ネタバレ
振替休日。
埼玉まで戻ってきたしずくに俺の部屋まで来てもらうことにした。むろんのことながら送り迎えは俺が自転車でこなす。彼女(仮)を歩かせるわけにはいかないので、当然の配慮だ。
「柊君、そういうドヤ顔いいから」
「はい。すみません」
「あの、予約は?」
「ああ、来月の頭。12/3日になった」
「……その人、なの?」
「俺の見立てが正しければ」
「なんで?」
「瑞樹曰く、悪い人じゃない。だからたぶん、悪意があったわけじゃないと思う」
「そっか……」
中島さんと同じ。
役に立とうとしたけど、やり方を間違えた。
それだけの話。別に戦いに行くわけでもない。話を聞くだけだ。
録画データを見てすべての真実を目の当たりにしたしずくは、しばらく押し黙った。唇を噛み締める鋭い横顔にどんな感情が潜んでいるのか。それは何となくわかるけど、あえて考えないでおくのが礼儀だと感じた。
「わたしは」ややあってから、しずくは面を上げた。「やっぱり、あの人を許せない」
「……そうだな」
「だから柊君がわたしの代わりに許してあげて」
「馬鹿言うなよ」俺はカントリーマアムの封を開けた。「この俺は、あいつに何もされていない。許すか許さないかは、2周目の俺が決めることだ」
「そうだね」
それで1周目のしずくについての話し合いは終わった。
「でね、柊君」
もうしずくは以前のように朗らかな雰囲気ではない。これがきっと本性なのだろう。寂しくもあったが、愚か者のように振舞わないという彼女の選択を尊重してやりたかった。
「言われた通り、このUSBの中にSuper Deep Fakeが入っている」
「ありがとう」
しずくから差し出された小さい小判型のメモリを、俺はどことなく粛然とした気持ちで受け取った。
「でも……なんで今さらそれが必要なの?」
「男優の顔がなんで切り取られていたのか……」
「普通の編集ソフトだったら?」
俺は首を振る。ダメだった。それは最初からそういう映像であるかのように、元に戻すことは叶わなかった。
だから多分、1周目のしずくはスーパーディープフェイクとセットにしたかった。
隠している人物。
それは俺に関連している人物なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。体格的に俺の学校に通っている生徒ではなさそうだ。かと言って店長などでもありえない。あの人は既に女関係で痛い目を見ている。妻の報復を恐れ、わざわざ男優などやらないだろう。
しずくの父親でもない。幼い俺は彼と銭湯に行ったことがあるが、特徴的な肩口のホクロが見当たらなかった。
「何で隠しているのか、わからないんだ」
「……どういうこと?」
「1周目のしずくの目的は、中島の口車に乗ったことで自分が仕出かしてしまったこと、それと志村瑞樹と羽場柊の妨害を試みて、結果的に植物人間へ追いやってしまったこと……俺をお前と結ばせることで、間接的な贖罪をすることだった」
「自己満足だと思うけどね」
しずくの口調はあくまで刺々しい。俺はお袋が言っていた、都合よく考えないと生きることなんて辛いだけという言葉を思い出していた。
「だから、最初から出し惜しみする理由なんてない。AVとスーパーディープフェイクさえあれば、真実にはすぐ辿り着けたんだから」
「でも、あの画像は量子の重ね合わせ……だっけ? それの性質を有していたんでしょ? だったら次の接触までのタイムラグのなか、わたしがファイルを所持していたら不信感を煽ると考えたんじゃ」
未来クラウドの性質上、量子ねじれを利用している。つまり他の脳みそと結び付いて初めて成立する情報だ。それが、量子の重ね合わせになる理由だと1周目のしずくは言っていた。
「だからわたしと柊君が、その、もっと近しくなるまで待った。だから柊君単独で編集できないように、わたしとスーパーディープフェイクを交互に託したんじゃないかな」
「……しずくにも、見て欲しい情報ってことか」
俺はUSBをPCに接続し、そこに保存されていたZIPファイルを解凍。即座にインストールする。
インストール完了まで、残り7分。
「告白のタイミング、その、逃しちゃって……ごめんね」
