第18話

 深月さんが出演するアイドルフェスまで残り一週間を切った、ある昼休み。


「なんだかドキドキしてきましたね」


 中庭のベンチに並んで座り、太ももの上にお弁当を乗せた夢羽さんが、高揚する気分を抑えながら言った。


「今週末だもんね、アイドルフェス。僕も今から楽しみだよ」


 僕もまた共感を示しつつ、清々しい青空を見上げた。

 深月さんたち『A―DRESS』のメンバーは、土曜日に開催されるDAY1に出演する予定となっている。

 二日目に登場しないのは残念だけど、だからこそ初日のDAY1では思い残すことなく全力で深月さんたちを応援してあげなくちゃ、という使命感がわいてくる。


「チケット二枚取れてよかったね」

「はい。これで万央さんと一緒にフェスに行けますね」


 夢羽さんが頬をほのかに朱に染めて、柔らかく微笑む。

 夢羽さんのはにかんだ笑みを前にして、僕は不覚にもドキッとした。

 数日前に衣知花さんから教えられた言葉のせいで、僕の心は簡単に揺れてしまう。



――『いい? 夢羽はね、アンタのことが大好きなの』



 本当にそうなのだろうか?

 たしかに、衣知花さんの言う通り、二人でフェスに行くってことは、つまりデートでもあるわけで。まるで意識していなかったけど、けっこう大胆なことをしているとようやく自覚させられた。


 でも、図書室で声をかけられるまでまるで接点のなかった夢羽さんが、どうして急に深月さんに興味を持ち、僕と一緒にフェスに行きたいと言い出したのだろう?

 その疑問に対する答えを「僕のことが好きだから」だと仮定すると、いろいろとつじつまが合うから困ってしまう。


 しかし、だとしても彼女がいつ、どこで僕のことを好きになってくれたのか、まるで想像がつかない。いったい何がきっかけだったのだろう? そもそも、本当に衣知花さんが言う通り、夢羽さんは僕のことが好きなのだろうか?


 夢羽さんは小さな口で少しずつお弁当を食べ進めながら、心配そうに言った。


「私、こういうイベントに参加するのは初めてで、何をどうすればいいのか分からなくて」

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。当日はその場の雰囲気に身を任せていればいいから。ところで、深月さんたちの曲は聞いてくれた?」

「はい。最近よく聞いています。それに万央さんから教えていただいた動画もチェックしましたし、お借りしたブルーレイも一通り見ましたから。だいたい頭に入っています」


 夢羽さんが素直に首を縦に振る。あまりに健気で僕も嬉しくなる。

 僕が推しているものを他の誰かが好きになってくれるって、こんなにも気持ちがいいことなんだ。

 夢羽さんがうっとりと目を細める。


「お綺麗ですよね、三船深月さん。美人で、知的で、クールで、立ち振る舞いも優雅で年齢以上に落ち着いていて。それでいて、ふとした時に見せる笑顔もキュートで。万央さんの理想のタイプだというのも納得です」

「いや、だから別に深月さんが僕の理想ってわけじゃ」


 この間から、夢羽さんは妙な勘ちがいをしているらしい。僕が深月さんのタイプの女性だとは一言も告げてはいないのだけど、夢羽さんは勝手にそう思いこんでいるみたいだ。

 夢羽さんがぽつりと声をもらす。


「……私にはなれないな。ああいう人には」

「そうかな? なれると思うけど」

「え?」

「だから、夢羽さんが望むなら、きっと深月さんみたいになれると思うよ。夢羽さんだって可愛いし、深月さんと似たところもあるから」


 僕は確信をもって彼女にそう伝えた。

 夢羽さんだって『図書室の天使』と称されるほどの美少女だし、文学少女で本をよく読んでいる姿は、昔の深月さんを彷彿とさせたりもする。少女時代の深月さんも大事そうによく本を抱えていたっけ。


