第4話

 深月さんが僕に手渡してきたのは、女性アイドルのグラビア写真集だった。


 太陽が照りつける爽やかな青空の下、白い砂浜で大胆な水着姿を披露し、色素の薄い髪を濡らして挑発的な笑みを浮かべる女性アイドル。


 僕はこの人の名前を知っている。

 二見ふたみ史乃ふみのさん――深月さんが所属するアイドルグループ『A―DRESS』のメンバーだ。


 僕は写真集の表紙に映る史乃さんを一たび眺め、それから深月さんに視線を向けた。


「これで僕を試すって、どういうこと?」

「いいから、めくってみて」


 深月さんに促されるまま、ページを一枚ずつめくってみる。

 海外の街中でのおしゃれなワンショットに始まり、日常を切り取ったような写真が続いていく。しかし、後半からは水着やキャミソール姿など、艶やかな肌を惜しげもなくさらしたセクシーなショットが増えていく。


「これ、僕が見ていい物なの?」


 僕の頬がしだいにカアァッと熱を帯びていく。あまりに刺激的で、なんとなく見てはいけないものを見ているような罪悪感が……。

 深月さんも、僕の横から顔を出して、一緒になって写真集をのぞきこむ。


「すごいよね、史乃さん。これなんか、ほとんど下着だよね。おっぱいも大きくて、マシュマロみたいに柔らかそう。くびれも脚も綺麗だし、非の打ちどころがないでしょう? 私と一つしか年齢が変わらないのにこの色気だもの、たまらないよね」

「い、いちいち口に出して説明してくれなくていいから」


 深月さんの言葉がますます僕の体温を上昇させる。

 二見史乃さんはメンバー最年長の二十一歳。いかにも大人の女性って感じの魅惑的なボディを見せつけて、僕の目には毒すぎる。

 僕は深月さんと一緒に最後までページをめくり、ぱたり、と写真集を閉じた。


「万央くん、どうだった?」


 深月さんが僕の反応を確かめるように、興味津々といった表情でたずねてくる。


「どうって言われても……色々すごかったとしか」

「色々ってどういうこと? 何がどうすごかった?」

「そんな探偵みたいに問いつめないでよ」


 前のめりになって追求してくる深月さんに、僕はたじたじになる。


「男の人って、こういうの見るとどう感じるの? 万央くんもやっぱり興奮する?」

「そりゃあ、まあ、多少は」

「ふふーん。万央くんだって思春期の男の子だもん。当然だよね」


 深月さんは急に年上のお姉さんぶって、勝ち誇ったようにニマニマと唇をほころばせる。


「わ、悪い?」

「ううん、万央くんはちっとも悪くないよ。自然なことだもん。……で、史乃さんのこと、万央くんはどう思った?」

「うん。すごく魅力的な人だなって思ったよ」

「――え?」

「だって、少女のような可憐さと、成熟した大人の優雅さとを兼ね備えているんだもの。史乃さん推しのファンがたくさんいるのも納得だよ」

「……万央くんも、史乃さんのことが好きになっちゃいそう?」

「そうだね。写真集を見て、ますます応援したくなったかな」


 僕は深月さんに求められるまま、誠実に答えた。史乃さんは深月さんと同じユニットのメンバーだもの。応援するに決まっているよね。


「まっ、万央くんの浮気者~っ!」

「ええっ!?」


 突然、深月さんがわなわなと身体を震わせて怒り出した。


「こういうのはまだ万央くんには早いから! 今後勝手に見ちゃ駄目だからねっ!」

「なに怒ってるの? だいたい、自分から見せてきたんじゃないか」


 深月さんが、僕の手から写真集を乱暴に取り上げる。そして、拗ねたように唇を尖らせて、ジト目でたずねてきた。


「そんなに史乃さんがいいの? 実の姉みたいな私より? へぇー、万央くんってそういう人なんだ」

「別にそうは言ってないけど」

「わ、私だって……史乃さんほどじゃないけど……脱いだらすごいよ? 見たい?」


 深月さんはそう言うと、今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で前かがみになり、ダボッとしたTシャツの襟元に人差し指を引っかけ、ぐいっと下に引っ張った。

 たちまち襟口が大きく開いて、深月さんの豊かで柔らかそうな胸の谷間がくっきりとお目見えした。


「ど……どう? これで私も万央くんに応援してもらえるかな?」

「そ、そんなことしてもらわなくても応援するよっ」


 僕は慌てて顔を両手でおおい、視界をさえぎった。


「それに、そういうの良くないと思う」

「そ、そうだよね。ごめん。私もどうかしてた」


 二人ではーっと大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。


「……駄目だなあ、私。万央くんのことになると冷静になれなくて」

「深月さん。それって、どういう?」

「私ね、万央くんを失うのが怖いの。これまでずっと万央くんに救われてきたから」

「僕に?」


 深月さんがうなずき、しんみりとした声で話し始める。


「うん。中学生の時、しばらく学校に行けない時期があってね。まだ小学生だった万央くんは気づいていなかったかもしれないけど」

「そうなの?」

「二年生の頃だったかな。周りの女の子たちから陰口を叩かれていたことに気づいて、なんとなく仲間外れにされて、さんざん傷ついて。女の子が怖くなって、もう学校に行けないってなった時に、そばにいてくれたのが万央くんだった」


