第19話

 夜、僕はいつものようにリビングのソファーに座り、タブレットを眺めていた。衣知花さんからメッセージが届いたのだ。


『アンタすごいじゃない』

『何がです?』

『深月、絶好調よ。いつもより断然気合が入っていて、もうキレッキレよ。いったいどんな手を使ったの?』

『僕は何も。ただ励ましてあげたくらいで』

『そう。ところで、夢羽にはもう告白した?』

『しませんよ』

『呆っれた。さっさとしなさいよね。意気地なし』


 短いながらも衣知花さんらしさが十二分に発揮されたメッセージだった。


「万央くん、いったい何を見ているの?」


 深月さんが不思議そうに首をかしげる。どうやら僕の様子が気になるらしい。


「衣知花さんからメッセージが送られてきて」

「衣知花ちゃん、何だって?」


 深月さんが微笑を浮かべながら僕のとなりに腰を下ろす。ふわり、といい匂いがした。


「深月さんが絶好調だって。衣知花さん、深月さんのことを褒めていたよ」


 まさか夢羽さんに早く告白しろという内容だったとは打ち明けられない。この秘密は胸の奥に永遠にしまっておこう。


「そうなの? 私には面と向かっては褒めてくれないよ。『もっとできる』とか『油断するな』とかばっかりで」

「心の中では深月さんのことをちゃんと認めているんだよ」

「それならそうと言ってくれたらいいのに」


 深月さんがぷくっと頬を小さく膨らませ、それからふと表情を緩めると、肩の辺りに頭を寄せてきた。


「ねえ、万央くん。ちょっと腕借りてもいい?」


 深月さんは唐突にそう切り出すと、返事も待たず僕の腕を取り、甘えるように抱きしめる。


「ねえ、知ってる? 人間って、何かを抱きしめていると不安が和らぐんだって。ぬいぐるみとか、クッションとか」

「それなら僕じゃなくてもいいよね?」

「私にとっては、万央くんをぎゅってしている時間が一番落ち着くから。ね、いいでしょう?」


 瞳を切なげに揺らしながら、上目づかいでおねだりしてくる深月さん。そんな綺麗な顔で言われたら、断れなくなってしまう。


「ライブ前はやっぱり不安?」

「ライブ前だけじゃないよ。今でも急に不安に襲われたりして……。ほら、私、メンタル弱いから」

「弱くてもいいじゃない。いざとなれば僕もいるし」

「でも、いつも万央くんがそばにいてくれるとは限らないでしょう?」


 深月さんが僕の腕をさらに強く抱きしめる。


「……最近、夢羽ちゃんとはどう?」


 深月さんの口からふいに夢羽さんの名前が飛び出して、僕はドキリとした。

 衣知花さんの言う通り、もし本当に夢羽さんが僕からの告白を待っているのだとしたら……。

 僕はこの先、夢羽さんとどう接していけばいいのだろう?


「あいかわらず昼休みは一緒に過ごしているの?」

「フェスが近いからね。最近はわりと二人でその話ばかりしているかな」

「他の子とは一緒に食べたりしないの?」

「共通の話題で盛り上がれる人って、そう簡単には見つからないから」

「……二人のことって、周りの子たちからはどう見えているのかな?」

「付き合っているように見えるんじゃないか、ってこと?」


 深月さんが表情をくもらせ、静かにうなずく。そして、身体を預けるようにさらに僕に寄りかかってきた。


「今度のフェスにも一緒に来てくれるんでしょう? 万央くんは、夢羽ちゃんとどうなりたいの?」

「どうって。せっかく深月さんに興味を持ってくれたわけだし、『A―DRESS』の曲もたくさん聞いてくれているから、このまま一緒に推し活を楽しめたらいいなって」

「夢羽ちゃんと付き合おうとは思わない?」

「うーん。前にも深月さんに伝えた通り、今は誰とも付き合う気がないかな」

「……付き合ってあげたら?」


 深月さんが、思いつめたような固い声で告げた。


「夢羽ちゃん、きっと万央くんのことが好きなんだよ。毎日のようにお昼を一緒に食べて、フェスデートまで計画して。何も期待していないはずないよ」

「衣知花さんから何か聞いたの?」

「ううん、何も。でも、聞かなくたって分かるよ。それに……。大好きな人と付き合えない辛さは、私が一番よく分かっているから」


 深月さんが寂しそうに微笑む。声には涙の色がにじんでいた。


「私はアイドルだから、卒業するまで誰とも付き合えないけど……もしアイドルじゃなかったら、付き合ってみたかったなって思ったりもするよ。だって、すごく楽しそうだもの。私もそんな青春を送ってみたかったな」