そこでしずくは頬を赤らめて顔を俯かせた。すぐに赤面してしまうところは素だったようで、素直に可愛らしいと感じる。俺は彼女の黒髪を撫でた。これを失わないでいられる幸福を噛み締める。
「しずくは謝る必要ないだろ。その、悪いは俺なんだから……」
「こ、こう改まるのは格好悪いけど、また、言うから。その時になったら、受け止めて欲しいなって……」
「……ああ。待ってる」
そこでインストールが終わった。
どうやら操作方法自体は、マキシマムカンパニーで使っていた最大手動画編集ソフトと大差ないらしい。
「あ、これ」
しずくが指を指す。そこには、AIに読み込ませるためのしずくの自画像が貼り付けられていた。これを切り取って合成したい箇所にドラッグアンドドロップすることで、あたかも精巧なマスクを被るかのように歪曲した情報を生み出すことができる。
規制されて然るべき技術だ。
俺は編集途中のそれらを押し退け、PCへコピーした例の動画をスキャンさせる。すぐさま、編集モードへ突入した。
……できた。
男優の顔の部分の黒い四角。それがクリックできるようになっている。
「上から、黒い立方体を貼り付けているみたいだね」
「ああ。ペイントツールでもできる簡単な仕事だ。スーパーディープフェイクで編集したから、俺のソフトじゃ規格が合わなかったんだな……」
深呼吸しようとすると、しずくはすかさずペットボトルを差し出してくれた。必要でしょ? その笑みにはそう書いてある。
だから俺はお礼として、しずくの頭を優しく撫でた。これまで演技だったら傷付いたが、しずくはくすぐったそうにはにかむ。
愛しい幼馴染は何も変わらない。それは俺にとって大きな推進剤となる。
「消すぞ」
「うん……」
静寂に包まれた部屋に、生唾を飲む音が大きく響いた。
どんな人物が出てくる──?
「……は?」
「え、これ……URL?」
そこにあったのは意外な人物でも、実はもう一人の俺が存在しました的な超展開でもない。
https://itest.5ch.netから始まる乱数的な文言。
これって……。しずくは食い入るように画面を見つめた。
「これ、匿名掲示板のスレッドのURLだ」
「……はぁ? なんで、そんな?」
しずくは匿名掲示板に入り浸っていたという真実を暴露するための措置か? いや、それならばさっきも言った通りわざわざ隠す意味なんてない。
俺は取り合えずそれをコピペし、検索してみた。
『該当するスレッドが見つかりません』
「また未来クラウドから干渉されないと見えない的なやつか……?」
「いや、待って柊君。これ、魚拓になってる。アーカイブが別途保存されてるよ」
魚拓とは、インターネット上に存在するウェブページをデータとしてオフラインにダウンロードしておく機能のことだ。しずく曰く、多くの削除された情報の裏付けとして用いられた経緯から、釣果の証として保存する魚拓になぞらえるようになったそうだ。
つまり1周目のしずくは、あえて魚拓を貼り付けてまで、俺たちにこれを伝えたかった。そういうことになる。
しずくの説明する通り、俺はリンクを踏んだ。
『以下のファイルをダウンロードしますか』
『はい』
「しずく、やっぱ詳しいんだな」
「な、なに。だってわたしねらー歴長いもん。柊君がわたしよりも他の人間を優先してむかついたときとか、そこで愚痴ってたんだからね。ンゴゴゴゴ、よろしくニキー。ほらどう? どう? ねえ、柊君」
「わかった、うん、わかったから」
「柊君にはわたしのことだけずっと見て欲しかったからわたしずっと髪のお手入れやってたのに、素の柊君は結局褒めてくれなかったし、なんか知らないけど志村瑞樹に同情的になるときあるし、わたしは毎晩ずっと柊君のこと考えてるのに、柊君はわたし以外のこと考えてるんだろうなって考えると胸が凄く切なくなって」
しずくはダウナーで目がぐるぐるしていた。すぐテンパるのも素かもしれない。
「割とキモいこと言うわ。でも聞いて欲しい」
「え?」
「俺もいつも考えてるよ。しずくのこと」
「……」
「これからずっと、しずくのこと褒めたいし、悪いことしたら叱りたいし、逆に俺も調子に乗ったら怒ってもらいたい。美味しいものも食べたいし、遊園地でも水族館でも行こう」
