幼馴染欠乏症なのでエア幼馴染と会話する

「……はぁ」


 夜。ベッドに寝転がりながら深いため息を吐く。


「瑞樹……」


 俺の中の前の俺成分が彼女に深い憐憫を抱いていると同時に、今の俺としての成分はもう俺にしてやれることは何もないと現実的な解答を寄越す。

 中島さん風な言い方をすると、ヘイトを集めていた悪役にも胸糞悪いバックボーンがあった……みたいな感じだ。素直に勧善懲悪を喜べない。


「ダメだダメだ。切り替えよう」


 少なくとも明日はしずくが帰ってくる。そこで、俺の愚行で一日延長になってしまった告白を受け取らなくてはならない。


 俺はさっさと就寝すべく、部屋の灯りを消した。21時に眠ることは随分久しぶりだった。


 ──例えば、羽場柊の死亡とか。


「どうやってだよ……過去に戻って電車飛び込みでも止めろってか?」


 いや、というか今からしてみれば未来だから、未来の俺へ……待て待て。そうしたら俺がここにいること自体が矛盾になってくるわけだから、原理的に不可能だ。


 というか前の俺が生き返っても、恐らく惨憺たる結末にしかならない。あいつは前のしずくに殺されたようなものだ。再び話せたとしても、前のしずくをいたずらに傷付けるに留まるだろう。


「……」


 志村瑞樹との邂逅で得られた情報は数知れない。それらは全てしずくがしてくれたように、メモにまとめて置いてある。あいつが帰ってきたら共に検討するためだ。

 しずく。


「俺もしずく化してきたかなぁ……」


 たった2日会っていないだけなのに、何だか「しゅーくん」という幻聴が聞こえてきそうだ。俺は意味もなく掛け布団を抱き締めたり枕に鼻を埋めたりした。悲しいのと自己嫌悪が同時に押し寄せてやめた。


『はねばー』

「ん?」


 と、田代から連絡が来た。なんだろう。確か向こうだったらそろそろ消灯時間のはずだ。


『白崎輪姦祭り』

「あ!?」


 俺は目を剥いて飛び上がった。喫茶店での瑞樹との会話がよみがえる。歴史の修正力。まさか、俺としずくが結ばれるというイレギュラーを許さない世界が、新たに別の可能性を──


『殺すぞコラ』


 だが田代はそれには答えず、一枚の画像を送ってくる。


 そこには。


『リンカーン祭り』


 ドン・キホーテの値札付きで、無精ひげシールを貼られシルクハットを被せられるしずくの姿があった。

 『南北統一』と書かれたテロップを掲げている。借りてきた猫もビックリのクッソつまらなさそうな顔だ。茶道部の人と中島さんがしずくの両肩に手を置いてこちらに中指を立てていた。


「しょーもな! ギャグとしてもつまんねぇよ! 死ね!」


 俺はスマホをベッドへ放り投げた。スプリングで軋んで結構いい音を立てて落ちた。壊れてないかなぁと不安になってあちこち調べた。


「まあでも、孤立していないならよかった」


 俺が孤立する分には別にどうでもいいが、俺のせいでしずくまで巻き添えになるのは話が違う。


『戻ったら白崎頼むわ』

『つまらんつまらんつまらんつまらんつまらんつまらん』

『いやマジで。白崎お前欠乏症とか言い出して、今エアしゅーくんと会話してる』


 やっば。


 これはミュンヒハウゼン症候群の症例なのか、あるいはただただしずくが狂ってるだけなのか。恐らくこれに関しては後者なのがマジで救えないところだ。


「よし、寝よう」


 なんかもう色々なことがどうでもよくなってきた。明日は晴れるよ。お休み。


 だが待てども待てども眠気はやってこない。そりゃそうだ。普段はだいたい0時くらいに床に就くのだから、今の俺には3時間分くらいの元気ストックが残されている。


「……あーあ」


 もはや例の動画の再生を試みるのは手癖になっていた。ただ、もう正体がわかった手前、あれの再生に成功しても何の意味もない。


 だから俺は再生できなかったら散歩がてらコンビニでも行こうという気持ちでタップ──



『ごめ、ごめんねぇっ、ゆーくんっ。ごめんねっ』



「っ!?」


 ──なぜだ?


