白崎しずく Permission2/3

 未来クラウド。しずくが俺たちへ干渉してきた技術は、2041年に完成する。『2周目の俺』が意識不明の重体に陥ってから二年後だ。


『宇宙と人間のニューロン構造は類似している。いいや、それは寸分違わず同じだった。わたしから見て現段階でも確定はしていないけど、この宇宙は誰かの脳の中なのではないかという仮説が一般的になっている』


 宇宙の構造が解明される糸口となったのは、2035年9月2日の皆既日食を撮影しようとした宇宙望遠鏡だ。これはかのハッブル望遠鏡になぞらえて、ハッブル二世と呼ばれていた。


 地球外生命体の存在は常々示唆されてはいた。電波がたびたび観測されていたのだ。現時点での直近では、2019年に豪州のパークス電波望遠鏡が受信している。


 これらを受けて開発されたハッブル二世は電波望遠鏡の性質をも有していたため、受信される電波の解像度は以前に増して精度が高かったという。


 つまり、地球外生命体からの電波とされていたものが、解読可能なレベルにまでクローズアップされたのだ。


『祐介、晩ご飯なにがいい?』

『? どういうことだ』

『本当に、そう書いてあった』


 それは日本のどこにでもあるような、一般家庭の会話だった。更にハッブル二世は電波を受信し続ける。


『何でもいい』

『何でもいいじゃお母さん困るのよ』

『ゆきがインフルなんだからさらっと食えるもん。おかゆとか』

『そのさらっと食えるもんを聞いているんだけど』

『いま俺かおりとスカイツリーなんだけど』


 ……なんだ、それ。


『うん、柊君の気持ちもわかる。まるで誰かが悪戯でやっているんじゃないかってくらい、それはありふれたものだった』


 人類誕生の秘密とも、空白の10万年とも、宇宙ループ説とも似てもつかない、本当に、しょうもない家庭の会話。だがそれはとりもなおさず、宇宙に地球と寸分違わない文明が存在していることを物語っていた。


 全く別の文脈が、たまたま我々でも読める文字で、たまたま日本の他愛ない家庭の会話になっている。そんな確立は猿がタイプライターをランダムに叩いてシェイクスピアが出来上がる確率より低い。


 しずくは続ける。


『その事実と、宇宙は人間の脳という説を組み合わせて考える人がいた』


 俺はもうそれを思い出していた。


『中島さんか』


 他人と情報を共有することは、並行世界へ情報を発信することと同義と主張していた。


『そして中島さんの研究を一気に加速させたのが、量子コンピューターの実用化』


 量子コンピューターは、その名の通り量子の重ね合わせの原理を利用したコンピューターである。量子が同時に二つの性質を有するのは説明した通り。だが、更に量子には『量子もつれ』という状態が存在している。


 これはいうなれば量子間の結びつきだ。例えば片方の量子が状態Aである場合、もう片方の量子は状態Bである性質を示す。


 これによって量子もつれ状態にある量子Aを特定できれば、観測できていないもう片方が量子Bであることが確定する。


 つまりA=A or BあるいはB=B or Aが前提となっている量子ビットを、オールド・コンピューターの計算で用いられる0と1と同じように扱えるということだ。


 単純に考えても、使用できるパターンは0と1の2つから、A=A or BとB=B or Aの4つに増加する。更に量子もつれによって観測していない状態の量子も管理できるのだから、指向性を持ってコントロールすることも可能だった。


『量子もつれが、他の可能性──他の脳と共有した情報だったってことか』

『柊君、そんなに理解力あるのになんで古文だけはダメなんだろうね』


 向こう側でしずくが苦笑しているのが見えて、俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。


 未来クラウドは量子もつれの性質を利用し、他の脳──可能性と情報を共有できた、という。


『待てよ。なら未来クラウドは過去へ干渉できるのはおかしいだろ』

『そうかな。考えてみてよ。柊君とおばさんの年齢は違うよ』


 俺は瑞樹にした説明を思い出す──歴史の修正力。これはつまり、先達が後世へ教育を施すこと……じゃないか? 俺たち学生は日夜教師から教育を受ける。誤った行いをすれば大人から指導され、更生されるように迫られる。


 人の脳の生まれてから死ぬまでが宇宙の歴史なのだとしたら、間違った妄想を正そうとする試みも歴史の修正と換言することができるのではないか。


 そして中島は言っていた。


 ──そんで、ウチら人じゃん? でもみんな、その、鬼滅の刃とかドラゴンボールとかガンダムとかシュタインズ・ゲートとか知ってるわけじゃん。で、それぞれの脳内に、作品をベースにした記憶があるんだよ。


