第24話 アランの憂鬱


リディア様がご不在のお屋敷は静かだ。

元々騒がしい方ではないはずなのに不思議だ。


普段はリディア様に付き添っているが、ご不在の時は私も他の使用人と同じ仕事をこなす。

特に大変そうな洗濯や荷物運びを手伝うだけの当然のことをしているはずなのに、他の使用人は獣人の自分に感謝を伝えてくれる。


自分は獣人なのに…。


分かっているはずなのにその事実に心苦しくなり、いつも着けているループタイを握る。

どうしても、ここにいると自分が獣人であることを忘れかけてしまう。

それほどまでにこの屋敷は居心地が良かった。


皆が私を偏見の目で見ることなく、丁寧に平等に扱ってくれる。

こんな環境は初めてだった。


「おや、大丈夫か?」


ふいに声をかけられた。

慌てて顔を上げれば、目の前には心配そうな顔をしたご主人様がいらっしゃった。


「お疲れ様です…考え事をしていました故、気づかず申し訳ありませんでした」

「いやいや、そんなこと気にしなくていい。こちらこそ驚かせて悪かったね。随分と顔色が悪いように見えたから声をかけたのだが…」

「い、いえ!問題ありません!」

「そうかい?無理をしてはいけないよ」


ご主人様は優しく声をかけてくださった。

今なら聞いてみていいのかもしれない。

ほんの少し息を吸ってから口を開く。


「…ご主人様は何故獣人である私を雇ってくださったのですか」

「……どうしてそんなことを聞くんだい?」


質問を返されると思わなかった。

どう答えるべきか迷ってしまう。


「……このお屋敷で働かせていただけて本当に感謝しております。しかし、獣人を雇うにはデメリットが大きすぎませんでしたか?」


そう、シェルニアスで獣人を雇うには様々な厳しい審査がある。

それをクリアしても偏見の目で見られやすい獣人を王妃候補であるウィルソン家で雇っていただけたことにずっと疑問があったのだ。


ご主人様は悩んだように何度か口を開閉してから、決心をしたように口を開いた。




「私は本当はリディアに王妃になってもらいたいとは思っていない」




まさかの言葉に言葉を失ってしまった。


では、何のためにリディア様は王妃候補になったのだろう。

てっきりご主人様の願いだと思っていたのだが…。


「あの子は本当に強い子だ。…強くなってしまった」


哀愁を孕んだ声に瞬きをするしかない。

もしかしたらご主人様は、例の誘拐事件のことを思い出しているのかもしれない。


「だからその強さを正しく使ってほしい。その使い道として王妃という地位は最適だと思った。だが、最終的に選ぶのはリディアだ」


ご主人様の言葉を聞いて納得した。

確かにリディア様の真っ直ぐなところは強く、そして美しいと思う。

そして、それは人を率いるために必要不可欠なものに違いない。



「ここからは私の個人的な願いだが、私は獣人国とシェルニアスに平和的な関係を取り戻してもらいたい」



ご主人様は私の目を見て柔らかく微笑まれた。


その目が優しすぎて、今の私には辛かった。

感情を抑えるように唇と噛めば、自分の鋭い犬歯で人間の唇はあまりにも簡単に裂けてしまった。



「リディアならそれを実現できると思わないかい?」



まさか。

そんなことできるはずがない。


でも、心のどこかで期待してしまう。

彼女を希望にしてしまう。


リディア様なら…



「私は信じている。君たちの未来に希望があることを」



『君たち』という言葉に思わず顔をあげる。

私の答えを待たずにご主人様は踵を返された。


「リディアが帰ってきたら、美味しい紅茶を入れてやってくれ」

「…かしこまりました」


私の質問への明確な答えは無かったが、それ以上のことを教えて頂けた気がした。


私はご主人様が廊下の角を曲がられるまで頭を下げ続けた。


頭を上げると、遠くから馬車の車輪の音が聞こえる。

手袋を外し、唇から出た血を拭ってからリディア様のお迎えに上がるために玄関に向かった。



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