第22話

 夢羽さんに近距離で見つめられ、しぜんと鼓動が速くなる。

 僕は平静さを装いつつ、壁に掛けられた『A―DRESS』のTシャツへと目を移した。

 夢羽さんが僕の視線を追って小さくうなずく。


「ああ、あれは今度のフェスに着ていこうと思いまして。他にも公式サイトでペンライトやストラップを買いました。ストラップはそこの机に飾ってあります」


 見れば、僕のスクールバッグに付いている深月さんのストラップと同じ物が、夢羽さんの机の小棚に掛けられている。


「あのTシャツは万央さんもお持ちですか?」

「うん。僕もフェスに着ていくつもりだよ」

「そうですか。それだとおそろいになってしまいますね。では、私は遠慮したほうが……」

「そんなこと気にしないでよ。フェスってそういう場所だから。きっとみんなおそろいのTシャツを着ているよ。ああ、深月さんのパフォーマンス、今から楽しみだな」


 僕は夢羽さんの心配をふり払おうと、明るい声を弾ませる。

 すると、夢羽さんがホッとしたように目を細めた。


「ふふっ、万央さんはよほど三船深月さんが好きなんですね」

「好き……というか、もう家族みたいな存在かな。ずっと身近にいて、僕をいっぱい励ましてくれる憧れのお姉さんというか」

「万央さんの理想のタイプですもんね、三船さんは」


 夢羽さんが眉尻を下げておかしそうに笑う。

 僕はもどかしくなる。深月さんが僕の従姉で、昔から一緒に育ってきたからこそ抱いているこの家族にも似た感情を、事実を明かさずに伝えるはすごく難しい。


「素敵な方ですよね。クールで知的で、品がよくて、内面から輝く美しさがあって。きっと自分に自信があるから、あんな風に堂々と振る舞えるのでしょうね。うらやましい」


 夢羽さんがため息交じりに声をもらす。

 そんな彼女の言葉を、僕は複雑な気持ちで聞いていた。


「……そうでもないよ」

「え?」

「たしかに、アイドルの深月さんは華麗な宝石のようにきらめいて、とうてい手に届きそうもない高嶺の花に見えるかもしれないけど、本当は、なかなか自分に自信が持てなくて、心はいつも震えているんだ……。そんなか弱い深月さんが懸命に気持ちを奮い立たせてステージに立ち続けているからこそ、僕も力になってあげたいし、見守りたいって思うんだ」

「万央さん……」


 僕の声がしだいに熱を帯びていく。


 僕は深月さんの真の姿を知っている。

 甘えたがりでメンタルが弱くて、SNSの反応を極度に恐れたり、ひどく落ちこんで泣き出したり……。それでも毎日必死に努力して、時に倒れそうになりながらも、ファンのためにステージに立っている。

 そんな深月さんの献身的な姿を目の当たりにして、どうして応援せずにいられよう? 


 夢羽さんがフッと口元をほころばせる。


「やっぱり、三船さんのことが大好きじゃないですか。まるで彼女の裏側まで知りつくしているみたい」

「あ、いや、きっとそうかなって想像しているだけで」

「……でも、そこまで好きな人がいるなら、私は必要ないですかね?」


 寂しい声音が静かな部屋にしんと響く。

 独り言のようにもらす夢羽さんの言葉に、僕はとまどいをおぼえた。


 澄んだ瞳でただ一心に僕を見つめる夢羽さんの表情はどこか切なげで、救いを求めているようにも感じられて――。

 ふと、これまでずっと抱えてきた疑問が口をついて出た。


「夢羽さんは、いったい僕の何をそんなに心配してくれていたの?」


 夢羽さんが神妙な顔で下を向く。


「万央さんがストレスに関する本を真剣に読んで、何冊も借りていきましたから……。もしかして、万央さん何か大きなストレスを抱えているんじゃないかって」

「それで僕を心配してくれたんだ。でも、僕もってことは、夢羽さんも?」

「はい、日々少なからずストレスは抱えています。それ以上に、母が……」


 夢羽さん今にも泣き出しそうな顔で告白する。


「……実は、私の母は学校の先生なんです。ですが昨年ストレスで倒れて、ついに休職してしまって。母を見ていたら、いつか私も同じようになるんじゃないかって、怖くなって……もう見ていられなくなって……」

「だから一人暮らしを?」

「父は私のわがままを受け入れてくれました。私は昔から人一倍敏感なところがあって、これまでも誰もいない空間や一人でいる時間を必要としてきましたから。きっと父も分かってくれたんだと思います」


 夢羽さんがようやく顔を上げ、微苦笑を浮かべる。純粋なその瞳は涙でにじんでいた。


「どうしても駄目なんですよね、私。教室みたいな場所がすごく苦手で……。騒がしいと耳をふさぎたくなりますし、周りの人の機嫌をすごく気にしてしまって。笑い声なんかが聞こえてくると、自分のことを笑われているんじゃないかって、廊下を歩くのでさえ胸が苦しくなって……。きっと、学校という場所そのものが怖いんだと思います」

「それでよく図書室にいるんだね」

「はい、図書室は私の避難場所ですから。でも、そこで偶然万央さんをお見かけして……。万央さんも普段学校が終わるとすぐに教室を出て行ってしまうので、もしかしたらって」

「自分と同じように、僕も学校にストレスを抱えて飛び出しているんじゃないかと思った?」


 夢羽さんが固い表情で素直にうなずく。


「私、母に何もしてあげられずにいたことをずっと後悔していたんです。だから、万央さんがもしストレスを抱えているのなら、今度こそ私が救ってあげなくちゃって……」


 夢羽さんはそう打ち明けると、ぽろぽろと泣き出してしまった。


 真相を知って、僕の全身からどっと力が抜けていく。


 まったく、深月さんも衣知花さんも、夢羽さんが僕に好意を寄せているなんて口をそろえて言っていたけれど、まるで見当ちがいじゃないか。


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