 つまりその認識と記憶こそが、世界の歴史だった。


 23年としずくの生きる時代がコンタクトできているのは、それが並んで存在しているから。

 今日は11/15日であり、しずくのいる時代も同様の日付と言う。

 日付のみは共通しているが、何年の11/15日になるかはわからないらしい。

 それが、重ね合わせの一部でもある。


『つまりお前が、2周目の段階でスーパーディープフェイクを有していたのは』

『うん。1周目の私が、過去のわたしにスーパーディープフェイクのファイルを送信し、保存させていたから』


 その後に俺と同じようなタイムリープを成し遂げたしずくは、23/12/24──今でも思い出すだけで吐きそうになる──俺へ偽装した寝取られビデオレターを送信した、という顛末になる。


 それが、答えだった。


『スーパーディープフェイクで画像を編集したのは中島さんだな?』

『寝取られビデオレターも、真実味を演出するために金髪に染めたのも、あの子の指示』


 恐らくだが、いつまで経ってもじれったいままのしずくを見かねて、いっそ羽場柊を焚きつければいいと吹き込んだのだろう。


 あいつのやりそうなことだ。ウチは読み専だからと悲しそうに言っていた横顔を思い出した。


『志村瑞樹に男を差し向け、2周目の俺を破局させたのも中島の差し金だな』


 それは今までで、一番長い待ち時間だった。秒針の音が嫌に大きく響いた。


『それは、わたしがやった』


「……」


『志村瑞樹の勤務していた企業は、警視庁の上層部とコネクションがあった。


 わたしはパパを伝ってその人と接触し、その後、志村瑞樹と知り合うことができた。


 志村瑞樹は、わたしのことを嘲笑した。

 自業自得で結ばれる可能性など皆無な女が、惨めったらしく悪あがきしている。気持ち悪くて可愛らしい。面白いから言うこと聞いてあげる。そう嗤った』


 そうか。

 やっぱりか。


 俺は感情が欠落しているのではないかと疑った。

 あるいは、しずくと触れ合い続けている内に、俺までしずくと似たような感じで狂ったのかと額に皺を寄せる。


 こいつに激怒して、やってきた行動を全否定すべきだ。お前は最低のクズだ。過去の失恋をいつまでも引きずって、自らの臆病で人生を踏みにじった気色の悪いのファム・ファタル。メンヘラのストーカー。お前がやったことは人殺しと何ら変わりない、と。


 ただ俺は──俺の記憶は──好きな相手を手にできない苦しみを十二分に知ってしまっていた。


 安全基地、という言葉がある。アダルトチルドレンの誕生と密接に関わってくる概念だ。


 これは幼少期の物心が育つ以前、母親ないし父親から無条件での肯定を受けているか、抱っこされているか、無根拠の安心感を抱いた経験があるか、という要素だ。


 安全基地を剥奪されたままの子供は、常に実体のない不安や恐怖、孤独感に苛まれる。これが対処されないまま発展していくと次第に心が鈍麻し、やがて愛着障害という疾患を引き起こすことが報告されていた。


 その過程で、他の精神疾患や人格障害を併発するケースが非常に多いという。


 つまり、白崎しずくだ。


 娘がいるにも関わらず蒸発し、娘への悪意と偏見の土壌をもたらした母親。

 娘をとても大切に思っていたが、いつまでも家に帰ってこない父親。

 曲がりなりにも生みの親を口汚く罵る親戚一同。

 頭ごなしに決め付け、その想定から逸れた瞬間軽蔑の姿勢を隠そうともしない教師。


「……しずく。お前さ」


『寝取られビデオレター。お前、浮気が相手の人生にどれだけの爪痕を残すのか知っていたから、やったのか?』


『そうだよ』


 即答だった。向こうのしずくがどんな顔をしているのか、俺は幼馴染だからわかってしまった。


『柊君にわたしのこと意識して欲しかったからだよ』


 怒りか、悲しみか、哀れみか、蔑視か。


 もう俺はこいつに対し、どういう感情を向ければいいのかわからなくなってしまった。


『柊をどうして裏切ったのって、おばさんにも怒鳴られちゃった』


 俺は泣いていた。たぶんしずくも泣いていた。



『わたし、みんなからもらったものを、自分のせいで、ぜんぶなくしちゃった』





 だが俺は追及の手を緩めることができなかった。


 何故なら、俺の脳裏にある可能性が浮上しているからだ。


『お前の行動には、ひとつ、不可解な点がある』

『え?』

『1周目で、お前は未来クラウドを用いてスーパーディープフェイクを過去の自分へもたらしたと言った』


 既読が付くより早く続ける。


『これは、タイムリープできる確信がなければ辻褄の合わない行動だ』


 しずくは何も答えない。


 凍り付くような窓枠の外。いつかと同じように白鳥座が君臨している。澄んだ夜だった。うちの学校の天文部がここにいれば、きっと喜び勇んで出掛けていたくらいには。


 あの夜見上げたものと同じだろう。


『では誰が、タイムリープができると、お前に告げた?』


『──』


 コーラを飲んだ。

 いつもより甘く感じた。


 その答えを聞いたのち、俺はすかさず瑞樹へメッセージを送った。

 その人物は、どういう風に見えたのかと。


『底抜けに良い人でした。全ての可能性で善人なのでしょう』

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