「か、可愛いですか、私が?」

「うん。顔も性格も可愛いし、なにより澄んだ綺麗な目をしてる。夢羽さんが大人になったら、きっと深月さんみたいな美人になるんだろうな」

「さすがに無理ですよ。ハードルが高すぎます」

「そんなことないって。夢羽さんなら将来深月さんを超えるアイドルになれるかもしれないよ」

「お、恐れ入ります……っ」


 夢羽さんはすっかり顔を赤らめて、今にも消えてしまいそうな声でうつむく。


「不思議な人ですね、万央さんって」

「どうして?」

「だって、こうして毎日のように私に付き添ってくださって、こんな地味な私を褒めてくれて。私と一緒にいたって何の得もないでしょうに」

「損か得かなんて考えたことないよ。僕はただ夢羽さんと一緒にいたいから、こうしているだけで」

「……万央さんはご存じですか? 私たちが噂になっているの」

「噂って?」

「……二人が付き合っているんじゃないか……って」


 夢羽さんが耳まで真っ赤に染め上げて、泣きそうな目で打ち明ける。

 意外な真実を告げられて、たちまち僕の顔がカアアァッと熱を帯びていく。

と同時に、またしても衣知花さんの言葉が耳によみがえってきた。



――『夢羽はまちがいなくアンタからの告白を待っている』



 どうして衣知花さんがあんなにも僕と夢羽さんをくっつけたがっているのかは分からない。

 けれども、乙女心については間違いなく僕よりも衣知花さんのほうが理解しているはずで。

 もし衣知花さんの推理がすべて正しいのだとしたら、この状況は、まさしく夢羽さんが僕からの告白を心待ちにしている場面だと言えるのかもしれない。

 ……でも、どうしよう。

 僕は、深月さんにも伝えた通り、今は誰とも付き合う気がない。



――『人間にはね、身近な存在を幸せにする使命が課されているの』


――『だから私たちアイドルはファンを幸せにするし、アンタは彼女を幸せにする。分かった?』



 衣知花さんに諭すように教えられた言葉が、僕の心をひどく惑わせる。

 せっかくこうして仲良くなれた夢羽さんを傷つけるようなことはしたくない。

 こんな僕でも夢羽さんのような健気で可憐な少女を幸せにできるのなら、僕にとってもこれ以上幸せなことはない。


「……ごめんなさい。私のせいで、こんなことになっちゃって」

「ううん。いいんだ、これは僕のせいでもあるから。僕がもっと周囲に気を払っていたらよかったね」

「いえ、私のせいです。私が万央さんを熱心に誘ったりしたから……。それに、万央さんは優しくて一緒にいて居心地がいいから、つい私も甘えてしまって。私なんか、いつもみたいに一人ぼっちでいればよかったんです」

「そんなこと言わないでよ。僕はいつも楽しいよ、夢羽さんと一緒にいられて」


 僕の言葉に、夢羽さんが驚いたように顔を上げる。

 潤んだ美しい瞳でじっと僕を見つめる夢羽さん。しぜんと僕の鼓動もスタッカートを刻むように速くなる。

 けれども、夢羽さんはふと瞳をそらすと、苦しそうに胸を抑えながら告げた。


「私、本当は怖いんです……万央さんと一緒にフェスに行くことが。私自身はすごく行きたいですけど、周りからますます誤解されそうで……。万央さんにこれ以上ご迷惑をおかけしたくなくて……。私、まさかこんなことになるとは思わなかったから……」


 切々と打ち明ける夢羽さんの声が震えている。となりで聞いていて、僕の胸にも夢羽さんの切なさが伝染したようにこみ上げてくる。

 僕は衝動的に夢羽さんの手を取った。


「行こうよ、フェス。僕は夢羽さんと一緒に行きたい。ううん、夢羽さんと一緒じゃなきゃ嫌だよ。せっかく深月さんに興味を持ってくれたんだもの。周りの目なんて関係ない。僕と一緒にフェスを楽しもう!」

「万央さん……」


 夢羽さんの綺麗な瞳から、ひと筋の涙が頬を伝い落ちる。


「ありがとうございます。おかげで決心がつきました。私もご一緒していいですか?」

「もちろん。僕は初めからそのつもりだったよ」


 夢羽さんが涙をぬぐい、嬉しそうに微笑む。雨上がりの青空みたいな、虹色に輝くまぶしい笑顔だった。


「ところで、一つだけ聞いてもいいかな?」

「はい。なんでしょう?」

「夢羽さんは、あの時どうしてあんなにも熱心に僕に声をかけてくれたの?」


 つい先日の、図書室でのやり取りを思い出す。

 夢羽さんは図書室を去ろうとする僕の背中に何度も声をかけ、ついには僕を昼休みに誘ってくれた。その理由を僕は知りたかった。


「……心配だったから」

「心配?」


 僕の頭上に疑問符が浮かぶ。

 夢羽さんはいったい僕の何を心配してくれていたのだろう?


「そろそろ昼休みが終わっちゃう。私、先に行きますね」


 夢羽さんはそう言って立ち上がると、僕をベンチに残し、お弁当を抱えながら小走りに去っていった。 

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