

「いえ、万央さんらしくていいと思います」


 夢羽さんは頬を赤らめながら屈託のない笑みを浮かべて、僕を許してくれたのだった。



   〇 



 その後も二人でしばらく会話を楽しんで、いよいよ別れの時間を迎えた。

 夢羽さんが丁寧にお辞儀をして言う。


「今日は私が万央さんの話を聞くつもりでお呼びしたのに、かえって私の話ばかり聞いてもらって、すみませんでした」

「ううん。僕は楽しかったよ。フェスでも一緒に盛り上がろうね」

「はいっ」


 夢羽さんがはつらつとした声を返し、晴れやかな笑みをこぼす。


「……でも私、当日、嫉妬してしまうかも」

「どうして?」

「だって、私じゃどう転んだって三船さんにはなれませんから」

「そんなことないよ。前にも言ったけど、夢羽さんさえその気になれば、きっと深月さんを超えるアイドルにだってなれるよ」

「ありがとうございます。お世辞として受け取っておきますね」


 夢羽さんははにかんだ笑みをこぼし、それから僕をじっと見すえて言った。


「……これからも、ずっと万央さんのそばにいていいですか? 万央さんのそばにいると、不思議と心が安らぎますので」

「もちろんだよ。僕でよければいつでも遠慮なく頼って」


 こうして、僕はようやく家路についた。


 すでに日はすっかり傾き、月が輝き出している。


 深月さんはまだ帰ってきてはいないよね?


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