第15話
「今日の深月さんが本来の調子から程遠いことはよく分かりました。でも、どうしてそこで僕が出てくるんです? 僕とは何も関係がない気がするんですけど」
「関係ないわけないでしょ。こういう時は、だいたいアンタのせいって相場が決まっているのよ」
「ひどい」
「さあ、よく思い出しなさい。アンタが深月に何をしたのか。何か深月の様子に変わったところはなかった?」
「そういえば……」
ふり返ってみれば、思い当たる節はある。
たしか昨日、夢羽さんと一緒にアイドルフェスに行くって打ち明けた辺りから、深月さんが急に具合が悪くなったって言い出したんだっけ。
僕は記憶をたどりながら、その一部始終を衣知花さんに伝えた。
衣知花さんは腕を組み、眉根を寄せて話を聞いていた。そして、最後まで聞き終えると、呆れたように言った。
「それじゃ何? アンタは深月がいながら夢羽って女にも手を出したってわけ?」
「衣知花さん、言い方」
誤解のないよう、僕は慌てて訂正する。
「夢羽さんが深月さんにすごく興味を持ってくれて。それで今度一緒にフェスに行こうって話になって」
「アンタ、まさか深月と住んでいるだなんて言ってないでしょうね?」
「もちろんです。僕たちの関係については隠し通すつもりです。でも、フェスに一緒に行くくらいはいいかなって。せっかく深月さんに興味を持ってくれたわけですし、深月さんだって、そういう子が応援に来てくれたら嬉しいんじゃないかって」
「ええ、もちろん嬉しいわよ。アンタにははらわたが煮えくり返っているかもしれないけど」
「え?」
「この際だからさ、アンタに聞いておきたいんだけど」
衣知花さんがテーブルに肘をつき、ずいっと身を乗り出して僕の顔をのぞきこむ。
「アンタ、深月のことをどう思ってるわけ?」
衣知花さんの真剣な目がまっすぐ僕に向けられる。いい加減な返答はけっして許されない目だ。
僕もまた衣知花さんから視線をそらさず、真っすぐに思いを打ち明けた。
「実の姉のように思っています。昔からよく面倒を見てもらっていましたから。だから、今度は僕が少しでも深月さんを支えてあげられたらいいなって。それが今の僕にできる、深月さんへの精一杯の恩返しですから」
「フン。聞こえはいいけど、本気でそう思ってる?」
「はい、僕は本気です」
「そう。だったら、深月のことをもっと大切になさい。今の深月、そよ風にも吹き飛ばされそうなほど弱っているわよ」
「僕はいったいどうすれば?」
「それを考えるのがアンタの仕事でしょう? 深月がベストコンディションで本番を迎えられるよう、環境を整えて、気持ちよく送り出してやる。それができないなら、さっさとこの家を出て行きなさい。ま、どんな結果であれ、いずれは出て行ってもらうんだけどね」
衣知花さんが突き放したように言う。
けれども、衣知花さんの言い分にも一理ある。
僕はかつて深月さんを支え続けると心に誓った。もしそれができないようなら、この家に僕の居場所はないし、そもそも僕がこの世に存在する意義さえないのかもしれない。
衣知花さんは頬づえをつき、さらに僕を問いつめる。
「で、次にその夢羽って女のことはどう思っているの?」
「まだ出会ったばかりなので、そこまでは。控え目で慎み深い感じの真面目な子なんですけど、話してみると案外気さくで親しみやすくて。お弁当のおかずの卵焼きもくれました」
「その子、可愛いの?」
「そうですね。後で知ったんですけど『図書室の天使』って呼ばれているみたいです。彼女を一目見ようと図書室を訪れる生徒も多いんだとか」
「へえ、万央って意外とモテるんだ」
「どうしてそうなるんです? 僕がモテるわけないじゃないですか」
「だって、その天使とやらと一緒にランチを食べているんでしょう? 昨日も今日も、二人きりで」
「それは、夢羽さんが深月さんに興味津々だからで」
「私だったら好きでもない男子と一緒にランチを食べようとは思わないなー。しかも、今度のフェスでデートするんでしょう? それってもう、好きってことじゃん」
