第9話

「お主の言っていることがよくわからぬ。前までは皆を助けるよう尽力せんとしていたが、今では蝉の抜け殻の様だ」


センティコアは答えない。龍人は次いで、言った。


「まぁ良い。別に良い。お主らの行先を視るのが我の仕事でない限りはこれ以上干渉するのは野暮というものだ」


数歩先にいたそれは踵を返し、少しの時間歩いて、センティコアの方を振り返った。彼女は全く動かない。縮こまり、座っている。龍はまた彼女の正面を向き、溜息をついた。


「あのだな。そう落ち込んでいては絶望的に見える壁も見えず終いだというのは理解しておるのか?人は元より蜻蛉かげろうさ。友人が2人生き残っただけ幸運と言えたろうに。主は生き残ったのが不服か?」


センティコアは頷いた。龍人は彼女に近づき、屈み込んだ。そしてその小さい右手を彼女の頭に乗せる。


を越えるのが人の元より刻まれた運命さ。この大事が収束してから行末をしっかり考えれば良い。生きる理由は他人に依るが、死ぬ理由は最後にゃ自分だ。自分を大切に思え」


センティコアは頷いた。屈むのに疲れたか、龍人は同じ様に座り込んだ。彼女らの周りを取り囲むのはアラーニェ探偵事務所の壁紙だ。そこにはあまりに多い思い出があり、あまりに多い感情があった。


kellkkecekけるけしくさん」

「何だ?」


センティコアはあくまで動かない。龍人は退屈ではなかった。こうして人と話している時だけが自分の存在理由となっている気がしてならなかったし、何より、相手が傷心中であるから、話してくれるだけでも嬉しく思う。


「私はマスターを助けられたんですか……?イクチを振り払って……」

「……アラーニェか。彼の世界でいえば、お主がもし来たとしても、変わらないであろう」


ケルケシクは眉ひとつ動かさずに言うものだから、人間離れしている。


「彼は自らが死ぬとは最後の最後まで考えていなかった。それはお主も共通だと思っていたのだが……」


センティコアは顔を上げた。涙はそもそも出ていない。流す涙を最初にケルケシクは枯らしておいた。対等な話し合い、もしくは励まし合いを行うために。


「……希望と言う儚きものは、人によってはその限りでない。絶望と言う絶対も、人によってはその限りでない。センティコア、お主の考えること全てが、自らの絶望を太らせ、希望を鳥に喰わす行為となり得る。希望は見いだすもの、絶望は降りかかるものさ」


ケルケシクはいわゆるpeqga書に連ねられた言葉通りの事をしている。行動の強制力は強いと言うわけではない。文字面を額面通り受け取れる才もない。


「簡潔に言えば、他人に依らず生きる事なぞ出来ぬ故、袂を分つ真似はせん方が良い。と言う事だ」

「お願いがあります、ケルケシクさん」

「……言ってみろ」


10時32分3秒、その時刻を時計が指した時、キリの良くない時に何故か10.0533回鐘が鳴る。夢は大きな出来事に左右される。センティコアの場合も同様で、彼女にとって、一つの節目というのが、この時刻なのだろう。


「私達を見守っていてくれませんか?」


端的なその願い、祈りをケルケシクは殊更無碍にするつもりはなかった。しかし眉も目も口もぴくりとも動かさず、彼女は言う。


「良いだろう。我は主らのような現世人にはなれぬが、夢や空想であれば……そうだな、こんな時に仲間が増えて不服か?」

「……いいえ」


少ししたら、センティコアは揺れに吹き飛ばされて、情報屋でガラス塗れになる。その時のショックで目が醒めるだろう。ケルケシクはこれ以上何かを言っても長くなってしまい、夢の中では最後まで言い切れないから黙っていたが、センティコアは醒める瞬間、


「私でも、生きていて良いんですか?」


と言い残し、消えた。kellkkecek、神話と夢に棲む龍は、曖昧となった空間にたちまち投げ出された。龍は疑問を口にする。


「先ほどと同じ事を言って、何がわかるのだろうな」


別の空想の世界に潜る。ケルケシクは人の空想の世界でのみ存在できる、つまり言えば空想上の生物だ。人が滅びるそれ即ちケルケシクの現世への出現を意味しているのだが、彼女自身、それでも良いと思っていた。


「しかし3度目の洪水……と言うのも妙な話であるな」


イクチの夢の世界の中は混沌としている。それは深い海の底、通常であればそれなりに熟睡していると言う見方になるが、ケルケシクの感じたこの雰囲気は、違った。


「神は怒っておられない。預言者は既に亡き。我らが書の預言に沿うた事でも無い。神によって引き起こされた洪水だとは半ば信じ難い」


そんな身勝手な神がいるなら是非お手合わせ願いたい。海の底には点々と塩の柱のようなものが立っている。彼女がそれに触れると、それらが何かの骨であることがわかった。


「洪水に見せかけた大規模なボイコットか?海の生物……意思なき生き物が、か」

「……あらぁ?」


その声に反射的にケルケシクは防御を取り後ずさる。顔の前にあてた腕を退かし、目を開けると、そこには

イクチも目を覚ましたらしく、一気に景色が曖昧になる。あぁどうしようもない。また、他の想像の世界に潜らなければならなくなった。


頼まれた通り、行末を何気なく見守ろうと思っていたが、事情が変わった。彼女らを守らなければならない。あの海の怪物は、意思を持った。




「起きたか〜?」


ハティーの声が聞こえる。「ん〜」と言いながら起き上がり、目を擦る。電子的な朝日がこちらを照らす。


「今日はジガミヤパラディスの探検をしないといけないから。イクチ君、センティコア君を頼んだよ?」

「分かりました」


隣を見る。センティコアは涙を流した跡があるように見えた。

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夢の骸 腕時計 @chalcogens

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