第20話
「そうだ。万央くんに新しいパジャマを買っておいたんだった」
深月さんはソファーから立ち上がると、リビングの隅から紙袋を持ち出した。
「僕のパジャマ、そんなに古かったっけ?」
「ほら、これから夏に向けて暑くなるでしょう? だから新調したほうがいいかなって」
僕は深月さんから紙袋を受け取り、中からパジャマを取り出した。
なぜか二着入っていた。
「あれ? どうして二着?」
「こっちの紺のほうは万央くんの分。そしてピンクは私の分。色はちがうけど、デザインは同じだよ」
「それってつまり、おそろいってこと?」
「うんっ!」
深月さんがパジャマの一つを大事そうに抱え、太陽みたいな満面の笑みを輝かせる。
「フェスの前日にはホテルに泊まらなきゃだし、この先地方公演とか収録とかで家を空けることも多くなるから、万央くんと離ればなれの夜を過ごすことになるでしょう? だから、少しでも二人を感じられる物があるといいなって」
「それじゃ、外に泊まる時はこのパジャマを持っていくの?」
「もちろん。それとも、万央くんも一緒にホテルに来てくれる?」
「そんなことしたら、また衣知花さんに叱られちゃうよ」
「それは怖いなぁ」
深月さんが眉根を寄せて困ったように笑う。
「というわけだから、私がいなくても、おそろいのパジャマで私を感じてね。万央くん」
「うん、ありがとう」
「ふふっ、素直でよろしい。じゃあ、さっそく着てみよっか」
「え? ここで?」
「あら、いいじゃない。お互い後ろを向いていれば見えないし。私もここで着がえるからさ」
「そういう問題?」
「一秒でも早くおそろいの姿が見たいんだよ。ね、いいでしょう?」
「まったく。言い出したら聞かないんだから」
こうして僕たちは背を向け合い、一緒にパジャマに着がえ始めた。
それにしても、この状況って……。
自分が脱ぐことも気恥ずかしいけれど、それ以上に、深月さんが服を脱ぐ時にわずかに聞こえてくる衣擦れの音が、僕をひどくドキドキさせる。
「万央くん、絶対に振り向かないでよ。絶対だよ。今振り向かれたら、お姉ちゃんの可愛い下着姿が見られちゃう」
「言わなくていいから」
深月さんの甘い誘惑にも負けず、自分の着がえに専念する。
そして間もなく僕たちは着がえを終え、互いに向き合った。
なぜか深月さんは拗ねたようにぷっくり頬を膨らませていた。
「もう、どうして振り向かないかな。お姉ちゃん、そんなに魅力ない?」
「いや、振り向いちゃ駄目でしょ」
「それにしても、やっぱり可愛い~っ!」
深月さんはおそろい姿にすっかり気をよくしたのか、晴れ晴れとした笑顔でぎゅっと僕に抱きついてきた。
「ねえ、知ってる? 人って、自分と似た外見のパートナーに心惹かれるんだって。おそろい効果で、お姉ちゃんのことがますます好きになっちゃうね」
「もしかして、それが目的だったの?」
「う、ううん。パジャマを代えたのはあくまで最近暑くなってきたからで……別に万央くんにもっと好きになってもらいたいとか、万央くんと片時も離れるのが嫌とかじゃないから」
「本当かなぁ?」
「うぅ……」
僕が本音を探るようにジト目でじーっと見つめていると、深月さんが下ツインテールの毛先を人差し指でくるくるいじりながら、恥じらい交じりに打ち明けた。
「そりゃ寂しいよ。お仕事だから仕方ないけど、できれば万央くんとずっと一緒にいたいもの。万央くんだって、私がいなくなったら寂しいでしょう?」
「僕はお仕事の間くらいなら大丈夫だけど」
「嘘……。昔、私がいなくなると『お姉ちゃん、どこ?』って泣きながら探してくれたのに? ちょっとでも私が離れようとすると、スカートの端をきゅっと掴んでついて来ようとしたのに?」
「いつの話をしているの? 僕だってもう高校生だよ」
「高校生なんてまだまだ子供だよ。万央くんももっと寂しがってよ。これじゃあ、お姉ちゃんが一方的に寂しがっているみたいじゃない」
「逆に、僕が家を空けたらどうする気? 来年には修学旅行があったりするよ」
「その時は私もついて行くよ。修学旅行に合わせて地方公演すればいいんじゃないかな?」
「そんなに都合よくはいかないよ」
僕たちはそんなたわいもない会話に花を咲かせ、やがてそれぞれの部屋へと別れた。
ベッドに仰向けになって、暗い天井を見上げながら、ぼんやりと考える。
深月さんはこんなにも僕を必要としてくれる。だから、僕も少しでも深月さんの想いに寄り添い、励まし続けてあげたいと思っている。
一方で、僕の心の中にはもう一人別の女の子の存在もあって――。
僕はこの先、夢羽さんとどんな態度で接していけばいいのだろう?
――『夢羽ちゃん、きっと万央くんのことが好きなんだよ』
本当に、深月さんの言う通りなのだろうか?
衣知花さんも深月さんも、声をそろえて夢羽さんが僕に好意を寄せていると言う。二人の大人の女性がそうアドバイスしてくれるのだから、間違いはないのだろうけど。
――『……心配だったから』
昼休み、夢羽さんは切なげに瞳を揺らし、静かな声で僕にそう告げた。その言葉の真意を僕はまだ知らない。
夢羽さんは僕のいったい何を心配してくれたのだろう?
「……明日またちゃんと話してみるしかないか」
僕がもらした独り言が、暗い虚空に吸いこまれていく。
付き合うとか付き合わないとか、そういう二人の関係の変化について考える前に、僕はもっと夢羽さんを理解すべきなんじゃないか?
僕にはそんなふうに思えてならなかった。
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