「どうしてそうなるんですか」
「逆にどうしてそうならないのか、こっちが聞きたいくらいなんだけど」
衣知花さんが苦笑しながら頬づえをつく。
それからマグカップに注がれた紅茶を口にして、ひと息ついた。
「まあ、だいたい事情は分かったわ。いろいろ教えてくれてありがとね」
「いえ、こちらこそ。なんかすみません」
「まったくだわ。どうして私がアンタたちの面倒を見なくちゃいけないわけ? 私だってフェスに集中したいのに」
「深月さんのこと、よろしくお願いします」
「アンタに言われるまでもないわ。深月は私の夢なんだから。深月が世間にもっと認知されるまでビシバシ鍛えてやるわ」
「ど、どうかお手柔らかに」
僕はやんわりと衣知花さんにお願いする。また深月さんに泣かれてはかなわない。
衣知花さんはマグカップを置き、独り言のようにつぶやいた。
「……ったく、深月も深月よ。たかが小娘に翻弄されて、動揺しまくるなんて。もうちょっと自立してほしいものだわ」
「何か言いました?」
「いーえ、何も。……ん、待てよ? もしかして、これはチャンスなんじゃ」
「チャンス?」
「そうよ、これはチャンスだわ! 深月を万央から切り離して自立させるためのね!」
衣知花さんの瞳に怪しい光が宿り始める。それから眉をキッとつり上げると、強い目で僕に迫った。
「アンタ、その夢羽って子と付き合いなさい」
「……は?」
たちまち僕の頬がカッと熱くなる。
「ど、どうして僕が夢羽さんと付き合わなくちゃいけないんですかっ?」
「いい? 夢羽はね、アンタのことが大好きなの。そうじゃなきゃランチも一緒にしないし、フェスデートもしない。深月のことは、あくまで万央に近づくための口実。そのくらい、アンタでも分かるでしょ」
「そう言えば……。夢羽さん、何か僕に隠していることがあるような」
「ほらごらんなさい。控えめで慎み深い女なんでしょう? だから、アンタに恋心を抱いていても、打ち明けられずにいるのよ」
「まだそうと決めつけるのはまだ早い気が」
「いいえ、そうに決まっているわ! 夢羽はまちがいなくアンタからの告白を待っている。というわけだから、さっさと夢羽に告りなさい」
「無茶ですよっ! だいたい、知り合ってまだ間もないのに」
「大丈夫、絶対にイケるから! 天使のように可愛い子なんでしょう? きっと自慢の彼女になるわ」
あまりに強引に話を進める衣知花さんに、僕は思わず閉口した。僕の話も聞かないで一方的すぎる。
しかし、衣知花さんは僕の意など介さず、立ち上がると両手をテーブルにつき、身を乗り出すようにして僕に言い聞かせた。
「よく聞きなさい、万央。愛ってのはね、もらう物じゃなくて与える物なの。だから私たちアイドルは、ファンからの愛を欲しがる前に、自分たちから愛を与えるの。そうすることで、やがて愛は返ってくるからね。だから、アンタも夢羽って子に愛を与えなさい」
まるで他を寄せつけない高貴なプリンセスさながらに、衣知花さんは高みから僕に命じる。
「でも、僕はけっしてそういうつもりじゃ」
「アンタにそのつもりがなくても、相手が待ってるって言ってるの。だから、アンタから行くの。人間にはね、身近な存在を幸せにする使命が課されているの。だから私たちアイドルはファンを幸せにするし、アンタは彼女を幸せにする。分かった?」
まるで異論の余地を与えず、一方的に言い放つ衣知花さん。
それから、もうこれ以上話すことはないとでも言いたげに、ハンドバッグを肩にかけ腕時計に目をやった。
「必ず夢羽に告りなさいよ。そのほうが深月にとっても幸せなんだから」
「どうして僕が夢羽さんに告白すると、深月さんが幸せになれるんです?」
「そういうものなの。分かったわね」
衣知花さんは最後に念を押すように僕に言い聞かせると、やがて事務所へと戻って行った。
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