before Permission3/3

 彼は予約を最後にしてくれたから、今日はもう次の患者はいないらしい。

 いつかと同じように、彼はインスタントコーヒーとマドレーヌを用意してくれた。3人分だ。


「このマドレーヌって、オープンしたの、俺が大学1年生の時じゃなかったですか?」

「ああ、リニューアルオープンに際して店名を変えたらしくてね」彼の頬は小さく綻ぶ。「なに、味は変わらないよ。柊君は美味しいって言ってくれていたからね。昨日の帰りに、ちょっと足を伸ばしてみた」

「ありがとうございます。実は俺、甘党なんですよ」

「そうか。僕と同じだね」

「バウムクーヘン、持ってきましたよ」

「──ああ、そういえば、そんなことも約束したかな」


 高砂先生は受け取った箱を、どこか愛おしげに見つめた。それが彼の人となりを端的に表していた。


「そちらの、可愛らしいお嬢さんは彼女さんかな?」

「白崎しずくです。彼女では、まだ、ないです」

「僕の知っている白崎さんよりも、随分と前向きなようだ。君は、たぶん僕の知っている白崎さんとは本当に別人なんだろうね」


 彼はすべての事情を飲み込んでいるようだった。俺も、1周目のしずくも、恐らく彼の意思によって救済されるべくタイムリープを成したのだから当然だろう。


 彼は精神科医らしくカルテをめくる。そこにある記述を指でなぞった。


「今回は、彼氏くんの付き添いによる、白崎しずくさんのミュンヒハウゼン症候群治療のためのカウンセリングだ。ともあれ自覚があるのは素晴らしいことだよ。君なら、僕が出る幕もなく寛解へ向かうはずだ」


「か、彼氏では、ないです」

「そうか。柊君は残念がるだろうね」

「彼氏ではないですけど、でも、もう実質わたしのものではあるので……」

「変な子だねぇ」


 しずくはいじらしく袖を摘まんでくる。高砂先生は目を瞑って笑みを浮かべた。


「志村瑞樹くんは元気かな?」

「……表面上は」


「そうか」先生は沈痛な面持ちになった。「末来視ならぬ世界視とでもいうべきあれは、僕じゃどうにもならなかったよ。あれはたぶん、この世界の呪いだ。それを受けてしまった。歪まざるを得なかった。自殺していないだけ瑞樹くんは強い女性と言えるだろうね」


 世界の呪い。この宇宙の持ち主である人間が生きる世界にも、そういう必要悪、あるいはリミッターとも呼ぶべき存在が必要になる状況があるのだろう。きっと彼ないし彼女も、誰かの脳内に存在している思考の一かけらなのかもしれない。


「彼女が楽になれる世界も、きっとあるだろうね。ただ──」


 先生は机の上に置いてある天秤のオブジェクトに、マドレーヌを置いた。


「そうしたら、そこの女の子が苦しみ続ける羽目になる。君はその少女を選んだ。だから、その責任を全うすべきだと僕は思う」


 先生は俺としずくを交互に見ながらそう言った。そこに嘘偽りや陰謀の気配はない。


 つまり瑞樹の見立て通りの人物だということだ。彼は心の底から俺たちのことを案じてくれている。これから通院するに連れ打ち明けられるしずくの過去にも、彼はきっと心を痛めてくれるだろう。


 問わねばならないことはあった。


 だが彼から先んじて切り出してくれた。空になったマグカップをモニターの前に奥と、ゆっくりと立ち上がる。膝を庇っていた。


「僕も、どうしてこんなことができるようになったのかはわからないんだ」

「俺の予想だと、あなたの意思でタイムリープをさせているんですか」

「いや、この世界のタイムリープは植物人間化か死だ。僕は職業上、他人に自死を勧められない」

「1周目のしずくに、タイムリープのことを吹き込んだのは……」


「……」それは沈痛な面持ちだった。「僕は、この娘の人生がやり直せればいい。そう思ってしまった。それだけだ」


 だから彼はやつれていた。


 そう思うことで、相手にタイムリープの片道切符を与えてしまう。それが先生の宿業であるらしかった。


 だからタイムリープするのが瑞樹である可能性も、ここじゃないだけでどこかにあるんだろうなと思った。


 初診の患者なのに、どことなく既視感がある。初対面のはずなのに、相手にも見覚えがある。未来の記憶がある。経験の蓄積がある。そういったことが連続していき、程なくして気付いたそうだ。


 その頃には既に未来クラウドの実用化は成功していた。他の可能性からの介入がなくても、中島の研究は身を結んでいたことになる。


 未来クラウドの使用は、言うまでもないが厳しい制限を設けられるそうだ。かつて俺が解釈した通り、いくら過去に情報を送ったところで確定した現在の改変は叶わない。送られた情報と連動した可能性が発生するのみ。


 しかしながら、万が一ということがある。


 そこで未来クラウドは一人につき3回しか使用を制限した。


 またそこへ至るまでも思考計測器を用いた厳正な人格検査を突破するか、然るべきコネクションで裏口入学のようなことをしなければならない。しずくは、中島と父親のコネクションだろうなと思った。


「1周目のしずくは、植物状態なんですか」

「いいや、死んだよ。即死だった」

 先生はしずくに向き直った。

「……君に、なんと詫びればいいのか」

「いいえ、大丈夫です。その人とわたしとは別人。わたしは許す権利なんてありません」


 しずくの瞳からは何の感情もうかがえない。彼女は依然として1周目のしずくへ対する感情を変えていないし、たぶん変える必要もない。


 だからそれを切り出すのは俺の役目であり、俺の自己満足だった。


「一つだけ教えていただいてもいいですか?」

「なんだい?」

「未来クラウドを経由して、他の俺へこちらからメールを送ることは可能ですか?

 12月24日の俺に」


 しずくからの3回目の接触日は俺が指定した。

 悪夢の日の夜だ。

 確定した未来は変えられなくても。それでも。

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