第13話

「行ってきます」


 僕は深月さんに短く告げ、高校へ行こうとスクールバッグを肩にかける。


「うん、行ってらっしゃい。……って、あら?」


 深月さんが小さな変化を見逃さず、驚きの声をもらす。


「付けてくれたんだ。私たちのストラップ」


 そうなのだ。実は、僕は今日からスクールバッグに『A―DRESS』のストラップをつけ始めていた。

 しかも、それは知っている人が見たらひと目で深月さん推しだと分かるグッズだった。


「どうして今日から付け始めてくれたの? 今まで恥ずかしがってちっとも付けてくれなかったのに」


 どうやら深月さんは僕の心境の変化に興味津々らしい。瞳をきらきらと輝かせて、僕の返答を期待して待っている。

 僕は照れくささを感じながら、正直に打ち明けた。


「僕、あれから考えたんだ。僕はまだ、深月さんがどういう世界を生きているのか、ちゃんと分かってなかったなって。――だから、今まで以上に深月さんに寄り添いたいって思ったんだ。深月さんのこと、もっと理解するためにね。それで、まずは形からでも深月さんに近づこうかなって」


 説明しながら、たちまち頬が熱を帯びてくる。自分の気持ちを素直に伝えるのって、やっぱり恥ずかしい。


「万央くん……」


 深月さんが感極まったように瞳をうるませる。そして、なぜか突然、勢いよく僕にむぎゅ~っ! と抱きついてきた。


「万央く~んっ!」

「わあっ! な、何? どうしたの、急に?」

「もう、君はどうしてそんなにいい子なんだい? 今日はお姉ちゃんが一日中ず~っといい子いい子してあげる!」

「いいよ、そんなことしてくれなくても! それより学校に遅れちゃう!」

「ああっ、万央くん!?」

「それじゃ行ってくる!」


 こうして僕はなんとか深月さんの腕から逃れ、家の外へと駆け出したのだった。



   〇



 学校に到着すると、僕は教室には向かわず、まず図書室へと立ち寄った。借りていた本を返しに行くためだった。

 白く澄んだ日差しが射しこむ朝の図書室に利用者の姿はなく、ただ一人、いかにも真面目そうなロングヘアーの図書委員の女子生徒だけがカウンターに座り、文庫サイズの純文学を静かに読んでいた。


「すみません。借りた本を返しに来たんですけど」


 僕はカウンターへと進み、スクールバックから本を数冊取り出すと、彼女に手渡した。


「…………っ」


 本を受け取った図書委員の女子生徒は、そのまま返却の手続きを済ませるかと思いきや、ふと本の表紙に目を落とし、動きを止めた。どれもストレスに関する本だった。


「どうかされましたか?」


 何か不手際でもあったのだろうか? 不思議に思ってたずねると、


「い、いえっ」


 女子生徒がハッと我に返り、慌ててバーコードを機械に読み取らせた。

 こうして無事に返却の手続きを済ませると、僕は図書室から立ち去ろうとふり返った。


「あ、あの……っ」


 遠慮がちな声が僕の背中に問いかける。

 驚いて声がしたほうを向くと、カウンターにいた図書委員の彼女が立ち上がり、挑むような緊張した顔でじっと僕を見つめていた。


「ま、前島万央さん、ですよね?」

「どうして僕の名前を」

「だって、私も同じクラスにいますから」


 彼女がぎこちない笑みをこぼす。


「それに、バーコードを通すとパソコンにクラスと名前が表示されるので、間違いないと思って」

「なるほど。どうりで」


 僕は納得してうなずき、申し訳なさそうに続けた。


「ごめん。僕、まだクラス全員の名前を覚えてなくて」

「そうですよね。私、目立ちませんもんね」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「いいんです、自分でも分かっていますから。それに私、いつも逃げるように図書室に来てしまって、教室にはほとんどいませんので」

