第5話

 よく晴れわたった日曜日。


「ん~っ、よく寝た~っ!」


 朝日の射しこむリビングで、深月さんが満面の笑みを浮かべ、伸びやかな声を響かせる。

 いつもの部屋着は着くずれ、髪には寝ぐせがついている。年下の僕が言うのもなんだけれど、ちょっとだらしない。


「よーし、今日はオフを楽しむぞーっ!」

「それはいいけど、深月さん、まだそんな調格好で大丈夫? 今日は出かけるんでしょう?」

「もちろんだよ。ずっと前から楽しみにしていたんだから」

「支度しなくていいの? このままだと遅れちゃうよ」

「待ちたまえよ、少年。大人にはね、解放感に満ちみちた休日の朝のこの自由なひと時を、じっくりとかみしめたい時もあるのだよ」

「のんびりしていて、上映時間に間に合わなくなっても知らないよ。人が少ない朝のうちに行こうって言ったの、深月さんじゃないか」


 僕は呆れたように肩をすくめた。

 実は今日、僕たちは一緒に映画を見に行く約束をしていたのだ。誘ってくれたのは深月さんだ。


「やっぱり、今日は家でゆっくり過ごしたら? 深月さんだって日頃のアイドル活動と大学生活との両立で疲れているんだもの。もう少し寝ていても」

「そんな意地悪なこと言わないで。待ってて。すぐ支度するから」


 深月さんは小さく舌を出して笑い、そそくさと自分の部屋へと舞い戻っていく。今朝の深月さんは身のこなしが軽やかで、まるで足に羽根が生えているみたいだ。

 僕は深月さんを待つ間、ソファーに腰を下ろしてテレビをつけた。すると、深月さんたち『A―DRESS』のメンバーが出演しているCMがちょうど映し出された。


「やっぱり格好いいな、アイドルの深月さん」


 優美なドレスに身を包み、クールな決め顔を輝かせる深月さん。色白美人な上にスタイルも良くて、思わず目を奪われてしまう。


「お待たせ、万央くん」


 一方、普段着の深月さんはというと、ゆったりとしたパーカーにスカートを合わせ、帽子をかぶり、黒縁めがねをかけている。


「これなら私だって分からないでしょ」

「たしかにそうかも」


 特に変装をしているわけではないのだけれど、深月さんのコーデはアイドルというよりも今どきの女子大生といった色合いのほうが強いから、街で見かけても気づかず通り過ぎてしまうかもしれない。

 もっとも、可愛らしい顔立ちと、スカートから伸びた細い美脚は隠しようがないから、どのみち一般人の目を引いてしまうかもしれないけど。


「それじゃ、行こっ!」


 深月さんの明るい声に誘われて、二人で一緒に家を出る。

 春の都会の街並みを深月さんと歩いていく。木々の緑は目に優しく、吹く風は爽やかで心地いい。ビル群に囲まれてはいるけれど、僕の心もふわりと浮き立つような気分になる。


 深月さんの横顔をそっとうかがう。

 昔は深月さんのほうが背が高かったから、僕は見上げてばかりだった。けれども、今では僕もすっかり背が伸びて、深月さんの頭も横顔もよく見えるようになった。そんな変化がなんだか不思議で、でも、とても嬉しくなる。


「どうしたの、万央くん?」


 深月さんが僕の視線にふと気づいて、小首をかしげる。


「ううん、なんでもない」

「もしかして、またお姉ちゃんに見とれちゃった?」

「うん。そんなとこ」

「まったくもう……。聞いたこっちが恥ずかしくなるよ」


 深月さんは頬に朱を散らしてわずかにうつむき、それからふたたび僕を見上げて、悪戯っぽく笑う。


「万央くん。また昔みたいに手つないであげよっか?」

「ええ、いいよ。僕ももう子供じゃないんだし」

「あら、いいじゃない。高校生なんてまだ子供だよ。それとも、私と手をつなぐのは嫌?」

「嫌ってわけじゃないけど。でも、深月さんはアイドルなんだよ? 誰かに見つかったら……」

「誰にも見つからないよ。それに、見つかっても『従弟いとこです』って答えるよ」

「従弟だからって許されるのかな?」

「もう、万央くんは私と手をつなぎたいの? つなぎたくないの? どっち?」


 頬をぷくっと膨らませて、僕を問いつめようとする深月さん。優しい目が、僕をからかって楽しんでいると語っていた。


「そういう深月さんはどうなのさ? そんなに僕と手をつなぎたいの?」

「へっ、私? 私は……」


 僕に反撃されるとは思わなかったのだろう。深月さんは目に見えてうろたえ、視線を宙に泳がせ、もじもじと赤い顔で打ち明けた。


「私は……たまになら、昔のように万央くんと手をつないであげても……いいかなー、て」


 深月さんの声が、恥じらう姿が、あまりに健気で可愛らしくて――。

 僕の手がしぜんと動く。そして、自ら腕を伸ばすと、深月さんの指先をそっと握った。

 うつむき加減だった深月さんが、バネに弾かれたように顔を上げる。


「ま、万央くん!?」


 僕は頬がカアァッと熱くなるのを感じながら、深月さんの手を引いて、まっすぐ前を向いて歩き続ける。


「駄目だよ、深月さん。アイドルがそんなこと言っちゃ。……だけど、これは僕が勝手にしたことだから。深月さんはとなりを歩く従弟に強引に手を奪われただけ。いけないのは僕であって、深月さんは何も悪くないから」


 僕は真剣な声でそう告げる。

 幼い頃は、どこに行くにも深月さんが僕の手を引いてくれた。深月さんは僕より一歩も二歩も先をリードしていて、いつも嬉しそうに僕に知らない世界を見せてくれた。


 でも、今はちがう。

 僕だって今なら深月さんをリードしてあげられるし、守ってもあげられる。深月さんの悩みや苦しみに寄り添うこともできれば、労をねぎらったり優しく癒してあげたりすることだってできる。


 だから、もっと僕のことを頼ってもらいたい。わがままだって少しは聞いてあげたい。僕に出来ることは限られているかもしれないけれど。

 深月さんがうつむきながら、今にも消え入りそうな儚げな声をもらす。


「……まったく、いけない従弟だなあ」


 深月さんが僕の手を握り直し、さらにぎゅっと力をこめてくる。温かくて柔らかい感触が、僕の手を優しく包みこむ。


「もっとも、いけないのは私も同じか」


 こうして僕たちは手をつないだまま、まもなく目指していたファッションビルにたどり着いた。


 建物の中は空調が効いているはずなのに、僕の身体は真夏のように火照っていた。


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