 過去を懐かしむように遠い目をして、それから僕に微笑みかける深月さん。


「万央くん、よくうちに遊びに来てくれたじゃない? それで一緒にゲームしたり、私の横に並んで一緒にアニメを見たり。私が勉強を教えてあげると、『おねーちゃん、すごい!』なんて目をキラキラさせて感謝してくれたりして。ふふっ、あの頃の万央くん、可愛かったなぁ」

「そんなこと、あったかな?」

「あったよ。万央くんのあの純粋な笑顔のおかげで、私、すごく自信がついたんだ。学校に行けるようになったのも、勉強する気になったのも、みーんな万央くんのおかげ。あの時万央くんがこんな私を慕ってくれて、励ましてくれたから、今の私があるんだよ」

「僕にはそんな自覚なかったよ」

「万央くんはそれでいいの。でもね、とにかく私は、これまでずっと万央くんに支えられてきた。大人になった今でさえ、周りの雑音が気になって、周りが怖くなる時もあるけど……。でも、万央くんがそばにいてくれたら大丈夫って思えるから」

「それで僕を家に呼んだの?」

「ごめんね。迷惑だったよね」

「ううん、ぜんぜん。前も言ったけど、迷惑だなんて感じたことないから。むしろ深月さんと一緒にいられて、毎日が楽しいよ」


 僕は深月さんを安心させるように優しく微笑む。

 そんな僕に深月さんもまた柔らかく笑みを返し、それから、ふと寂しげな表情を浮かべた。


「……駄目だなぁ、私。万央くんの優しさに付けこんで、自分の都合に付き合わせて。私のほうが万央くんよりずっと年上なのに、いつも甘えてばかりで……。私、最低だ……」

「深月さん」


 僕はきっぱりとした強めの口調で言った。


「言ったでしょう、僕は深月さんと一緒にいられて嬉しいって。深月さんに甘えてもらえるなら、僕だって本望だよ」

「万央くん……?」

「だから、自分のことを『最低だ』なんて言わないで。深月さんは、自分で思っているよりもずっと素敵な人だよ」


 僕はこれまで、深月さんの頑張る背中をずっと見てきた。

 中学生時代のトラウマから他人を恐れるようになって、SNSでさえ警戒して見ないようにしている繊細で傷つきやすい深月さんが、それでもアイドルを続けて前に進もうと努力している姿を、誰よりも間近で見守ってきた。


「僕はいつだって深月さんのことを尊敬しているし、ずっと憧れてきたんだよ。そんな僕の憧れのお姉さんに、ひどいこと言わないで。深月さんがそんなに自分に自信が持てないなら、自信を持ってもらえるまで、僕が何回だって言ってあげる――深月さんが、自分が思っている以上にずっと魅力的で、健気で可愛い、素敵な大人の女性だって」

「万央くん……っ」


 深月さんが視線を伏せ、小さく肩を震わせている。

 深月さん、もしかして泣いている? 僕、もしかして傷つくようなこと言ったかな? 深月さんは案外泣き虫だから……。

 不安に思っていると、やがて深月さんが顔を上げ、目尻に浮かんだ涙の粒をそっとぬぐい、微笑んだ。


「ふふ、やっぱり万央くんには敵わないな……。でも、万央くんだって男の子だもん。口ではそう言ってくれても、史乃さんみたいなセクシーな女性に目移りすることだってあるでしょう?」

「あ、あれは不可抗力だから」


 だって、あの破壊力だもの。魅惑的な史乃さんの写真集を目の前に突き出されて、引きつけられない男の人なんていないと思う。

 でも、深月さんがそうやって意地悪なことを言ってくるなら、僕だってわがままの一つも言いたくなる。


「じゃあさ……深月さんも出してよ、写真集」

「へっ?」

「深月さんの写真集だったら、僕、きっとドキドキすると思う」


 深月さんの白い頬がみるみる紅潮していく。そして、あわあわと焦ったように落ち着きを失いながら、ついに口を開いた。


「わ、分かったよ。私もいつか絶対に写真集を出すね。それで万央くんのことを史乃さん以上にメロメロに魅了してやるんだから、覚悟しておいてね」

「うん、期待してる」


 こうして深月さんに新たな目標が加わり、僕たちは互いを見つめてクスクスと笑い合った。

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