「僕も放課後にはすぐに帰ってしまうから。それで、よければ君の名前を教えてもらってもいいかな?」

六川むかわ夢羽むうです。よろしくお願いします、前島さん」

「僕のことは万央でいいよ。同じクラスなんだし」

「そ、そうですか。じゃあ私のことも夢羽って呼んでください」

「いいの?」

「はい。同じクラスですので」


 夢羽さんは僕の言葉をそのままくり返し、クスリと笑った。可愛らしい柔らかい笑みだった。


「それじゃ、僕はこれで。また教室でね」


 僕は軽く会釈すると、図書室を去っていこうと背を向けた。


「あの……っ!」


 夢羽さんが僕を必死に呼び止める。


「まだ何か?」

「い、いえ、その……」


 夢羽さんがもじもじしながら焦ったように言葉を探す。

 それから僕の様子をチラチラとうかがい、僕のスクールバッグに会話の糸口を見つけると、ようやく口を開いた。


「そ、そのストラップ、素敵ですね」

「ああ、これ? これは『A―DRESS』っていうアイドルのグッズで。その中のメンバーの一人、三船深月さんの物なんだ」

「そうなんですね。ごめんなさい。私、そういうの詳しくなくて。どんな方なんです?」

「こういう人なんだけど」


 僕はスマホを取り出すと、深月さんの写真を見せてあげた。

 夢羽さんが真剣な顔でまじまじと画像をのぞきこむ。


「お綺麗な方ですね。こういう方が万央さんのタイプなんですか?」

「べ、別にタイプってわけじゃないけど」

「ふふ、否定なさらないでください。こういう清楚な女性に憧れる気持ちは私にも分かりますから」


 意外な言葉に頬がさっと熱くなる。

 深月さんを応援しているのは従姉だからであって、何も好みのタイプだからじゃない。

 けれども、まさか深月さんとの関係を打ち明けるわけにもいかず、僕は苦笑するしかない。


「じゃあ、僕はそろそろ行くね」


 今度こそ教室に向かおうと、僕はスクールバッグを肩にかけ直し、夢羽さんに背を向ける。


「あ、あのっ!」


 またしても夢羽さんが僕の背中に呼びかける。気恥ずかしそうな、恨めしそうな目でじっと僕を見つめていた。


「どうしたの? もしかして、僕に何か言いたいことでもあるの?」


 さすがに気になって、僕は彼女に疑問をぶつけてみた。

 すると、彼女はますます頬を赤らめて、上目づかいに、細い声でたずねてきた。


「万央さん。昼休み、お時間ありますか?」

「うん。僕は大丈夫だけど」

「そ、それなら……私と一緒に食べませんかっ」


 夢羽さんが「えいっ!」といった感じで勢いに任せて僕に必死に訴える。

 僕はとまどいつつも、首を縦に振った。


「僕は構わないけど。でも、どうして?」

「へっ?」


 僕の疑問に夢羽さんが目を丸くする。


「えっと、あの、そのっ……そう! 三船深月さんって方のことをもっと知りたいなと思いまして。それで一緒にお昼を食べながら、万央さんに教えていただこうかと」


 夢羽さんは僕から目をそらし、あせあせと宙に答えを探しながら、なんとか理由を説明してみせる。

 なんとなく、他に理由を隠しているような気がしないでもない。

 僕が真意をうかがうように夢羽さんをじっと眺めていると、彼女は目が合うなり焦ったように言った。


「め、迷惑ですよね……私と一緒にお昼を食べるなんて……。ごめんなさい。急に変なことを言って、万央さんを困らせてしまって。やっぱり私、一人で食べます」


 夢羽さんが眉をハの字に寄せて、落ちこんだように苦笑する。それまでほの赤く色づいていた彼女の可愛らしい顔に、にわかに暗い影が射した。

 僕は優しい気持ちになって、夢羽さんに微笑みかけた。


「迷惑じゃないよ。むしろ、僕からもお願いしたいな。僕と一緒にお昼を食べてくれませんか?」


 僕の返答に、夢羽さんの表情がたちまちパアァッ! と明るく輝き出す。


「あ、でも教室だと気まずいか」

「そうですね……。それなら、中庭とかいかがです?」

「じゃあ、そうしようか」


 こうして夢羽さんは僕と昼休みを共に過ごす約束を取りつけると、ようやく僕を解放してくれた。



――それにしても、夢羽さんはどうしてあんなにも必死に何度も僕を呼び止めたのだろう? 



 一人先に教室へと向かいながら、僕は夢羽さんの真の思惑について想像をめぐらせた。

 しかし、どんなに一人で考えたところで、納得のいく答えを得ることはできなかった。

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