 俺は飛び起きた。部屋の灯りを灯し、パソコンとスマホのUSB接続を試みる。


 エクスプローラー上に、例の動画が反映されていた。俺はすかさずコントロール+Vでデスクトップにデータをコピーする。すんなり出来た。再生する。スマホのものと寸分違わぬ内容だった。


 俺は動画の形式を一度適当なものへ変更してから、再度『MP4』へ変更しておいた。再再生を試みる。上手くいった。俺は小さくガッツポーズを作った。


 これまでなしのつぶてだった動画が、なにゆえ再生できるようになったのか。


「……二重スリット実験」


 おのずからその単語が口を突いて出ていた。観測者の有無で性質が変化する──

 では、俺たちを観測している存在と言えば。

 接続されていたスマホから、着信のベルが響く。


 発信者:しずく


『こんばんは。柊君』


「しずく……」


 前の俺を自殺まで追いやる遠因となった女。


 ファーストコンタクトに於いて、彼女はしずくを自称していた。もうそれが答えだった。


 俺はひとまずリビングへ降りて、買いだめしてある飲み物を全部抱きかかえて部屋まで戻る。お袋が不審そうに問いかけてきたけど、俺の表情を見ると何故か追及をやめた。鬼気迫る顔をしていた。


 部屋に戻ると、しっかりと窓の鍵まで施錠する。そしてプリントアウトしたしずくメモと、先ほど俺がまとめたメモとを手元へ手繰り寄せた。PC経由で画面録画ソフトを作動する。これで、俺と前のしずくとの会話を証拠として保存しておけるようになった。


『しずくから話は聞いている。お前は、33歳の俺が接していた、白崎しずくだな?』

『言っちゃったんだ、あの娘』


 奴はあっけなく認めた。


『お前の目的はなんだ?』

『次のわたしから聞いているのなら、もう察しはついていると思う』

『俺への贖罪か?』

『いまも意識不明。片足が吹き飛んでいた。右腕にも障害が残るみたい』


 まず一本目のペットボトルが空になった。将来頻尿になりそうだ。


『しずくは死んでいるって言っていた』

『そういった方が、わたしは焦るだろうから。ただ、奇跡でも起きない限り意識が戻ることはない。ほぼ脳死と同等の状態になった』

『死んでいないなら、どうして俺はここにいる? 胡蝶の夢オチとか言うつもりじゃないだろうな』

『わからない』


 そこからしばらく間が空いた。


『ダウンロードした動画をPCへコピーして』

『既にしてある』

『流石だね。わたしが好きだっただけある。厳密には、君じゃないけど』

『お前は寝取られていないな?』

『予想通り、あれはAVをスーパーディープフェイクで合成したもの。次のわたしに託したファイルに、編集途中のファイルを残してある』

『どうして12/24日の俺へ渡した?』

『わたしは性懲りもなく、柊君に迎えに来て欲しかったからだよ』

『迎えに行く?』


 なんだ、俺の記憶との差異がある。前の俺は、23/12/24に、しずくを迎えに行くような約束を交わしていた?


『やっぱり記憶の継承は完璧じゃないんだね』



 やっぱり……。

 走馬灯のような映像が、記憶の表層を駆け抜けていった。


『しずく「大嫌いな人に似てる。人のこと豚呼ばわりして、偉そうに……。何様のつもりなんだか」』


 時系列のねじれ。


 ──あなたがもどかしいので、私はもう──さるお方からの紹介で、彼氏が──


 株式会社Precious Journey営業事務・志村瑞樹。


 撮影協力企業・株式会社Precious Journey.


 しずくの父は警視庁に勤務している。



 我知らずにうちに食いしばっていた歯をゆっくりと開くと、俺は額を抑えて鈍痛と戦った。呼吸を整える。


『しずく』

『なに?』


『俺はずっと、俺がいる世界を基準に2周目だと考えていた』

『うん』

『これは誤り。3周目だ。既に一度、改変が為されている』


 しずくからのラリーは1分以上来なかったので、俺は追撃を試みる。


『前の俺がいた可能性は、既に2周目』


 ──あなたが羽場柊と結ばれるのなんて、この可能性だけなのに、何を言っているのやら。


『本来のお前は、何もできないまま羽場柊を志村瑞樹に奪われたショックで自殺、あるいは未遂で、俺みたいに植物人間の状態へ陥っている』


 俺は、LINE越しなのに、絞り出す思いでメッセージを飛ばした。


『お前もタイムリープしたな? 1周目の、白崎しずく』

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