第31話


どれぐらいの時間そうしていただろう。

不意にお父様は写真立てを私に返しながら口を開いた。


「ありがとう。本当に良い写真を見させてもらったよ」

「よろしければいつでもいらしてください。次はお父様の部屋にあるアルバムを見ながらお茶でも飲みませんか?」

「…用事もないのにいいのか?リディアは忙しいだろう」

「お父様も十分忙しいでしょう?それに、息抜きは大切だと先ほどおっしゃったではありませんか」


そう言えば、お父様は嬉しそうに笑い立ち上がった。


「それでは、そろそろ失礼するよ」

「お仕事頑張ってください」


お父様は私に軽く手を振って部屋を出て行った。





お父様を見送った後、紅茶の残りを飲みながらソファーに座る。


机の上には例の写真立てが置かれていた。

無意識の内に手を伸ばす。


「…お母様」


思い切って言葉にしてみるが、どうにも違和感がある。


私が物心ついたときにはお母様はすでに他界していた。

お父様は私が話題に出した時以外、お母様について言及することはなかった。



昔一度だけお母様について聞いたことがあった。


「お父様、お母様はどうして亡くなられたの?」


その時のお父様の表情は今でも忘れない。

泣きそうで、苦しそうで…それでいて、申し訳なさそうに歪められたあの表情は今でも鮮明に思い出せる。


結局、その答えを聞く前に私から謝った。

お父様はそんな私に1枚の写真をくれた。


それがこの家族写真だった。


「きっと、優しいお方だったに違いないわ」


声も知らない母親だが、彼女が生きた証であるこの写真を見る度にそう思うのだ。

それだけで十分な気がした。




写真立てを棚に戻してからアランを探すために部屋を出る。

すれ違ったメイドにアランの場所を尋ねると、どうやら自室にいるようだ。


「あれ、私もしかしてアランの自室の場所知らない…?」


今更すぎる事実にメイドと共に笑うしかない。


メイドの案内の元着いた先は、意外にも私の部屋の近くだった。

何の変哲もない扉にはプレート1つかかっていない。

これでは紹介されるまで気づかなかったわけだ。


「こちらです」

「ありがとう」


メイドを見送り、扉の前で一呼吸してからノックをする。


「アラン、私よ」


声をかけるが、部屋の中からは物音1つしない。


「……いないの?」


もう一度ノックしてみても結果は同じだ。

しばらく待ってみたが、一向に返事が返ってくる気配はない。


一度自室に戻ろうかと踵を返した時、中庭に何か黒い影のようなものが見えた気がした。


急いで窓を開けると、中庭の掃除をしていた使用人が不思議そうに私を見上げて頭を下げてきた。

どうやら、その近くに居た使用人は影に気付いていないようだ。


「…見間違いだったのかしら」


念のため確認するために窓から顔を出す。

やはり、そこには何もない。



首を傾げながら窓を閉めると、急に空気が曲がるような感覚に襲われた。


「っ!?」


今まで体験したことのないその感覚に思わずしゃがみ込んでしまう。

目が回るような気持ち悪さを感じながらも必死に耐えていると、アランの部屋の中からガタガタと音がすることに気づいた。



ここから逃げなければならないと脳内で警鐘が鳴り響く。



震える体を無理矢理立たせ、足がもつれそうになるのを我慢しながら自分の部屋に駆け込んだ。


「……はぁ、はあ」


荒くなった息を整えながらベッドに身を投げる。

一体今のは何だったのだろうか。


未だに震える体を守るようにベッドの上で体を丸める。

目を閉じても頭の中がかき回されるような気持ち悪さは消えず、ベッドに横になったまま吐いてしまう。


死を覚悟するような体調の悪さに、意識が遠のいていくのを感じた。

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