第41話
結局、夕飯の時間を押してまでブラッシングと称したセラピーを堪能させてもらった。
力加減も良かったようで、終わった今もアランはふにゃふにゃの笑みを浮かべている。
端的に言おう、可愛い。
いつもなら絶対にさせてくれないだろうが、好奇心に負けて頭を撫でると擦り寄ってくる。
あ、そうか。
狐はイヌ科だ。
「気持ちよかった?」
「……はい」
「またやってもいい?」
「…………たまになら」
恥ずかしがりながらも許してくれたアランに思わず抱き着いてしまうが、今日は思考が溶けているのか大人しく抱き着かれてくれている。
「アラン、大好きよ」
「私はお慕いしております」
彼の返事に思わず彼の肩を掴んで向き合ってしまう。
「…なんでここだけ理性がしっかりしているのよ」
「言質取られたら困るではないですか」
「そこは流されなさいよ」
「嫌ですよ」
物凄い真顔で言われてしまえば、これ以上は何も言えないではないか。
悔しいと思いつつも諦めて手を離すと、アランは時計を見て小さく声を漏らした。
「夕食のお時間が過ぎているではありませんか!」
「あぁ、意図的に時間をずらしてもらったから大丈夫よ」
「いつの間にそんなことをなさったのですか」
「さっき」
「え?」
「さっきブラッシング中に部屋に来たメイドに夕食の時間をずらすように頼んでおいたの」
そう言うとアランは数秒固まり、両手で顔を覆い隠した。
「…もうお婿に行けないです」
「大丈夫よ、私がもらうから」
「さらに追い込まないでくださいよ~…」
そのまま天を仰いだかと思ったら、深いため息とともにソファーから立ち上がった。
「…夕食をお持ちしますね」
「その状態で大丈夫?」
「生き物には時に乗り越えなければならない壁があるのです」
「それが今だと?」
「そう言うことです」
ブラシを持って部屋を出るアランの哀愁漂う背中を見送るしかできなかった。
そんな日から2週間が経った。
訓練の成果は確実に出ており、今では目くらましの魔法や簡単な魔法に関する魔力による体調不良は出なくなっていた。
それと同時に意識しなくても魔力の大まかな流れを感じることができるようになるまで成長していた。
しかし油断はできないもので、急な魔力には体が耐えきれないことも多々あった。
「おはようございます、リディア様。本日のご予定の確認の前にお届け物がございます」
「届け物?何か外注していたかしら?」
朝食を食べながら考えていると、アランが紅茶を机に置きながら首を横に振った。
「いえ、詳しくは聞いておりませんが危険物の混入の有無を確認した後、こちらの部屋へ直接届けられるようです」
アランの言葉に示し合わせたように部屋にノック音が響いた。
視線で指示を促してきたため頷くと、アランはドアを開けてメイドと数言交わしてから何かを受け取った。
「どうやら危険物は何も入っていなかったようですね」
丁度朝食も食べ終えたため、受け取った物を確認すべく椅子から立ち上がる。
「どうやらお手紙のようですね。差出人は…」
「…アラン」
「燃やしませんよ」
「そんなこと言っていないじゃない。ただ偶然手紙に引火するだけよ」
「とんでもなく意図的ではありませんか」
封筒には見覚えのありすぎる字で『テオード・シェルニアス』と書かれていた。
間違いない、テオード殿下からのお手紙だ。
名前を確認する前に王族のシーリングスタンプで気づくべきだった。
「しかし中身を確認しないと後々困るのはリディア様ですよ」
「分かってはいるのよ…分かっては…」
レターオープナーを渡されてしまえばもう逃げられない。
覚悟を決めて封を切る。
「……あら」
「どうかなさいましたか?」
いつものように薔薇の花弁が詰め込まれていると思ったのだが、今日は違うようだ。
中には便箋の他に、押し花を加工して作られたしおりが何枚か入っていた。
意識して見ると、それらはこの前のお茶会でお邪魔した中庭に咲いていた種類の花だった気がする。
「おや、押し花ですか」
「そうみたいね」
「手作りでしょうか。まだ自然の香りが残っていますね」
「分かるの?」
アランは当然のように言うが、私は鼻を近づけても分からない。
首を傾げていれば、アランは苦笑しながら口を開いた。
「私の嗅覚で微かに香る程度ですので、おそらく人間では気づけないかと」
「そうなのね。まぁ、薔薇の花弁よりは嬉しいわ」
「リディア様のお話からアプローチのされ方を変えられたのかもしれませんね」
確かにこの前のお茶会では「押し付けに近い愛は必要としていない」と言い放った気もしなくもないが、ここまで変わるものなのか。
案外言ってみるものだわ、なんて他人事のように思ってしまう。
しおりを封筒から出してから2枚の便箋を丁寧に取り出す。
1枚目の便箋には、体調を心配する言葉とこれからは一方的すぎる贈り物は控える旨が書かれていた。
彼なりに迷惑にならない贈り物を考えた結果、手作りの押し花に辿り着いたのか。
2枚目の便箋には、お見舞いを兼ねて明日屋敷を訪ねるという旨が書かれていた。
そして最後には『心からの愛を込めて、テオード・シェルニアス』と記されていた。
「…ん?」
明日?
屋敷に?
テオード殿下が?
訪問される?
「アラン」
「はい」
「…愛の逃避行しないかしら?」
「だから出国審査で捕まりますよ。というか、以前にも同じやり取りしましたよね?テオード殿下からのお茶会の招待でしたか?」
「口頭で説明する余裕ないから読んで頂戴」
はい、と手紙を渡せば、丁寧に「拝読させていただきます」という言葉と共に受け取られた。
アランは読み進めていくうちにどんどん困惑していき、最終的に天を仰いでしまった。
「……これはまた」
「……えぇ、本当に」
「……明日ですか」
「……明後日ではなく、次の日なのよ」
アランの言いたいことはよく分かる。
私に逃がす隙を与えたくなかったのだろうが、やりすぎだ。
あの殿下はそういうところがある。
「とりあえず、ご主人様にご報告に参りましょうか」
「…ええ」
重い腰を上げて部屋を出る。
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