「深月さん……」

「だから、もし万央くんが少しでも夢羽ちゃんに気があるなら……付き合ってあげて……。ひっく……私はそれで……構わないから……っ」


 深月さんの目からひと筋の涙があふれ出し、白い頬を濡らしていく。

 僕はたまらなくなって、深月さんをなだめるように、細い肩をそっと抱き寄せた。


「さっきも言ったけど、僕はまだ誰とも付き合う気はないよ。もちろん、夢羽さんは控え目でおしとやかで、可愛い子だとは思うけど。僕にとっては、深月さんと過ごす時間も大事だから」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私も万央くんのことを束縛したくないし……。試しに付き合ってみるとかは?」

「まだ気持ちの整理がつかないよ。それに、夢羽さんが僕のことを好きでいる保証もないし」

「私は好きだと思うけどな、話を聞いている限り。それに、相手は万央くんだもの。夢羽ちゃんが夢中になったって仕方ないよ。だって、万央くんは世界で一番素敵な男の子だから」

「そんなこと言ってくれるの、深月さんくらいだよ」

「きっと夢羽ちゃんにも伝わっているんだよ。万央くんの優しさが」


 深月さんは僕を諭すように言い、ふっと口角を上げた。


「会ってみたいな。その、夢羽ちゃんって子に」

「昔の深月さんとよく似ていると思うよ。真面目なところとか、本をよく読んでいるところとか」

「ねえ、万央くん。……それって、万央くんが私のことを好きってこと?」


 深月さんが純粋な目で僕を見上げ、不思議なことをたずねてくる。


「え? どうしてそうなるの?」

「だって、家でもこうして一緒にいるのに、学校でも私によく似た子と過ごしているんでしょう? それってつまり、万央くんが家でも学校でも私を求めているってことじゃない」

「そう……なのかな?」

「そうだよ! もう前世から、細胞レベルでお姉ちゃんのことを欲しているんだよ。きっと万央くんの理想のタイプって、私みたいな人なんだと思うな。万央くんだって、そう思うでしょう?」


 ニコッと笑顔で僕に同意を求めてくる深月さん。優しげな表情とは裏腹に、「異論は受けつけません」感がすごい。

 僕は苦笑して言った。 


「そういうところも似ているよね。深月さんと夢羽さんって」

「そういうところって?」

「夢羽さんも同じことを言うんだ――きっと深月さんが僕の理想のタイプなんだって。しかも、一度言い出したらなかなか聞いてくれないし」

「へー、すっごくいい子だね、夢羽ちゃんって。ますます会ってみたくなっちゃった」


 深月さんが、ホッとしたような、嬉しそうな笑みを深める。


「ちがうところがあるとすれば、夢羽さんがよく読んでいるのが純文学で、深月さんがよく読んでいたのがライトノベルやファンタジーだったってことくらいかな」

「どうせ私は夢見がちなオタクですよーだ。おかげで身の程もわきまえずアイドルなんか目指しちゃうし」

「でも、それで本当にアイドルになれちゃうんだからすごいよね。これからもずっとアイドル活動を続けていくんでしょう?」

「うん……」


 深月さんが真剣な顔でうなずく。


「今はまだやめられないよ。衣知花ちゃんの想いも知っているし、ファンも人たちもたくさん応援してくれる。それに……ここで逃げ出したら経験値は0のままだもの。私もまだまだレベルアップしたいもん」

「RPGみたいだね」


 僕たちはクスクスと笑い合う。深月さんは相変わらずゲーム脳らしい。


「とにかく、今度のフェスでは成長した私を見せるからさ。絶対に目を離さないでね」


 深月さんが気持ちのこもった声を弾ませる。


 平和な夜がゆるやかに更けていく。


 寄せ合った身体から伝わる温もりがくすぐったい。 

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