しずくは口を半開きにして、俺のことをただ見つめていた。それは前々からしていたしずくの反応と変わらない。
もうとっくに、彼女は俺と向き合ってくれていた。
「全部片付いたら、しずくがこれまで我慢していたこと、しずくがこれまでやりたかったこと、俺と一緒に全部やろう。どこまでも付き合うから。俺はしずくの幼馴染だから」
その源流にあるのは確かに失敗した自分かもしれないが、しかしながら助言を実践する決断をしたのはしずく本人だ。
「だから告白してくれるの、楽しみにしてる」
しずくは押し黙ったが、目線はスーパーボールを全力で投げたように乱反射していて、口元はもにょもにょと波線を象っている。感情を持て余しているように思えた。
「柊君は、ずるい」
「そうか。だけどしずくが一番なのは事実だからな」
「う、うん。そうあって欲しい……かも」
「あって欲しいかもじゃなくて、そうあるんだよ」
こんな臭い台詞だって平気で言えてしまう俺は何なんだろうと考える。瑞樹は、この可能性は新たな興りと表現していた。だったらこの俺こそが、これから生まれ続ける羽場柊の模範たるよう、しずくを愛し続けよう。
そうすればこの可能性以外にも、しずくと一緒にいてくれる俺が生まれるかもしれない。
不幸な瑞樹も不幸なしずくも両方を救うことなどできないのが現実だ。
だから少しでも、それが例え世界を跨がなければ実現しえない難題でも、俺の好きな女の子が幸せになってくれればいい。純粋にそう思った。
「……頑張るね、わたし」
俺のせいだというのに、しずくは頑張ると言ってくれた。
俺はそれが何よりも嬉しかった。
「ダウンロード終わったぞ」
「あ、うん」
しずくも表情を引き締める。椅子のフチを固く握りしめていた。
ファイルを開いた。
『逃げちゃった
0001風吹けば名無し2023/12/24(日) 23:34:32.50 ID:PdrOa31ca
幼馴染から告白するから天文台まで来てくれって言われたのに、怖くて逃げた
友達から寝取られビデオレター偽造して送れって言われてる
送ったら取られちゃいけないって思って家まで来てくれるかな
0002 風吹けば名無し 2023/12/24(日) 23:35:39.11 ID:daSih220
彡(゚)(゚)「ファッ!?ワイの幼馴染寝取られとるやんけ!」
0003 風吹けば名無し 2023/12/24(日) 23:55:48.24 ID:q1Mu2n410
大松「寝てないからBSSだぞ」
0004 風吹けば名無し 2023/12/24(日) 23:56:32.53 ID:KnG2nsd0
友達も論外だしそれを真剣に検討するお前もガイジ
0005────』
※ ※ ※
23/12/3(日)
『No.821番のお客様。お待たせいたしました。4番病室にお入りください』
アナウンスが鳴った。しずくは手元の整理券を翻す。821番とあった。
「行くか」
「うん」
俺はしずくの手を引くと、立ち上がった。
病室に入ると、彼はいた。前に見た時よりも皺が増えていて、どこかやつれているように感じる。
「お久しぶりで、良いんですかね」
人の痛みを自分の痛みのように想像できる彼は、きっと、多くの患者の病んだ心を救えないことを誰よりも悔やんでいたはずだ。
この世界は人間の脳という仮説。それが正しいのであれば、その力をコントロールできるようになったのは、きっと誰かが彼に救世主になってもらいたかった。そう願ったから。俺はそう捉えている。
「はは、どうだろうね」彼は言い訳しなかった。「でも、君の中の一部は彼であるのだから、これは久闊を叙すと言っても良いんじゃないかな、柊くん」
その語り口も、貼り付けられたように見えるけれど、本当に思いやりに満ちた微笑みも。木漏れ日の差し込む白亜の病室にとって、風景の一部であるかのように溶け込んでいる。
「──お久しぶりです。高砂先生」
プライム・アーク医療センター 心療内科担当・高砂あきお先生。
俺の先生にして、タイムリープを司る能力者。
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